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【キラキラメガベンチャー@大手町篇】麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』全文無料公開中!

【キラキラメガベンチャー@大手町篇】麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』全文無料公開中!

麻布競馬場

麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』第2話

出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

〈タワマン文学〉の旗手・麻布競馬場待望の第2作『令和元年の人生ゲーム』が2月21日についに刊行されました!
発売直後から「他人ごととは思えない!」とすでに悲鳴のような反響が続々と……

この興奮をぜひ皆さんと共有できればと、全4話の短篇のうちもっとも「ザワつき度」の高い第2話〈大手町のキラキラメガベンチャー・新入社員篇〉を期間限定で全文無料公開いたします!

『令和元年の人生ゲーム』(麻布競馬場)

『令和元年の人生ゲーム』
第2話 平成31年

無気力な同期、転職していく親友、新入社員にも容赦のない上司。
大手町で”圧倒的成長”を遂げるはずだった私は……

 

 2019年4月、私は早稲田わせだ大学政治経済学部を卒業して、大手町おおてまちにある人材系最大手企業、パーソンズエージェントに新卒入社した。
 就活生の間で「パーソンズ」の人気は非常に高かった。「実力主義が徹底していて年次に関係なくマネージャーや子会社社長に抜擢ばつてきされる」とか「30歳で年収1000万超えはザラ」とか、そんな景気の良い宣伝文句に煽られて、総合商社や広告代理店を蹴ってパーソンズに入る学生も多い。「パーソンズの内定取れた」と私がゼミで報告すると、みんなから「えーすご! バリキャリ女子じゃん」「人生勝ち確だな〜」と羨望せんぼうの声が飛び交った。

「新人賞目指して、1年目からアクセルべた踏みでバリュー出しまくってください!」
 4月1日。本社ビル18階の社員食堂で開催されたカジュアルな雰囲気の入社式で、ギラギラと精力をみなぎらせた宇治田うじた社長がおどけた口調で語りかけた。40代半ばにして伝説の起業家として名を馳せる宇治田社長は『徹夜ではたらく社長の告白』という自伝を数年前に出して、団塊世代からは圧倒的な支持を集めた一方、「時代錯誤さくご」「社員に誤ったメッセージが伝わる」と社内外から反発を受けたそうだ。現に、集まった100名ほどのスーツ姿の新入社員たちも、半分くらいはメモを取りながら力強く頷いている一方で、残り半分くらいは姿勢をだらしなく崩して「何言ってんだ」と冷めた表情をしていた。

 入社式が終わったあとには、お遊びみたいな研修が行われた。6人グループに分けられて、社員食堂でランチを食べながら「パーソンズで成し遂げたいこと」をグループ内で発表し合うというものだ。明日から始まる本格的な研修と、その先の長い社会人生活に向けて気合を入れ直し、そして同期同士の「きずな」を深めてほしいという、いかにもパーソンズの古株たちが好きそうな研修だった。
「全力で仕事に臨みッ! 圧倒的なバリューを出しッ! ゼッテェ〜に新人賞を獲って、総会のステージに上がります!」
 私のグループではまず、大盛りのカツカレーを早々に搔き込んで、食後のコーヒーもゴクゴク飲み終えてしまった栗林くりばやしが堂々と宣言をした。
 パーソンズには社内表彰制度があって、月間MVPとか年間ベストマネージャー賞とか、大きなものから小さなものまで様々な賞が用意されている。その中でも最も注目されるのが、年度末の3月に社員総会で発表され、最も活躍した1年目社員に贈られる「新人賞」だった。最年少役員とか子会社社長とか、パーソンズで活躍している人のほとんどがかつてこの新人賞を獲っており、出世ルートに乗るための不可欠なステップなのだという。栗林は今年度の新人賞を獲って、総会のステージで宇治田社長から直々じきじきにトロフィーを貰い、その先に続く社会人人生を輝かしいものにしたいと語った。栗林の人生設計は非常にシンプルだ。パーソンズの先輩たちがこれまでやってきた通りにやれば、自分も同じような満足は得られるはずだという腹づもりなんだろう。
「じゃあ、時計回りで、次は沼田ぬまたくんお願いします!」
 いつマネージャーに抜擢されてもいいようにと日頃から意識しているのか、同期の飲み会でも平然とその場を仕切る癖のある栗林が、私の向かいに座っている男に水を向けた。
「ええっ、二番目でいきなり僕ですかぁ? そうだなぁ……」
 ざるそばをズルズルと吸い込んでいたふちなしメガネの男は、ニヤニヤしながら箸を置き、頭を搔いて数秒黙った。白いあごから喉元にかけて、青々しい髭の剃り残しが汚く点在している。
「え、これ正直に言ったほうがいいやつですか?」
 これから僕は過激なことを言いますが引かないでくださいね、なぜなら正直に言うよう強要したのは皆さんなんですから――そんな言い訳が聞こえてくるようだった。
「うん、正直に語ったことは絶対に否定しないというのは、このパーソンズにおいて最も重要なルールのひとつだからね」
 栗林がクソ真面目にそう答えると、沼田はその口を、再びニッと、みにくじ曲げた。
「総務部あたりに配属になって、クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」
 耳を疑ったけれど、他のみんなも私と同じような表情をしていたから安心した。栗林だけが、どうやって沼田の意見を否定せずにこの場を回し続けるかを必死で考えているようだった。彼はさっさと次の人、つまり私にバトンを回すのがいいと判断したらしい。救いを求めるように私の目をじっと見るもんだから、私も気まずい沈黙に耐えかねて「えーっと、私も新人賞目指します! 栗林くん、ライバルとして頑張りましょう!」と、適当なことを明るく宣言してしまった。

    *

 その日の夜は人事部が主催したちょっとした歓迎会が昼と同じ社員食堂で開かれた。閉会後も場所を変えてまだまだ二次会、三次会と続くようだったけれど、私は慣れない会社の雰囲気に疲れてしまって、一次会で帰ることにした。
 大手町駅から三田みた線に乗って、神保町じんぼうちようで都営新宿しんじゆく線に乗り換えて、そこから30分ほどの本八幡もとやわた駅で降りる。多少遠回りになるけどなるべく明るい大通りを通って、歩いて15分、トータル1時間ほどの通勤時間。戸建がみっしりと立ち並ぶ静かな住宅街の、近隣よりも少し大きな2階建の積水ハウスが私の実家だった。
 なるべく音がしないように静かに鍵を差し込んで、静かにひねって解錠して、静かに引き抜いて、春先の冷気を吸い込んだスチールの把手を、シンプルなジェルネイルを施した右手で静かに握り、手前に引く。ドアはカチャリ、と小さな音を立てて静かに開いて、オレンジ色の光の粉が漂い漏れてくる。真っ白な壁紙。明るいオーク材のフローリング。飾り棚には透明なガラス製の花瓶かびんに活けられた白いトルコキキョウが2本。整えられた空間に濃密に詰まった完璧な幸福に、私は窒息しそうになる。
「お帰り」
 奥のほうから、お母さんの声がする。この美しい家を日々管理し、22歳になってもまだ実家に住む娘に存分に愛を注いでくれるお母さん。ひじきを炊いている匂いがする。いつものように、大豆や刻んだこんにゃくなんかも入れているのだろう。「今日は会社の飲み会があるから、ごはん要らない」と今朝伝えておいたのに。もしも新入社員の娘が先輩たちもいる飲み会で遠慮して、お腹を空かせたまま深夜に帰ってきた時のために、軽くて体の負担にならないものを用意しておいてあげなきゃ、と居ても立ってもいられなくなったのだろうか。
 黙って差し出される、対価をまったく必要としないお母さんの優しさを前にすると、私はどうしていいのか分からなくなってしまって、今日もこうして玄関で立ち尽くしてしまう。

 私が幼稚園の頃までは西船橋にしふなばしのマンションに住んでいたが、小学校に上がるタイミングで商社に勤めるお父さんがこの家を建てた。高校までは近所の公立、大学までは電車で1時間と通学圏内だったので、私は今日までずっと実家で暮らしてきた。
 女子大を出たあとお父さんと職場結婚し、今は専業主婦をやっているお母さんの実家は、このあたりにいくつかの土地やビルを持っている地主さんらしく、うちの家もおじいちゃんの所有地の一つに建てたものだった。
 商社マンの妻とは言っても、慎ましいサラリーマン家庭には変わりないはずだが、お母さんには今でも、どこか浮世離れした不思議な余裕みたいなものがあった。おそらくは裕福な家庭に生まれ育ち、あちこちで自分がそうされてきたから、何の抵抗もなく人に善意をプレゼントすることができるのだろう。お母さんはいわゆる毒親なんかでは決してないし、それどころかむしろ優しく、温かい人だった。単身赴任やら遅くまでの残業やらでお父さんは家をあけがちだったから、私はこの家でのほとんどの時間をお母さんと二人きりで過ごした。それはひどく柔らかくて穏やかな時間だった。にもかかわらず、私はこの素晴らしく幸せな家で、居心地の悪さを抱えている。そんな自分が、致命的な欠陥を抱えた人間に思えて、惨めったらしい不安に襲われてしまうのだった。

    *

 短い研修があっという間に終わって、4月のゴールデンウイーク直前に配属発表式があった。そこで私に告げられた配属先は営業本部だった。パーソンズの基幹事業は「ワクワーク」という安直な名前の求人サービスで、クライアントのセグメント別にサイトが分かれていた。例えば「ワクワーク新卒」は新卒求人向けで、「ワクワークハイキャリア」は転職求人向け、そして「ワクワークバイト」はバイト求人向け。それぞれの媒体に営業部があって、私が配属されたのは営業本部の中の「ワクワークバイト営業部」。飲食店に片っ端から営業電話をかけて、アポを取ったらお店のアイドルタイムに訪問して、1件3万円や5万円、大きくてもせいぜい20万円とかの案件をセコセコと取ってくるのが、私に与えられた仕事だった。担当エリアは、バイト営業部の中でも特に単価の安い五反田ごたんだになった。こうして適当なオフィスカジュアルと歩きやすいパンプスに身を包み、大手町と五反田を往復する日々が始まったのだった。

