辰野金吾を書くということは、東京の街そのものと立ち向かうことだった(前篇)

作家の書き出し

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辰野金吾を書くということは、東京の街そのものと立ち向かうことだった(前篇)

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

門井慶喜「作家の書き出し」

小説は人間的愚行の物語

――ああ、読んですんなり景色を脳内で再現できるのは、論理的に組み立てられて書かれているからなんですね。景色といえば、途中で挿入される手紙に、東京はパリなどに次ぐ都市になっていくかもしれない、とありますよね。でもヨーロッパの石造りの街並みはずっと変わらずにあるけれども、東京の風景って目まぐるしく変わる印象があります。

門井 東京はやっぱりそうですよね。それには人文科学的な原因と自然科学的な原因があって。人文科学的な原因というのは、日本の近代の発展。もともとヨーロッパより遅れているから、早く追いつかなきゃいけないという心理的な焦りと、日本人の勤勉という性質が東京の発展をきわめてスピーディーにした側面があります。自然科学的な原因は地震です。ヨーロッパには大きな地震がなくて、日本には地震がある。現に大正12年に大きな地震があって、東京中が瓦礫になりましたから。それがまた都市の景観の変化をはやめていますね。金吾世代から、この建築方法は地震に強い、といった情報に敏感になり、どんどん新しい工法を取り入れていくので、変化していく。

――変化のスピードがはやいだけに、金吾は恩師のジョサイア・コンドル先生をほどなく「時代遅れだ」と批判する。でも、金吾自身も、頂上を極めたのに、だんだん時代に追いつけなくなっていきますよね。仕方のないこととはいえ、残酷さを感じました。

門井 おっしゃる通りで、近代が始まって、どんどん世の中の変化が速くなると、時代遅れの人もどんどん出てくるわけです。東京という街は、そうしてものすごく膨大な人々の才能を犠牲にしてできているんです。いわば才能ある人間を肥やしにして、どんどん東京という木だけが育っていくという感じかな。

 昔、『家康、江戸を建てる』という話を書きましたが、それになぞらえて言うならば、これは「金吾、東京を建てる」という話だと思うんです。ただ、東京は江戸よりも、もっとたくさんの見えない意味での人的犠牲、精神の犠牲の上にあるのは確かだと思います。だからこそ偉大だと言うこともできる。

 金吾が偉業を成し遂げて「俺はやったぞ」というところで終わりにしなかったのは、聖人君子の物語にしたくなかったというのがあります。実際にいた辰野金吾という人間のことを、人間らしく責任もって最後まで書かないと、バイブルにはなっても、小説にはならないと思います。

――小説とバイブルは違うんだ、と。

門井 小説というのはバイブルにしたら一番つまらないんじゃないですかね。バイブルで面白いのはバイブルだけですよ(笑)。

 小説というのは、英雄的行為の物語ではなくて、どちらかというと愚行の物語だと僕は思うんです。人間的愚行の物語。我々みんなが愚かだという意味において、ですけれども。

 小説という物語のジャンルは、神話というものが説得力を持たなくなった近代に出てきたものですから、もともと神話的な手法とは合わないんです。市民社会の成熟とともに出てくる文学的形式なので、そもそもが神話で描かれる神々の英雄的行為の反対、市民の愚行というものから出発している、というのが基本だと僕は思っています。


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