空白地帯
高校では弓道部に所属していて、授業が終わると、自転車で二十分ほどかかる弓道場に向かうのが常だった。私の高校は決して強豪校ではなかったが、その頃実績を伸ばし、私の年代では県大会、あわよくばインターハイまでを狙おうという勢いだった。弓の練習をした記憶はあるが、果して本は読んだだろうか。
吉川英治の『三国志』、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』は小学生の時に読んだ。綾辻行人『十角館の殺人』、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』、マイクル・ムアコック『ストームブリンガー』は中学生の時だ。一心に小説を読み始めたのは、大学に入ってからのこと。高校時代は、私の読書の空白地帯なのだ。
ただそれでも、部活の帰り道、毎日のように書店に通ったことは憶えている。いったい何を求めていたのかわからないけれど、とっぷりと日が暮れた中、書店の明かりに誘われてドアをくぐった思い出は、いまでも私の胸の奥をあたたかくする。読んだ本も、一冊も憶えていないわけではない。スティーヴン・キング『死のロングウォーク』がおそろしくて手元に置けずに立ち読みし、読んでしまったからには対価を払わねばと後日購入したことは、よく憶えている。記憶を掘り返せば、マイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』やリチャード・プレストン『ホット・ゾーン』、ウィリアム・L・デアンドリア『ホッグ連続殺人』は、どうも高校生の時だった気がする。学校の図書室にリクエストして『東方見聞録』を読んだのも、高校での話ではなかったか。『水滸伝』はどうだったか……高校でも不思議はないけれど、確信はない。
部活に傾倒していたこともあるが、当時私は、読むよりもむしろ書いていた。飛び方を研究するより先にまず飛ぼうと試み、その足が離れた瞬間が、私の場合高校時代だったのかもしれないと思う。