 働き始めて1ヶ月。自分でも意外だったが、私はこの業務に結構満足していた。一人ひとりと深く向き合うより、こうやって薄く広く人間関係をこなすほうが昔から得意だし、楽しいと思えた。
 あとは何より、上司との相性がよかった。
「このペースじゃ月次ノルマ達成できないよね?」「不足分はどうやって埋めるの?」「新規架電は何本やったの?」「なんでそれで足りると思ったの?」「足りないって分かってるのになんでやらないの?」「具体的な目標数は?」「時間ない中でそれどうやって達成するの?」「適当なこと言って逃げようとしてない?」「そういう姿勢が数字に出てるとは思わない?」
 17時に会社に戻ると、その日の営業成績をまとめて課のみんなの前で浜口はまぐち課長に報告する、通称「詰め会」が行われる。浜口課長は私が所属するバイト営業部2課の女ボスで、この春なんと26歳にして最年少課長になったばかりだった。おそらくは生まれつきの性格なのだろう、彼女は反論の隙もないくらい理路整然と人とコミュニケーションをとるタイプで、詰め会では好成績を収めている人でも何かしら詰められポイントが出るのだった。課のみんなはそれを煙たがり、会が終わると「今日も気合入ってますねぇ」「お疲れ様ですぅ」と小声で言い合って、慰め合いながら席に戻るのがいつもの光景だった。
「お母さん」。誰かが浜口課長のことを陰でそう呼び始めて、それが課内で結構ウケていた。ほとんどのバイト営業部の部員より年下の浜口課長をお母さん扱いする面白さもあるのだろうけど、細かい指摘を延々と続ける彼女のやや尊大で神経質な態度が、世間がイメージする「お母さん」像との合致を見せているのだろう。
 しかし私はそんな浜口課長のことが嫌いではなく、むしろ好きだった。そりゃ、詰められるのは気持ちのいいことではないし、「キツかったね」と先輩たちから小声でねぎらいの声をかけられたら「大変ですよ〜」とか後輩らしく困り顔でおどけておく。けれど、内心はさほど「大変」とは思っておらず、むしろ不思議な爽やかさがあった。
 そして何より、浜口課長が「お母さん」だとは、私には思えなかった。

    *

「ねぇ、完全に太ったんだけど。何キロ増えたと思う?」
 白いクロスが敷かれたテーブルの向かいで、由衣夏ゆいかは黄色いサマーニット越しのお腹の肉を摘んでみせた。6月半ばの、雨こそ降っていないが、いかにも梅雨らしい灰色の土曜日。麻布あざぶ十番じゆうばんのイタリアンの明るい店内は、予約していない客は断られるほど混雑していた。
 私はバイト営業部に配属されてからというもの、お昼前には五反田に行って、夕方までお店で商談、その合間合間で「新規架電」といって、まだ付き合いのない相手先に営業電話をかけまくるという日々を送っていたから、こうやって同期とのんびりランチを食べるのも久しぶりだった。

 青山学院大学卒の由衣夏は、同期の中では一番の仲良しだった。小動物系の愛らしい顔に、誰にでも分け隔てなく接する明るい性格。富山出身の彼女は「ミス深谷ふかやねぎ」とかいう誰が応募しているのかもよく分からない、地元でもなんでもない街のローカルミスコンに応募して準優勝したり、アナウンサースクールに通ったりと「いかにも」な美人女子大生らしい学生生活を送っていたが、それでも局アナの狭き門を突破することはできなかったようだ。それで「なんかキラキラしてたから」という理由でパーソンズに入社し、ワクワークハイキャリア営業部に配属になったのだった。
 由衣夏につられて、私も自分のお腹を摘んでみる。学生時代には存在しなかったはずの柔らかな質量を、指先が確かに捉えていた。私は私で、この1ヶ月で2キロ太った。飲食店経営者はみんなサービス精神が旺盛おうせいで義理堅いから、営業に行って成約したら「これからよろしくね」と何か作ってくれるし、断られたら断られたで「バイト必要になったら声かけるから」と申し訳なさそうに一品出してくれる。それを無下にすることもできず、私は出された食事を片っ端から完食していた。
 目の前に、由衣夏と注文の被ったカルボナーラが置かれる。さっきの増量報告のことなんて忘れたように、由衣夏は糖質の塊をフォークで巻き取って口に運んでは「おいし〜」と感嘆の声を上げた。
 彼女の所属するワクワークハイキャリア営業部は、営業本部の中でも稼ぎ頭の部署ということで業務量も多く、かつては残業時間が月100時間を超えることもザラだったらしい。しかし、そこに配属になった由衣夏の口癖は「仕事だけが人生じゃないじゃん」だった。実際に彼女は9時ギリギリに出社、18時キッカリに退勤して、同期と銀座や六本木あたりを飲み歩いている。そうしているうちに、1キロの脂肪がじわじわと彼女にへばりついたらしい。
「そう言えば、ハイキャリア営業部に私と一緒に配属された、小林こばやしっていたじゃん。東京理科大出身の。あいつ、先週いきなり辞めちゃったんだよ! コンサルに転職するらしくて。なら最初からコンサル行っとけって話だよね〜。引き継ぎとかでバタバタだし、パーソンズに残った私たちが否定される感じで、なんかムカつく」
 早々にパスタを食べ終わった由衣夏が、お皿に残った油脂たっぷりの白いソースをパンでぬぐい取りながらボヤく。これで6人目か、と私は頭の中で数える。入社からまだ2ヶ月と少しだというのに、同期100人のうちもう6人が退職していた。第二新卒大歓迎の大手システムコンサルから急成長中のベンチャー企業まで転職先は様々だったけど、彼らに共通していたのは「パーソンズにはもう圧倒的成長の機会がない」と感じた、ということだった。「永遠のベンチャー企業」を標榜しつつも、創立から20年を超えるこのメガベンチャーは実のところ、世間が想像するパーソンズらしい雰囲気を既に失いつつあった。コンプライアンスの観点から残業は22時まで、月トータルでも45時間までと制限され、浜口課長みたいな例外を除けばほとんどの人が年功序列で何となく偉くなるようになっている。昔はキャリアアップのために他のベンチャー企業や外資系企業なんかに転職してゆく人もたくさんいたが、最近はめっきり減ったのだそうだ。今やこの会社は、創立期ほど社員が働かず、圧倒的な成長も見込めず、しかしそれでいてキラキラした雰囲気だけは残っているという状態だった。
 それでも会社に残っている多数派の面々は、むしろその矛盾を楽しんでいるようだった。「仕事だけが人生じゃないじゃん」は、由衣夏にかぎったものではなく、2019年新卒入社組のスローガンになりつつあった。大学の同期たちよりもいい給料を貰いながら、自由でオシャレな服装で大手町のピカピカのオフィスに通い、合コンや大学のOBOG会で会社の名刺を見せびらかし、給料に見合ったバリューを出そうだなんて立派な心意気を持つこともなく、毎日定時退社して飲みに行く。元号も変わり、命を削って働くことの美点よりも弊害のほうが大きいだろうというのが世論になりつつある今、「仕事だけが人生じゃないじゃん」と言い合いながら、二十数万の月給を握りしめて銀座や六本木あたりに繰り出すほうがむしろ正しい振る舞いなのかもしれない。
 もちろん例外はいた。まず私だ。残業中の19時頃に由衣夏からLINEで鬼電が来たことがある。どうせ18時過ぎから同期で飲み始めて、早くも出来上がりつつあるのだろう。退勤後の20時半に折り返し電話をすると、案の定かなり仕上がっているらしい彼女は、安い居酒屋特有の騒がしさをBGMに、「なんでそんなに働いてるの⁉」とキレ気味に問い詰めてきた。
 なんでそんなに働いてるのか。たしかに、厳しい残業時間制限の範囲内ではあるけれど、少なくとも他の同期よりもたくさん働いていることに、何より私自身が驚いていた。勉強ができたから何となくいい大学に入っただけで、そこでの4年間でやりたいことが見つかったわけでもない。パーソンズに入ったのも他の同期と同じような理由のはずだったのに、なぜ私は、ようやく思いっきり息ができる場所を見つけたかのごとく、こんなにも嬉々として働いているのだろうか?

 栗林も例外の一人だった。彼はとにかくエネルギーに溢れた人だった。由衣夏と同じハイキャリア営業部に配属され、由衣夏と違ってよく働き、しかし由衣夏と同じくらい遊んでいた。残業を終えると同期LINEで誘われる日々の同期飲みに、栗林は全参加しているようだった。
 いつだったか、例によって栗林も参加している飲み会で、大学時代の彼を知る同期が「あいつ、大学時代は音楽関係のサークルの代表やってたってイキってるけど、実際はマンドリンサークルの陰キャだった」と暴露して、栗林が顔を真っ赤にして「オレ、未だに地元帰ったらヤンキーたちが挨拶しに来るから!」とみっともない反論をしていたのを思い出す。ヤンキー。背も低く、赤ちゃんのような顔をした彼とはあまりに不似合いな言葉に、みんな大爆笑していた。
 そういえば、パーソンズの新卒採用説明会で中堅社員たちを見た時に「みんな似ているな」と感じたことを思い出す。パーソンズに代表される2010年代に一世を風靡ふうびした「意識高い系キラキラメガベンチャー」とはつまり、同じような育ち、同じような学歴、そして「たくさん働いてたくさん稼いで圧倒的に成長したい」という同じような価値観を共有する、同質性の高い人たちの集合体に過ぎないのかもしれない。構造としては、完全にヤンキーごっこだ。第二の「地元」としての会社で、一定の規範のもとで得点を集め合い、承認し合う。まさか、栗林は失われつつあるヤンキー文化の、それもいい子ちゃん向けの真似事なんかに憧れているのだろうか。新人賞という夢も、彼がヤンキーごっこの中で高得点を取るためにどうしても必要な行程なのかもしれない。
 では、その馬鹿げたヤンキーごっこの構造から脱してしまった他の2019年新卒入社組は? 「仕事だけが人生じゃない」のだとしたら、彼らは仕事以外の何を人生の余白に詰め込むつもりなのだろうか?

