- 2022.09.08
- 書評
現代の地方のリアルな現実を映し出しつつ、ミステリの骨格を際立たせてくれた
文:篠田 節子 (作家)
『Iの悲劇』(米澤 穂信)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
タイトル「Iの悲劇」の「I」は、都市から地方への移住を意味するIターンの「I」であって、「INAKA」の「I」ではない。
とはいえ舞台は田舎も田舎、市域全体の過疎化に加え、冬の積雪や山がちの地形、といったかなり厳しい環境だ。限界集落が、ついに限界を超え無人になったところから物語は幕を開ける。
都市から新住民を呼び込むことでいったん死んだ村「簑石」を復活させる、市長肝いりのプロジェクト。ヒト・モノ・カネ、すべてが足りない中、使命感を持って粛々と仕事に取りくむ若い公務員がいた……。となれば、あの中島みゆきの歌声とともに始まる、熱意、困難克服、成功、の某ドキュメンタリーを思い出すところだが。
すこぶる前向きで希望に満ちたプロジェクトだが、政策としてあまり現実的でないのは明らかで、一見してあちこちにほころびが見える。ワリを食うのは現場の職員で、生真面目な主人公が次々に持ち上がるトラブル対処に追われることになる。しかも一緒に働く上司はモラールもモラルもない役立たず、同僚は学生気分の抜けない軽率極まりないアーパー娘、ときた。
ところが第一章で、このぼんくら上司とアーパー娘の二人が、意外な能力を発揮して問題を解決する。結果的にトラブルを起こした住人は出て行ってしまうのだが、それでもこの三人、互いのキャラと能力を生かして困難を乗り越え、プロジェクトを成功に導きNHKテレビに登場するか……と思われるのだが。
自然豊かな田舎暮らしに憧れて地方にIターンないしはUターンした人々が、夢破れてすごすごと引き上げていく事実は、警告とともにメディアでも多く取り上げられてきた。
もちろん都市住民の生活スキルの無さもあるが、それ以上に一見したところ素朴で気の良い地元民による陰湿な嫌がらせや相互監視社会の息苦しさが、移住してきた人々を困惑させ、追い詰め、追い出すこともある。そのあたりは故坂東眞砂子氏の小説などにもどぎついほどに描写され、読む者の田舎暮らし願望に水をぶっかける。
しかし本書には、古い地元コミュニティは登場しない。そうした意味でIはINAKAのIではない。
そして語り手は移住者ではなく、迎え入れる側だ。
簑石地区は他地域から隔絶されており、旧住民は一人もいない。離れた場所に地権者がいるだけで、事件もトラブルも移住民の間でのみ発生する。そこに自治体の担当職員が解決ないしは謎解きに乗り出す。
第一章「軽い雨」では、パイロットケースとして最初に移住した二世帯の間でトラブルが発生する。騒音、ネグレクトが疑われる児童の存在。都会とかわらぬご近所トラブルに、警察官の代わりに主人公が呼び出されるのだが。そうこうするうちにトラブル発生源の家で小火を出す。何気ないエピソード、小さな描写が、伏線というよりは布石となって、物語の出だしから埋まっている。それもすこぶるさりげなく。章の終わりにそれらがきれいにつながり、思わず膝を打つのだが……。さて、これが第一話でなく、なぜ第一章なのか。
第二章「浅い池」は、新事業に乗り出すべく未経験ながらもリサーチを重ねて地域に入ってきた若者の目論見が、無知のうえに不運が重なり、まさに絵に描いた餅に終わる。「あーあ、ばかだね」といったあまりにお約束通りの結末なのだが、実は、想定外の事実が隠されている。
第三章に登場するのは、大量の本を抱えて村に入ってきた「在野の学者」のおじさん。近所の子供が遊びにきて心温まる交流が生まれる中、事件発生。実はおじさんの借りている家は、以前、村八分にされていた人物の住処だった。となると、恨み怨念のうずまく因縁話が、という予想を鮮やかに裏切って意外な展開に。
第四章「黒い網」、第六章「白い仏」にはともに、一見して関わり合いになりたくないタイプの人物が登場する。身の回りの化学物質に過剰な恐怖と敵意を抱く女性と、オカルト信奉者の男。いずれもYouTubeやらネットニュースやらの影響なのか、身近なところに増殖中で思い当たる方も多いだろう。対する「多少癖はあるけれど常識人」の住人も、必ずしも被害者であるだけではなさそうだ……。