 最後の例外を忘れてはいけない。沼田だ。
 まず沼田は、新人研修でひとつの事件を起こした。それは、営業本部と並ぶ人気部署・経営企画室のグループワーク研修での一幕だった。経営企画室は、様々な新規事業や子会社を束ねる、まさしくこのグループのブレインで、そこに在籍していることは、将来の経営陣としての役割を社長から期待されていることを意味していた。会議室に集められた新入社員の多くが「経営企画室の先輩たちにいいところを見せて、少しでも配属を有利にしたい」と内心意気込んでいたに違いない。
 前橋まえばしさんという同期がいた。お茶の水女子大学卒の真面目で熱心な女の子で、以前から経営企画室に行きたがっていたから、隣のグループの私からも分かるくらい張り切っていた。しかし、彼女にとって最悪なことに、同じグループにはあの男がいたのだ。
「もうっっっ! なんで邪魔ばっかりするの⁉︎」
 前橋さんの絶叫が聞こえて、会議室の空気は一瞬で凍りついた。「パーソンズが2020年に実施すべき新規事業」をお題に、それぞれのグループで真剣にディスカッションが行われていた最中の出来事だった。
「邪魔とは失礼ですよ。僕は、前橋さんの素晴らしいアイデアに対して、僕なりの意見を付しているだけじゃないですかぁ」
 沼田だった。前橋さんの悲痛な叫びなんて我関せずといった感じで、会議室の簡素な椅子に、まるで名探偵みたいに深々と腰掛け、腕を組んでニヤニヤと笑っている。前橋さんが、大学時代に教職を取った経験を活かして一生懸命に出す教育関係の事業アイデアを、沼田がひとつ残らず潰す勢いで酷評したようだ。しかもそのコメントは悔しいほどに的確なもんだから、前橋さんはどうしていいか分からなくなってしまって、号泣絶叫してしまったらしい。
「新規事業とか、起業とか、それもエデュテックとか言われちゃうと、黙ってられないタチなんでねぇ。本当に申し訳ないです」
 沼田は、申し訳なさなんて一切感じていなそうな図々しい顔で一応の謝罪をした。
「なんで……」
 前橋さんは小さな目から涙を流しながら、うわごとのような言葉をどうにか絞り出そうとしていた。
「なんで、なんであなたみたいな人がパーソンズにいるの……?」
 パーソンズは人材のことを「人財」と表記するタイプの会社で、「一緒に働きたいと思える人がたくさんいたから」とパーソンズを選んだ内定者も多かった。にもかかわらず、なぜ沼田みたいな人がこの会社にいるのかという素直な疑問が、茫然自失の前橋さんの口から、ポロリと転がり出てきた。
「なんでって、働きたくなかったからですよ」
 前橋さんの、怒りや悲しみ、情けなさなどが様々に入り混じった感情が、「呆れ」に収束してゆくのを私は見た。
「働きたくない……? ならなんで、わざわざこの会社にいるの? 私は、圧倒的成長とか、自己実現とかのために、他の会社を蹴ってパーソンズに入ったのに……?」
「ええ、僕は給料さえ貰えていれば、何をするかとかも正直どうでもいいんですよね。圧倒的成長にも、自己実現にも興味ないですし。だから、この大きな大きな会社で終身雇用に守られながら、他の頑張ってる社員たちが稼いできた利益を毎月チューチュー吸いながら、総務部かなんかでクビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって皇居ランでもやりたいって、面接でそう言って受かったんですよ。つまり僕の人生設計を会社がヨシと認めたってことじゃないですかぁ」
 その噓みたいな話は本当なのだと、人事部の先輩が飲み会で言っていた。人事部でも伝説になっているらしい。宇治田社長が気まぐれに参加した最終面接で、他の役員たちが沼田の発言に凍りつく中、社長だけはゲラゲラ笑って、「面白いな! 採用!」と宣言してしまったという。「最近の学生はいい子ちゃんばかりでつまらない。うちは永遠のベンチャー企業なんだから、破壊的な人間をどんどん採ったほうがいい」と、社長は採用ホームページのインタビューでそう答えていた。気まぐれな思い付きにしか見えない抜擢や奇策が好きな人だから、なるほど、あの人ならやりかねないという気がした。とにかく、沼田はそういう無茶苦茶な理由でパーソンズに入社したのだった。

「沼田綾太郎あやたろう、総務部!」
 妙に格式ばった配属発表式で、人事部長の声が会議室に響いた時、同期の間に微かなざわめきが起きた。総務部。オフィスや社内諸規程の管理、株主総会の運営などをやる部署の重要性を私は頭では理解しつつも、しかし正直に言うと、一番行きたくない部署だった。ひとつ上の先輩社員で総務部配属になった人が、何かの飲み会で「最初にやらされた仕事は枯れた観葉植物の入れ替え」だったと自嘲気味にボヤいて笑いを取っていたし、総務部のことを「人材の墓場」と呼んでもうひと笑い取っていた。確かに総務部にいる人たちを見ると、他の部署で成績を残せなかったとか、コミュニケーションに難があるとか、つまり会社でうまくやれなかったが解雇するほどの理由はない人たちが集められているようで、たまに社内手続きなんかで総務部に行くと、昼間から退屈そうにYahoo!ニュースを延々と見ている中年社員ばかりだった記憶がある。能力もやる気もなさそうな社員たちに囲まれて、枯れた観葉植物を入れ替え続けるような、退屈な日々。「仕事だけが人生じゃない」のだから、退屈な仕事を最低限やって、毎日定時退勤して、それこそ沼田の言うように毎日皇居ランでもする暮らしは、同期のみんなにとっても好ましい選択肢の一つなのではないかと思っていたけど、どうやらそういうわけでもないらしい。どこに配属になったとか、誰がチューターに付いてくれたとか、そういう外からの見られ方にだけ、なぜだかみんな敏感だった。だから沼田が総務部配属になると聞いた時、みんなは「助かった」と思ったのだろう。総務部という最悪のハズレくじを、自分が引く前に引いてくれたのだ。ざわめきの正体はため息だった。安堵のため息。弛緩しきった汚い二酸化炭素が、当の沼田ただひとりを除く同期全員の肺から、一斉に漏れ出たのだった。
 そして、これはどうでもいい話だけど、綾太郎という妙にかわいい彼の名前を私は初めて知った。

 そして憧れの総務部で、沼田は飄々ひようひようとそつなくやっているらしい。新人への洗礼である観葉植物の入れ替えをやすやすと終え、最近は社内の新しいゴミ分別ルール策定なんていう「曲がりなりにも新規プロジェクト」みたいな仕事も担当しつつ、総務部の本家本元である地味な各種雑務も粛々とこなしているようで、総務部のおばさま方からは「今年は珍しくいい子が来たわね」と評判も上々なのだそうだ。周囲の同期たちが先輩社員を真似してややオシャレすぎるジャケパンスタイルに切り替えてゆく中、沼田だけは「わざわざ買い替えるの、面倒じゃないですか」と黒いリクルートスーツを着続けていることもまた彼を「ちゃんとした社会人」らしく見せていた。
 ただ、あの男が周囲におだてられるままに大人しく模範的新入社員をやっているのかというと、そんなことはもちろんない。業務効率がいいのか、それとも1年目総務部員に与えられる仕事量なんてたかが知れているのか、14時とか15時とかには早々に暇になるようで、そこからは沼田の優雅な読書タイムが始まるのだという。
「総務部って、本がいっぱいあるんですよ。壁一面に備え付けられた大型キャビネットに色んな雑誌のバックナンバーが並んでて。うちの部で唯一気合の入ってる部長が『部員たちの自己研鑽のために少しでも役に立てば』って、定期購読している謎の総務業界誌のアーカイブから、他の部で捨てる予定のものまで貰い受けてきて保存してるんです。残念ながら、部員たちはネットサーフィンで忙しいので、読むのは僕くらいのようですが。よく分からない本も混じってて、楽しいですよ」
 配属から少し経ち、久々の研修で新入社員が集まった大会議室の一角で、沼田がそんなふうに自慢にならない自慢をして、周囲を呆れさせているのを私は遠巻きに眺めていた。彼は日々コーヒー片手に心行くまで読書を楽しむと、入社初日に宣言した通り毎日のように定時退勤して、皇居ランをして健康的に汗を流したあと、たまに同期の飲み会にも顔を出しているらしい。一見すると彼も「仕事だけが人生じゃないじゃん」派にも見えるけど、外からの見られ方から自由であるという点で彼らとは少し毛色が違うような気がした。

「ね、プリンちょっと貰っていい?」
 私の返答を待たずして、由衣夏が金色のスプーンを私の皿に向ける。気付けば、お店の入り口の大きなガラス扉の向こうではポツポツと小雨が降り始めたようだった。
 由衣夏と私は、仕事に対する姿勢という点では別のグループに所属しているんだろうけど、こうやって週末にも会うくらいに仲が良かった。由衣夏といると楽しくて、平日は無意識のうちに気を張ってしまっているのがスルスルと解けるような感じがした。栗林たちと仕事のアツい話をしながら飲むのも楽しかったけど、由衣夏と社内のゴシップネタなんかについて話す時間を私は愛していた。
 ただ、不安になることもある。由衣夏は大らかな、裏を返せばやや大雑把というか気の遣えない性格で、今日のこのイタリアンも、彼女は近所の白金しろかね高輪たかなわに住んでいるのに私が探して予約していた。家でゴロゴロしているときに食べログを少し覗くだけで済む話ではあるけれど、友情における不平等条約みたいなものを、彼女といると不意に感じてしまうことがあった。そんなことを思ってしまうことが、自分でも嫌だ。由衣夏がお店探しや予約をしてくれないからといって、それだけの理由で彼女との友情を断ち切るなんてことはできないくせに。それでいて内心グチグチと文句を言いながらも、今日もこうやって、何事もないかのように馬鹿みたいにヘラヘラ笑って彼女と楽しく過ごしている。そんな私はみっともなくてズルいと、きっと帰りの電車なんかで自己嫌悪に陥るだろう。
 当の由衣夏はどう思っているんだろうか? 負い目みたいなものはないのだろうか? デザートのソルベを舐めている彼女の内面に、そんな苦悩はなさそうに見えるけど。
「あ、そういえば同期LINEに流れてた皇居ランのやつ、一緒に行かない? やっぱりダイエットには有酸素だって美容系YouTuberもみんな言ってるし、あと英梨えりちゃんにも久々に会いたいし」
 英梨ちゃん。ソルベをきれいに舐め尽くした由衣夏の口から出てきたのは、ずいぶん久しぶりに聞く名前だった。

    *

「Oh my gosh! 超久しぶりじゃ〜ん!」
 7月上旬の、梅雨の晴れ間の水曜日の夜。たくさんの車線が交錯する気象庁前の交差点の傍らで、ランニングウェアを着た私は、歩道を照らす街路灯の光の中で熱烈な海外式ハグを受けていた。ハグの主は英梨ちゃん。ちなみに、久しぶりに彼女のLINEアカウントを確認したら、昔は「えり」だった登録名が「Elly」に変わっていた。

 英梨ちゃんはパーソンズの「内定者同期」だった。上智大学卒。帰国子女で英語はネイティブレベル。学生時代は世界最大の海外インターンシップ支援団体で理事をやっていた。趣味は海外旅行、特にバックパックの貧乏旅で、温泉巡りと御朱印集めも大好き。
 なぜこんなに英梨ちゃんに詳しいかと言うと、私はパーソンズの一次選考のグループ面接で彼女と同じグループになり、最終面接の待合室でも顔を合わせることになったからだ。「一緒に内定取って、一緒にパーソンズ入ろうね!」と、緊張してガクチカをブツブツと復唱している私を無遠慮に捕まえて、彼女は嬉しそうにそう言った。二人とも無事に内定を取って、私たちは「内定者同期」になったけど、しかし「入社同期」になることはなかった。彼女はパーソンズに入らなかった。彼女は案の定、他にもたくさん内定を持っていたようで、その中から日本橋にある外資系の投資銀行「ゴードン・リチャードソン証券」への入社を決めたのだった。
〈みんなと一緒に働けないのは残念だけど、私はみんなのこともパーソンズのことも変わらず大好きだから、もしよければ今後も仲良くしてください!笑〉
 内定者同期LINEグループがそのまま同期LINEグループになったあとも、なぜか彼女はそこに居残った。他の内定辞退者たちが自らグループを退出していった後、わざわざ彼女だけを外したグループを作り直すのも何となく手間で、私たちは彼女の入っているそのLINEグループを使い続けた。彼女がどこまで頻繁に見ているのかはわからないものの、私たちの日々の飲み会の模様までもが筒抜けになっているはずだ。
 今日のこの皇居ランイベントは、例によって栗林の発案だった。毎日のように飲み会の打診が流れ続ける同期LINEをミュートにしている人も多いのだろう、彼の呼びかけに反応したのはせいぜい10人くらいだったが、私は由衣夏に誘われるままに参加することにした。もちろん、一番珍しいゲストは英梨ちゃんに違いない。〈え、私も職場から近いから行ってよければ行きたいです!笑〉と返信されたら、そりゃ断れるはずもない。
 私たちはパーソンズからほど近い神田橋あたりのジムのロッカーを600円で借りて着替えて、竹橋駅の工事のための仮設フェンスに囲まれた、お堀の脇の狭苦しい広場に19時に集合したのだった。

「Missed you〜! 元気だった〜?」
 アディダスのかわいいピンクのウェアを着た由衣夏は、普段は出さない猫撫で声で英語パートを話すと、英梨ちゃんに熱烈なハグをお返しした。満面の笑み。由衣夏はスポーツキャスター志望だったこともあり、ワールドカップなんかの海外取材にも対応できるようにと、親に頼み込んで2ヶ月ほどユタ州に語学留学に行かせてもらったらしい。そういう背景もあって、というか、まぁたった2ヶ月間の経験ではあるけれど、由衣夏は軽度の海外かぶれという点をもって、英梨ちゃんに不思議な仲間意識を持っているようだった。
 英梨ちゃんは深い緑色の、駅前のブティックで売ってるおばちゃん服みたいな独特の渋みのあるTシャツを着ていて、それが由衣夏の淡いピンクのウェアと合わさって、季節外れの桜餅みたいでちょっとおかしかった。私はテニサーの時に使っていた白い速乾生地のTシャツを着ていたから、私が英梨ちゃんとハグした時は柏餅みたいだったと思う。
 よく見ると、英梨ちゃんの緑色のTシャツの背中にはビッチリと文字が書かれていた。
「ああ、これ? チャリティランのTシャツ。金融業界で集まって、毎年チャリティのマラソンイベントやってるんだよね。内定者時代にボランティアで運営を手伝ったら、記念品で貰ったんだ。超cuteだよね!」
 文字に見えたものは企業ロゴだった。人気女優が結婚した「一般人男性」が勤めていることで有名な外銀のほか、外コンや外資系保険会社の社名なんかがちらほら見えた。私は知らない会社も多かったけど、そこらへんの事情に詳しい港区女子が見たら狂喜するくらいにはすごいラインナップなんだろう。

 一周5キロのランを無事に走りきれるだろうか……と不安だったけど、いざ走り出してみるとどうにかなるもので、1キロ8分というだいぶゆったりしたペースではあったけれど、私は意外なほどにケロッと完走してみせた。一緒に走っていた由衣夏はかなりしんどそうだったけど、英梨ちゃんはほとんど息が上がっていなかった。
「うちの会社、トライアスロンとかやってる人多くて、私も影響されて最近トレーニング始めたんだ」
 TriathlonにTraining。センター試験のリスニング試験みたいな綺麗な巻き舌で英梨ちゃんはそう言った。彼女がこの4月から住んでいるというもと麻布あざぶの広めのワンルームの部屋の窓からは東京タワーが見えるらしい。家賃いくらなんだろう、と下品なことを考えてしまった。「うちの会社」。私の周りは、私もそうだけど「学生時代に一番力を入れたことは飲み会です」みたいな友達ばかりだったし、留学に行ったりTOEICの勉強を頑張ったり、就活で外銀とか外コンとかを受けたりするような人はあまりいなかったから、英梨ちゃんの言う「うちの会社」が一体何をしている会社で、そこで英梨ちゃんが何をしていて、どれくらいの給料を貰っているのか、全く想像ができなかった。

「実際、給料いくら貰ってるんですかぁ?」
 私が一番聞きたかった下品な疑問を、丸の内のモダンメキシカンの賑やかな店内で英梨ちゃんに投げかけてくれたのが、沼田だった。皇居ランを愛する者として今日のイベントを見過ごせなかったのか、誰に誘われたわけでもなかろうに、勝手に参加していた。
 皇居ランを終えた一行は、ロッカーに戻ってシャワーと着替えを済ませたあと、パーソンズの同期飲みでよく使う丸の内のモダンメキシカンのお店に向かい、人数分のハートランドが揃うと栗林の音頭で乾杯した。ロッカーでポカリをごくごく飲んだ私の体は、まだまだ足りないとでも言うようにビールをぐんぐん吸収した。適当に頼んだナチョスやらセビーチェやらがテーブルに届く頃には、私たちは自然と近くの人同士で、いくつかのグループに分かれて会話していた。一番端っこに座った私の向かいには由衣夏が、隣には英梨ちゃんが座っていた。そして、英梨ちゃんの向かいには沼田が陣取り、例の質問をニヤニヤと笑った顔の、醜く歪ませた口の隙間から吐き出したのだった。
「私はバックオフィスだし、まだ1年目だし、多分みんなとあんまり変わらないよ。ところで沼田くんはどんな仕事してるの?」
 上品にかわした英梨ちゃんは、それ以上の追及を嫌がったのか話題を強引に変えた。
「僕? 英梨ちゃんと同じくバックオフィスなんだけど、社長命令で新規プロジェクトやってるんだ」
「え〜すごい! 新規プロジェクトって、具体的には何やってるの?」
「エレベーター」
「エレベーター?」
「うん、オフィスのエレベーターが、出社ラッシュの時間に恐ろしく混むから、それをどうにかしろって社長から総務部に直々に命令があってさ」
 エレベーター。自信満々といった感じの沼田が嬉々として語る話を、英梨ちゃんはややポカンとした顔で聞いていた。

 通勤時間帯のエレベーターの混雑は、以前から社員にいたく不評だった。エレベーターホールには人が溢れ、ひどい時は5分くらい待たないと乗れない日もある。遂に宇治田社長が「総務部は何をボーっとしてるんだ」と役員会議でブチ切れたらしく、改善命令が総務部に下った。おそらくは総務部長の「若いうちから大きな裁量が与えられる」とか「地味な仕事だけでなく社外とも連携した新規プロジェクトを経験できる」とか、そういう宣伝文句でこの不人気部署の現状を少しでもマシなものにしたいという下心もあったのだろうが、とにかく沼田がプロジェクトリーダーに指名されたらしい。
 それで沼田は最近、エレベーター業者の人とお昼時の混雑したエレベーターホールをウロウロして、自らが取り組んでいるその偉業を周囲の人にアピールしたいのか、専門用語なんかをたっぷり織り交ぜながら、わざとらしい大声でディスカッションしていた。例の読書タイムにもより熱が入っているようで、用事があって総務部の脇を通りがかったときに沼田のデスクを覗いてみると、エレベーターに関係があるのかないのかも分からない、小難しそうなタイトルのシステム開発の本を楽しそうに読んでいた。最近の沼田の堂々たる表情を見る限り、彼は自分の仕事にひどく満足しているようだった。素晴らしいことじゃないか、と私は思ったが、同期のみんなは違った。そんな沼田のことを「なんか最近、頑張っちゃってるらしいね」だなんて揶揄して笑う人が、やけに多いのだ。

「エレベーターの魔術師」。沼田は最近、同期の間でそう呼ばれるようになっていた。
 なるほど、みんなの総務部や沼田に対する不思議な態度を見て理解した。彼らの耳には「仕事だけが人生じゃない」という現代社会の発する正しい声が届いているのだが、しかし人間の考えなんてそんなにすぐには変わらない。仕事で評価される以外の人生の歓びを、彼らはいまだに見つけられない。彼らは結局のところ競争の子だ。何もしたくないけれど、でも誰かより少しだけ勝っていたい。それで、これまで学歴を自慢してきたように、どこに配属になったとか、誰がチューターに付いてくれたとか、そういう外からの見られ方、つまりステータスで自分を表現することにしたのだろう。同期と飲んで「その部署は完全に出世ルートでしょ」とか褒め合いながら、「でも仕事だけが人生じゃないからね」と、ハードワークしてバリューを出すわけでもない自分の怠惰さに向き合うことから上手に逃げている。立派な大学を出た賢い彼らは、そうやって上手に自分を好きになってあげる、そしてその満ち足りた自己愛を交換するすべを、見事に編み出したのだ。

「魔術師」というニックネームには、彼らの非常に複雑な感情が含まれているのだろう。総務部「ごとき」の仕事に本気になっちゃって、という侮蔑ぶべつと、にもかかわらず社内で目立つ存在となっていることに対する微かな嫉妬しつとが、そこには入り混じっているようだった。「社長直属のプロジェクトリーダー」だなんてやる気満々で張り切っちゃってるけど、所詮はあの総務部の、会社に1円の利益も生まない仕事に過ぎない。そんな仕事を頑張ったところで、沼田が自分よりも価値ある人間になれるはずがない。当然、「エレベーターの魔術師」が新人賞レースに絡むなんてことは、絶対にあってはならない。それは彼らが、会社の中で足踏みをしている自分の尊厳を守るための切実な心の叫びなのだろう。
 しかし、「クビにならない最低限の仕事」しかやらないと宣言していた沼田が、たとえ上司からの職務命令とはいえ、今回のエレベータープロジェクトだけでなく、総務部のお局たちを感心させるほどの仕事をやっているという事実は、あの宣言を目の前で聞いた私にとっては意外だった。入社してから3ヶ月が経つが、その間に沼田の中で何か心境の変化みたいなものがあったのだろうか? それとも、この矛盾したふたつの態度には、彼なりのひそかな意図が隠されているのだろうか?
「やっぱり、個人的には三菱みつびし電機のエレベーターが一番なんですよ。上等なシャンパーニュの立ちのぼる泡のような心躍る加速、そして女王をエスコートするジェームズ・ボンドのごとくエレガントな減速……僕くらいになると、乗ればすぐ分かるんですよ。目を瞑って乗ったって分かる」
 同期たちの冷たい目線にはちっとも気付いていない沼田の、誰も興味を持っていないエレベーター談義は延々と続き、英梨ちゃんは引き攣った笑いのままで、せっかくパリパリだった700円のナチョスは少しずつ湿気ていった。

    *

「次は浜松町はままつちよう」「次は田町たまち」「次は品川しながわ
 五反田駅に向かう山手線は、今日も飽きることなく元気にぐるぐると回っている。朝の通勤ラッシュを終えた車内はガラガラで、9月のまだ濃密な陽光が乗客のいない床の上を跳ね回っている。
 最近、私は気分が良かった。試行錯誤の末にようやく自分の営業の型みたいなのができてきて、営業成績が安定的に伸びてきているのだ。それは単なる「慣れ」の話なのかもしれない。ドラマでは「上司から一子相伝の営業心得を教えてもらえた途端にメキメキ売れるようになる」みたいな展開がたまにあるけれど、実際のビジネスの現場ではそんなことは稀だ。今の私みたいに、何となく売れるようになって、何となく自信が付いて、そうなると堂々と営業トークなんかができるようになって、それでまた何となく売れるなんていう、地味な展開が現実なのだろう。とにかく私は8月のノルマをどうにかクリアしたのを皮切りに、9月は序盤から五反田でドミナント出店をしている串焼き居酒屋チェーンの新規大型受注(と言っても30万とかだけど)を獲得、日頃の手厚いサポートが評価されて既存顧客からの継続受注や追加受注も取り付けて、月の半ばには早くもノルマをほぼ達成していた。
「まだまだ直さなきゃいけないところはあるけど、まぁ成長したんじゃない? この調子で引き続き頑張って」
 ある日の詰め会で、いつものように細々とした改善点をいくつも指摘しながらも、浜口課長は私のことを普段と同じ事務的な口調で、しかし確かに褒めてくれた。ありがとうございます、となるべく素気なく答えてデスクに戻り、コーポレートカラーのかわいい黄緑色のクッションがついたワークチェアに深々と腰掛ける。表には出すまいと我慢していたけど、それでも心の中で、静かな喜びがどうしようもなく、プクプクと湧き上がってくる。
 その日も19時過ぎには退勤できたので、私は神田橋のジムに着替えに向かった。同期の飲み会からは気付くと足が遠のいてしまっていた。彼らの自意識に対する意地悪な気付きを経て、何となく居心地が悪いような、そこにいることが彼らとの共犯関係を深めてしまっているような気がしたのだった。それで私は、一人で皇居ランを始めることにした。
 夜の東京の景色が目まぐるしく変化してゆく。車がビュンビュン行き交う片側四車線は国立近代美術館を過ぎるとぐっと狭まり、まるで高原の散策路のような深い緑に囲まれた道が続く。TOKYOFMのビルの先は緩い下り坂。最高裁判所や憲政記念館、暗い木立の奥に眠る鯨みたいな建物をぼんやりと眺めながらお堀の脇を走り抜けると、急に視界が開けて、丸の内のビル群が金色の光の粒子をまとって姿を現す。
 走るとき、私は孤独だ。走り始めは仕事のことを考えたりもするけれど、一段落すれば自然に内省が始まる。こうやって一人でぼんやりと考え事をしながら過ごす時間を、私は随分久しぶりに持った気がする。

 クールダウンのために最後は少し歩いて、スタート地点の竹橋の広場に戻ってくる。高層ビル群の隙間の奥に、パーソンズの本社ビルがチラリと見えたが、バイト営業部が入る8階には照明がついていた。きっとまだ、浜口課長はオフィスで働いているのだろう。部下にストイックな業務姿勢を要求する彼女は、他ならぬ彼女自身に対してとびきりストイックだった。残業時間制限をかいくぐるため、土日はもちろんのこと、年末年始もサービス出勤をしているという噂まであった。
 そんな浜口課長になぜこうも惹かれるのかという疑問に、私は自分なりの答えを持つようになっていた。彼女は、ある意味で私のことを人間だと思っていない。彼女自身のこともそうなのだろう。浜口課長は、会社において人間は売り上げを生み出すための大きな機構の部品だと認識している。だから、猫撫で声で部下の機嫌を取るとか、たまに飲みに誘ってやるとか、そういう湿っぽいコミュニケーションは不要だと考えている。上司は部下がなるべく多くの売り上げを作れるよう監督指導しさえすればいいし、部下はその通りに動いてなるべく多くの利益を達成しさえすればいい。そうしたドライな関係を築くことが難しければ、異動でも転職でもすればいい。だから彼女は私たち部下に平然と厳しい指摘を伝えるし、期待されるバリューを発揮できていなければ容赦なく悪い評価を付ける。その代わり、先月の私のように成果を出せば褒めてくれる。不器用ではあるけれど、それが彼女なりの部下を愛する方法であり、私にはそれがピタリと合うようだった。それはきっと理屈なんかではなく、生まれつきの心の形の問題なのだろう。単純で純粋で、そしてひどく公平なその関係性に、私は心の底から満足していた。
 言われてみると、昔からそうだった気がする。KYという単語は遥か昔に死語になったが、私が育ってきた時代のキーワードは間違いなく「空気」だった。空気を読んで、その場その場に相応しい言動を、いつの間にか共有されていた透明のマニュアルブックから即座に引用する。それが苦手な子は、皮肉なことに空気のように透明になってゆく。それは「正しい」行動を等価で交換し合うゲームでもあった。欲しいものを、欲しい分量で相手に届ける。過不足があると「空気が読めない」と言われる。心と心の触れ合いなんかではなく、TPOをよくわきまえた笑顔で、「してほしいこと」をやりとりすることの単調な繰り返し。現代においては悪しき伝統として取り扱われるそれが、学生時代の私にはなぜだか心地よかった。むしろ、親しい間柄になった途端、密室で突如として開示される人の生々しい感情や欲求のほうが苦手だった。
 浜口課長は違う。彼女と私との間には、メリットの相互提供という無味乾燥な関係しか存在しない。人としての情とか、利害を超えて愛し愛されるなんていう美しい期待が一切排除された彼女のその振る舞いが、心地よかった。
 そこは私にとって、生まれて初めて見つけた安全な場所だった。応分の報酬を誰かに図々しく求めてしまう自分のままでいることを許されて、思いっきり息ができるような気がした。長い長い酸欠の苦しみから、この大手町の冷たいガラスのビルの中で、ようやく解放されたのだ。

 ただ同時に、彼女とのその関係が世間一般に受け入れられるものではないことにも気付いていた。うちの部署に、中川なかがわさんという私の一つ上の男の先輩がいた。この春から浜口課長の厳しいご指導を受け始めた彼は、彼女と徹底的に合わないようで、いつも真っ青な顔で出社していた。
「中川くんはちょっと事情があって1週間ほどお休みすることになりました、業務のカバーは別途指示するので対応お願いします」
 中川さんが突如として会社に来なくなった日、浜口課長は朝会で事務的にそう告げた。前任の課長時代よりもグッと高く設定されたノルマや、それを実現できないことへの課長からの毎日の「ご指導」が、彼のメンタルをむしばんでいたことは誰の目にも明らかだった。「色んなことから逃げてきた弱い自分をパーソンズで変えたい」と公言し、だからこそバイト営業部への配属を希望したという中川さん。しかし弱い自分を変えることはできず、おそらくはそのまま倒れてしまった彼の、いかにも気の弱そうな色白な顔を思い出す。「バリュー」を当然のように求めてくる浜口課長のやり口が私は好きだけれど、残念ながらそれは現代的なものではないということに、私も薄々気付き始めていた。
 そして浜口課長との関係、という基準点ができたせいで、他のあらゆる関係の何がダメなのか、何が足りないのかが無慈悲にも照らし出されることになった。私は気付けば、由衣夏との、それから母との関係について考えていた。

    *

〈ね、英梨ちゃんの皇居ランのやつ一緒に行かない?笑〉
 夏の余韻はすっかりぬぐい去られて、窓の外には10月の重たい曇り空が見えた。この〈笑〉は何だろう、と、週末に自宅の2階の自室のベッドに寝転びながら私は考える。こういうある種の媚びを含んだコミュニケーションを、由衣夏はさほど仲良くない同期に向けることはあっても、少なくとも私にしてきたことはなかった。そういえば最近、由衣夏とは全然連絡を取っていない。由衣夏とのやり取りはいつも私から発信されていたから、私が連絡を怠ると自然と二人の間に交流はなくなる。この数ヶ月で私は由衣夏にとって「さほど仲良くない同期」の一人になってしまったのだろうか。それとも、由衣夏にとって私は元から「特別仲のいい同期」なんかじゃなかったのだろうか?

 事の発端は、英梨ちゃんのパーソンズの同期LINEへの投稿だった。
〈久しぶり! みんなまだ皇居ランやってる?笑 この間楽しかったから、ゴードンの同期で皇居ランサークル作ったのだけれど、パーソンズのみんなとも一緒にやれたらいいなって〉
 彼女はまだLINEグループに入っていたのか、とまず思って、そういう敵意じみた気持ちを英梨ちゃんに対して自分が持っていることに驚き、そのまま返答を保留した。由衣夏からのメッセージに対しては、1分近く書いては消しを繰り返して、絵文字も、もちろん〈笑〉も使わず、〈由衣夏も行くなら行く!〉と、素知らぬ顔で返信した。いかにも親しい間柄らしい、そのたった11文字を無事に送信したらどっと疲れて、私はスマホを投げ出して、思考放棄のための眠りに落ちていった。

 英梨ちゃんの皇居ランは2週間後に開催された。前と同じ水曜日の19時スタートで、開始場所も竹橋の仮設フェンスに囲まれた広場だった。二社合同皇居ランという得体の知れなさのせいか、パーソンズ側は前回からさらに参加者が減って、由衣夏と私、栗林、そしてなぜか沼田という4名だけだった。ゴードン側は「業務が忙しい人も多くて」と、英梨ちゃんを入れて3人しか来ていなかったから、だいぶこぢんまりした会になった。
 面白かったのは、英梨ちゃんが連れてきた同期の男と女が、双子かと思うほどに似た見た目をしていたことだった。男女の体格差はあれど二人とも高身長で、肌はツヤツヤと内側から光を放っており、濃い眉の下の二重ふたえまぶたが作る陰影には、絶対的な自信がくっきりと刻まれていた。自分はどこに出しても恥ずかしくない存在だという揺るぎない確信を、ランニングウェアに包まれたモデル体型のあらゆる部位から惜しげもなく発散させていた。
 参加者の属性が変わったところで皇居ランのコースが変わるわけもなく、その日も私はいつも通りキロ8分をやや切るくらいの軽いペースで完走した。栗林は序盤に飛ばし過ぎたらしく、桜田門のあたりで腰に手を当ててしんどそうに歩いているところを追い抜いてやった。外銀の「双子」は二人ともスタート直後から背中がどんどん遠くになり、千鳥ヶ淵のあたりからまったく見えなくなった。私がゴールに着く頃には二人はクールダウンのストレッチをしながら談笑していて、その光景はまるで会社説明会で配られるパンフレットによく載っている「退勤後も同期たちと充実した時間を過ごしています♪」というキャプションのついた写真のようだった。彼らは笑うとき歯をニッと剝き出しにする癖があり、歩道の冷たいライトのせいか、そのトウモロコシみたいにぎっちりと等間隔に並んだ歯が場違いなほどに輝いていた。

「実際、給料いくら貰ってるんですかぁ?」
 前回に続き参加していた沼田のデリカシーのなさに噴き出しそうになる。私たちは神田駅西口にある、会社の若手の飲み会でよく使う肉ビストロにいた。沼田は、生の春菊の山盛りサラダを勝手に頼み、ヤギみたいにモシャモシャと頰張っていた。人生の様々な葛藤からこの男だけはまったく自由で、パーソンズに入る前と後で、驚くほどに変化がないように見えた。
「……まだ1年目だし、多分みんなとあんまり変わらないよ。ところで沼田くんはどんな仕事してるの?」
 双子の兄のほうが、いつかの英梨ちゃんと全く同じように淀みなく答える。外銀業界では、この手のダルい質問を躱すためのマニュアルが整備されているんだろうか。
「僕ですかぁ? 最近まではファシリティ関係の新規プロジェクトやってたんだけど、もう終わりそうなんです」
 ファシリティ関係の新規プロジェクト。ものは言いよう、がどんどん洗練されていると感じつつも、それよりも「もう終わりそう」が気になった。
「へぇ! 新規プロジェクトか、詳しく聞かせてよ」
 そうして沼田は、待ってましたという顔で嬉々としてエレベータートークを始めた。かつて英梨ちゃんを呆れかえらせたその話を、しかし双子の兄はいやに目を輝かせて聞いていた。
「すごい! いや、本当に感動してるんだ。アプローチがアジャイル的というか、現代的なプロジェクトマネジメントの実践そのものだよ。やっぱりその手の本を普段から結構読んでるの?」
「おっ、話が分かる人がいるもんですねぇ。そうなんですよ、プロマネに関して言えば、最近だとやっぱりシステム開発領域が一番先進的ですから、エレベーターの問題に取り組むとなった場合でも、エンジニア向けの本なんかを読むことになるんですよね。でも周りから見たら、関係ない本を読んで遊んじゃって、とか言われるんだから! 無知は罪ですよ、まったく」
 二人で大爆笑。沼田と馬が合う人間というのを私は初めて見た。エレベーターのプロジェクトなんて、所詮は会社に1円も直接的な利益を生み出さない、社長命令と言えば聞こえはいいけど社長の適当な思いつきで始まった適当なプロジェクトに過ぎないのだと、同期たちはみんな自分に言い聞かせていたから、今日のこの光景はひどく意外なものだった。
「ねえ、ずっと聞いてみたかったんだけど、日系の会社ってチャリティ活動がないって本当?」
 双子の兄のほうは沼田と相変わらず盛り上がっている一方で、今度は双子の妹のほうが隣に座る私に問いかけてきた。青と白のチェック模様のかわいらしいクロスが敷かれたテーブルの天板の上で、彼女はワイン通の芸能人がテレビでやるみたいに赤ワインのグラスをぐるんぐるん回していた。そんなおじさんめいた所作も、毛量の多いロングヘアーの黒髪に化粧の薄い、しかし目鼻のはっきりした彼女がやると、嫌味なくらいに堂に入っていた。
「チャリティ?」
「例えば私は、児童養護施設で進学サポートをやったり、多摩に行って植林したり、あと最近は、海亀の産卵環境を守るために、小笠原のビーチを清掃したりしてるよ」
「……それ、会社から給料出るの?」
「まさか! チャリティだから無給だし、むしろ少額だけどこっちが寄付金を出してるくらい」
 春子はるこちゃん、という古風な名前らしい妹が言うには、彼女の会社には無数のチャリティ・プログラムが用意されていて、社員はそこから興味があるものを選んで週末に自主的に参加するのだそうだ。さもしい私を牽制するために、春子ちゃんはご丁寧に「もちろん」と冒頭に付けた上で、チャリティへの参加は会社の評価に無関係なのだと説明してくれた。
「もともと社会に好ましい影響を与えられる人間でありたいって思ってたから、チャリティに積極的なコミュニティの一員であることに、私は誇りを持ってるんだ」
 会社のウェブサイトのCSRのページに書いてあるようなことを、春子ちゃんはスラスラと口にした。その真っ直ぐな目。彼女はファッションや実利のためなんかではなく、本心でチャリティを愛しているのだと理解した。彼女は「社会に好ましい影響を与える」という人生の目的を人生のどこかで見つけて、それを軸に会社も選んで、実際にチャリティ活動をやっている。英梨ちゃんが着ていた例のチャリティランのTシャツを部屋着にして、ふと洗面所の鏡に映ったTシャツと自分の顔を見て、ニコリと満足げに笑うのだろう。
「え、それって本心で言ってるんですか?」
 そんな美しい光景に対する私の想像を無遠慮にぶち壊したのは栗林だった。
「え、どういうこと? もちろん本心だし、実際に来週も小笠原に行くよ」
「だって、外銀って超競争社会なんじゃないの? そんな業務外の、綺麗事みたいな趣味をやる余裕なんてあるの?」
 その刺々とげとげしい言葉とは裏腹に、栗林は決して喧嘩腰という訳ではなかった。おそらく栗林は、純粋に困惑しているのだろう。失われたヤンキー文化に憧れる彼のことだから、外銀のことを競争社会だと、かつてのパーソンズのような素晴らしい場所だと認識しているのかもしれない。それで、ライバル意識と同時に親近感を持っていたはずが、拍子抜けしてしまったのだろう。
「そりゃ、他の業界より激務だろうし、社内の競争もシビアだけど、私たちはただ競争で勝つためだけに仕事してるわけじゃないよ。だって、人生って仕事だけじゃないし、仕事も競争だけじゃないでしょ? 人生を豊かなものにするためにも、仕事でこそ競争以外の価値を大事にしなきゃ。だから、私は仕事も頑張るし、チャリティも頑張る。もちろん、チャリティ以外にも楽しいことをもっと見つけたくて、最近はサーフィンも始めたんだ。ダイビングの資格も取りたいし」
 普段から自分の人生哲学を明確に認識し、うっかり何かに熱中してその道から外れたりしないよう毎日読み返しているのだろうか。春子ちゃんは少しも言い淀むことなく立派なスピーチをぶってみせた。栗林は、それをどう受け止めていいものか未だに分からないようだったけど、しかしその異様な説得力に気圧けおされて、とにかく分かったように何度か頷いて、そのまま黙り込んでしまった。
 双子の兄と沼田は、そんな不思議な諍いなんて聞こえないくらいに熱中してまだ話し込んでいる。話題は巡りに巡って、最近のスタートアップの資金調達環境の話になっているようだった。兄はここ数年のうちに起業するつもりらしく、週末副業として大学時代の友達がやっているベンチャー企業を手伝っているのだそうだ。
「……ほら、例えば修平しゆうへいくんも、東大のゴルフ部出身だから今でもほぼ毎週ラウンドに行ってるし、年末年始は毎年家族で1週間くらいニセコに泊まってスキー合宿するんだって! 相当な激務だっていうのに、超人的なバイタリティだよね」
 栗林のせいで生まれた気まずい空気をどうにかしようとしてか、向かいに座っていた英梨ちゃんが、多少の無理を含んだ明るさで修平くんを褒める。修平くんとは双子の兄のことで、聞き慣れない用語が頻出する英梨ちゃんの説明を私なりに嚙み砕いた限りでは、彼はどうも投資部門みたいなところにいるらしい。
「今はOpsやってるけど、FICCセールスの人に誘われてるからモビリティしようかな〜」
 ラーメン二郎のコールみたいな呪文を唱え、英梨ちゃんは微笑んだ。彼女にとって修平くんは憧れの存在で、いつか自分もFICCセールスとやらに異動した暁には手にするであろう価値を先行して示してくれる人間でもあるのだろう。

 ぐるぐるぐるぐる。春子ちゃんに触発されたのか、英梨ちゃんも修平くんも、お店の定番メニューのハラミステーキに合わせて頼んだ重めの赤ワインのグラスを回していた。
 私は理解した。彼らは、私たちとは根本から違う。彼らは仕事以外に存在するであろう自分の人生のゴールを明確に理解しているか、熱心に探そうとしている。何をすれば自分が満足するのかを、おそらくは幼い頃からのたゆまぬ熟考によって既に見出しているか、それが分からないとしても、とにかく他人がいいと言っているものを片っ端から試してきている。彼らは人生を前に進めたいという強靭きようじんな意志と、その意志を実現するための無限に湧き出すバイタリティを持っている。
 トイレに行った時スマホで検索したら、私たちと彼らの年収には早くも相当な差があったし、その差は年々大きくなってゆくし、職位が上がれば青天井だという。その分、彼らは想像を絶する労働量をこなしている。その上で、週末にはチャリティやらサーフィンやらスキーやらを平気でやっている。「むしろ何もしていないと気が変になりそう」だと春子ちゃんは言っていた。エンジンというか、オペレーションシステムというか、そもそも人間の作りが違うのだ。
「仕事だけが人生じゃないじゃん」
 安いお酒を飲みながら、せいぜい社風やマネージャーに関する悪口を言い合う以外に人生の選択肢を持たず、それを見つけようと努力することもしない私たちパーソンズ2019年入社組のその言葉は、彼らの前であまりに軽いもののように思えて仕方なかった。

 私は由衣夏と久々にゆっくり話したかった。そのために今日のこの皇居ランに参加したはずなのに、当の由衣夏は英梨ちゃんと、それから春子ちゃんと話し込んでいた。二人から仕事の話をやけに熱心に聞いて、しきりに頷いている。その傍では、修平くんと沼田の白熱したベンチャー論議がまだ続いているようだった。どちらの話にも交じれない私と栗林は、左右で交わされるキャッチボールを曖昧に目で追って、たまに愛想笑いなんかもしたりして、居心地の悪さをなるべく消そうと試みていた。
「しかし沼田くん、すごい知識量だね! まさか、起業にも興味あるの?」
 修平くんが上機嫌でそう言いながら、空になった沼田のグラスに赤ワインを注ぐ。褒められて気を良くして、自分も「向こう側」にいる価値があると思い込んでしまっているのか、沼田もワイングラスを「ぐるぐる」させていた。
「いえ、お金をたくさん稼ぐことにも、成功者として西麻布あたりでイキることにも興味はないですから、自分で起業するつもりは特にありません。大学の頃に意識高い系のビジコンサークルにお遊びで入ってたから、昔取った何とやらでちょっと詳しいだけですよ」
「あ〜、うちの大学にもあったよ、ビジコンサークル。申し訳ないけど、僕、あんまり好きじゃなかったな。いや、沼田くんを責めてるわけじゃないんだ。あの手のサークルによくいる、いつか起業したいとか言っといて、頑張ってる人間を偉そうに評価して、それで結局起業もせずに、のうのうとサラリーマンになる連中が苦手なんだ。沼田くんがいたサークルで、実際に起業した人っていた?」
「……一人だけ、いましたね。今は怪しい、ほとんど詐欺みたいな事業をやってるらしいですけど。昔からビジネスのセンスがないやつだったから、仕方ないのかもしれませんが」
 いつもの沼田の、高台から人を見下すような余裕の微笑みがその一瞬だけ、ほんの少しだけ曇ったような気がした。それが一体どんな経緯によって作られたどんな感情なのか、私にはさっぱり分からなかったけれど。
 慣れない赤ワインを結構飲んでしまったこともあり、帰りの新宿線の中では頭がずっとふわふわしていた。しかし、その気持ちよく弛緩した時間も、電車が本八幡に近付くにつれていつもの厳粛さを取り戻していった。腕時計を見ると22時54分。微妙な時間だ。微妙というのは、お母さんがまだ起きている可能性が高いということだ。
 2年前の秋にお父さんのニューヨーク駐在が決まって、夫婦の話し合いの末にお母さんは日本に残ることを決めた。それはおそらく、就活と、その後の慣れない会社勤めで色々と不安になるであろう娘をサポートしてあげたい、という彼女の強い希望によるものだったのだろう。事実、お母さんは毎日、私のために健康的なごはんを用意してくれた。私が外出している間にリビングやお風呂を掃除してくれた。玄関の飾り棚に置かれた花瓶に、季節のうつくしい花を挿してくれた。その、全く完璧に整えられた家に、私は酔っ払ったまま帰るのが苦手だった。
 それで私はいくつかの抜け道を用意していた。ひとつは帰らないこと。大学の頃は、高田馬場たかだのばばの安居酒屋での飲み会が終わると、下落合しもおちあいあたりで一人暮らしをしている地方出身者の家に押しかけて朝までオールで宅飲みをした。翌朝は電車の中でポカリの大きなペットボトルをがぶ飲みして酔いを覚まして、素知らぬ顔で家に帰る。大学の頃ならそれでよかったが、社会人になるとそうもいかない。もうひとつの抜け道は、お母さんが寝たあとに帰ること。お母さんは夜ごはんの片付けが終わるとすぐにお風呂に入って、テレビを見たり本を読んだりして、23時前には寝てしまう。お母さんが寝る直前の22時半とかに帰ってしまうと、お母さんは私がお風呂に入って、「おやすみ」を言ってから2階の部屋に戻るまで、何時まででもずっと起きている。それが申し訳なくて仕方ないから、お母さんがまだ起きている時間に帰宅しそうになると、23時半までやってる駅前のガストでコーヒーでも飲みながら時間を潰して、お母さんが確実に寝ている時間に静かに鍵を差し込むのだった。そうしてドアを開けた時に、玄関の電気が死んだように消えていて、ドアの隙間からひんやりとした空気だけが流れ出てくると、後ろめたさを孕んだ不思議な安心感を覚えた。

 本八幡の駅に着いたのは23時過ぎ。このままゆっくり歩いて帰れば家に着くのは23時半くらいになる。それなら大丈夫だろうと、私は酔い覚ましのホットコーヒーを駅前のコンビニで買って、啜りながら歩いた。私は一体いつまで、こんなふうに暮らさないといけないんだろうか? 一人暮らし、という選択肢が、最近しばしば浮かんでくるようになり、大手町に通いやすく同期がたくさん住んでいる門前仲もんぜんなかちようあたりの賃貸物件情報を暇潰しに見るようになった。パーソンズの給料なら、広さにこだわらなければ築浅で駅近の物件が借りられる。家事ができるか不安だったけど、食べ物にこだわりがあるわけでもないし、適当に野菜スープでも作って食べればいい。洗濯だって、奮発してドラム式洗濯乾燥機を買えば手間がかなり減ると由衣夏が言っていた。お風呂掃除は週末に頑張ればいいし、素敵なお花なんて飾らなくても日々は淡々と過ぎてゆく。あとは敷金や礼金などの初期費用だけど、年末に冬のボーナスが出れば足りるだろう。合理的に考えれば、職場までドアトゥードアで1時間かからない東京近郊の実家で、「お金なんて入れなくていい」と言ってくれるお母さんが何から何まで全部やってくれるのだから、わざわざ高いお金を払って一人暮らしをするなんて理屈に合わない。でもこれは理屈を超えた話なのだと思う。いつか家を出ようという、そのいつかを強い意志で手繰り寄せないと、私を長らく包み込んできたこの非致死性の柔らかな息苦しさから、永遠に抜けられない気がした。

 家に着いたら、道路に面した小窓のカーテンの隙間から、温かな光が薄く漏れ出ていた。お母さんはまだ起きている。そういえば今日は、「遅くなるので先に寝てて」とLINEを送ろうとして、なんとなく送信ボタンを押す親指が重たくて送れていなかった。連絡をよこさない私を心配して、わざわざ起きていてくれたのだろうか?
 これからどうしよう。家に入って、「連絡しなくてごめんね」と、申し訳なさそうな顔をしてお母さんに謝る? それともここにこのまま立ち尽くして、電気が消えるのを待つ? 安らぎに満ちているはずの家の目の前で、こんな時間に私は何を悩んでいるんだろう。手に持っていたコーヒーの熱は、誰もいない秋の深夜の住宅街の空気に奪われて、今すぐ放り出したいくらいに生ぬるくなっていた。

    *

 翌週の朝、1通のメールを巡って社内がザワついていた。

〈【ご協力のお願い】10月21日〜 エレベーター新運用ルールのテストを実施します〉

 総務部代表からのメールで、末尾にはちゃんと「担当者:沼田」と書いてあった。
 先週、広報部にいる同期が「『エレベーターの魔術師』に聞いた! 混雑緩和かんわ、どう実現? 〜前編〜」という取材記事をWeb社内報に載せたこともあり、突如として沼田の名前は社内で広く知られるようになっていた。記事には、エレベーター混雑緩和プロジェクトの発足経緯や、沼田が作ったらしい小難しい分析表みたいなのは載っていたけど、肝心のソリューションについては「来週の発表を待て! 乞うご期待」と、下手な煽り文しか書かれていなかった。ここ数ヶ月、見せつけるかのようにエレベーターホールであれほど魔術師らしい振る舞いをしていた沼田が振るう魔術とは一体どんなものなんだろう? 自分の暮らしと無関係なスポーツの日本代表戦を見守るような気軽な感じで、みんな沼田に注目し始めた。
 翌週、当のエレベーター新運用ルールが発表されると、また別のザワつきが起きた。今度のそれは、みんなのうっすらとした期待が裏切られたことの、失望の笑いだった。みんなが想像していたのは、セキュリティゲートに小さな液晶画面が埋め込まれて、カードを機器に押し当てたら液晶に「あなたはこっちのエレベーターに乗ってください」と表示されるとか、何と言うかこう、分かりやすくカッコいいソリューションだった。エレベーターの混雑緩和みたいな、あまりに地味なプロジェクトにはせめてそれくらいの派手さが欲しかった。
 だが実際に行われたのは、エレベーターの階数ボタンにいくつかの「バツ印」が印刷されたシールを貼る、というだけのことだった。あるエレベーターは10階までの偶数フロアに、別のエレベーターは11階から先の奇数フロアに……と、エレベーターごとに停止するフロアを制限するために、管制システムみたいなものを変えるわけでもなく、安っぽいシールをボタンに貼っただけ、という超アナログな施策だった。「社外のお客さんも数多く訪ねてくる自社ビルなのに、シールだなんてみっともない」「やっぱり、魔術師なんて言っても所詮は総務部配属のポンコツか」自分たちを安心させるかのように、みんな彼のことを笑った。
 しかしその笑いはすぐに止んだ。どういう理屈なのか、原価にして数百円程度の施策によって、毎朝のエレベーターの混雑は分かりやすく解消されてしまったのだ。人を食ったようなその作戦を社長も随分お気に召したらしい。まずエレベーターに乗って現物のシールを見て大爆笑、そして実際に小さなシールが絶大な効果を生んだことにまた大爆笑で、沼田には社長から直々に大絶賛のメールが届いたという噂だった。英梨ちゃんの皇居ランの日、あの外銀の男が沼田をこれまた大絶賛し、意気投合していたのを思い出す。沼田はひょっとして、愚かな私たちが気付いていないだけで実はすごいビジネスパーソンなんじゃないか? もしかしたら沼田は、エレベーターの功績を引っ提げてこの勢いのまま、新人賞を獲ってしまうんじゃないか? もしそれが実現したら、みんなどんな顔をするだろうか?

 沼田のエレベーターフィーバーの陰で、由衣夏が最近会社を休みがちだ、という話を社内のあちこちで聞くようになった。うちの課の中川さんとは違い、あの元気な由衣夏のことだから別にメンタルが不調なわけではなく、有給を存分に駆使して平気で丸々1週間休んだりとか、突然その日の午後休みを取ったりするようになったらしい。パーソンズは人材系の会社ということもあり、これが意味するところをみんな知っていた。転職活動だ。
 人生を前に進めようと努力することは恥ずかしいことではなく、むしろ素晴らしいことだ。ただ、由衣夏のこの行動は同期の間で小さな波紋を起こしていた。
「最近、英梨ちゃんとよく遊んでるって言ってたし、そうやって媚び売って、リファラルでゴードンに入れてもらおうとしてんじゃないかな?」「えー、TOEIC600点って言ってたし外銀とか無理でしょ普通に」「さすがにちょっと高望みし過ぎじゃない?」
 たまに顔を出す同期の飲み会に、かつてほぼ全参加の勢いだった由衣夏の姿を見ることはなかった。彼女の欠席をいいことに、みんな由衣夏の挑戦について、辛辣なコメントを楽しそうに吐き出していた。
 実際に由衣夏が転職活動をしているのかどうかは誰も知らなかった。でももしそうだとしたら、心当たりがある。ゴードンの3人との皇居ランの日、由衣夏は随分熱心に英梨ちゃんと話し込んでいたし、あの双子の話にも聞き入っていた。ただ、「仕事だけが人生じゃないじゃん」が信条の由衣夏が、激務で知られるゴードンに転職するだなんて理由が分からなかった。
 動機はどうであれ、由衣夏がこうして仕事も仕事以外も同時に充実させようと行動していることで、相対的に自分たちが怠惰な人間であると指摘されているような気分になったのだろう。彼らは、余裕綽々のようでその実、自分の自尊心を守るため切実な由衣夏ディスりを始めた。どうせ由衣夏の転職活動は失敗する、私たちは身の丈を知った上で人生を楽しんでいるのだ、と新たな予防接種を心に施すことにしたらしい。

 そして最悪なことに、彼らの汚らしい願望は無事に実現した。
〈11月末でパーソンズを卒業して、地元の地方創生ベンチャーにジョインすることになりました!〉
 由衣夏が同期のLINEグループに投稿したその長々とした文章によると、彼女は〈昔から、いつか生まれ育った富山に戻り、地元のために仕事がしたいとずっと思っていた〉らしい。それで、そんなことができる会社をちょうど富山で見つけて、地元の名産品であるカマボコなんかの魅力を〈東京へ、そして世界へ発信〉するのだという。もちろん、由衣夏が地元志向を持っていたなんて話は誰も聞いたことがなかったし、彼女がやっぱりゴードンのリファラル採用を受けて落ちたらしいという噂が同期の間で回った。
 そらみろ。パーソンズに後ろ足で砂をかけておいて、それでいてゴードンには落とされて、居づらくなって勢いで辞めてしまったんだろう。でもそんなこと恥ずかしくて言えないから、彼女はいつものお得意の「仕事だけが人生じゃないじゃん」を盾にして、「仕事以外にやりたいことが見つかった」とか言い始める。それで、そこらへんのスーパーで売ってる安物と味の違いが分かりようのない地元製のカマボコとか、微妙な名産品にかわいいラベルを貼るだけ貼ってオンライン販売をしたり、妙にヤンチャな見た目の生産者たちが続々と出てくるインタビューが載るオウンドメディアを立ち上げたりして、「何かやってる感」をムンムンに出すんだろう……そうした噂がどれほど正確なのかは分からなかったが、しかし何にせよ、私たちはFacebookなんかでこういう「道を踏み外した」意識の高い同級生を飽きるほど見てきていた。
 私のゼミの同期にも一人、そういう子がいた。新卒で入ったメガバンクを半年で退職して九州の実家に帰り、フリーランスのライターを始めたと言って、地元の魅力を発信するブログなんかを書いていた。「ずっとやりたかった仕事」「毎日が充実」だなんて、聞いたことのないWeb媒体のインタビューでは威勢よく語っていたけど、同期づてに聞いた話では、単にメガバンク独特の企業風土に馴染めなくてすぐに辞め、第二新卒ではロクな会社に受からなかったのだという。逃げるように実家に帰ったものの、地元のしみったれた会社で働くのも嫌で、ああいうキラキラした仕事を選んだのだと。キラキラした仕事というのは、そのキラキラで人を呼び寄せ、目を眩ませているけれども、結局あまり稼げない仕事が多い。
 由衣夏がそういう、あまりはっきりと言いたくはないけど「残念な人たち」の一員になってしまおうとしているのだ。彼女は何を考えて、そんな大それた意思決定をしてしまったんだろう?   
 
    *

 由衣夏の報告を受けた翌日も19時過ぎには仕事が終わった。私はロンシャンの黒いトートバッグにランニング用品が入っていることを確認すると、バイト営業部のある8階からエレベーターに乗った。
 6階、5階、4階、3階……。奇数階のボタンには、例の「沼田シール」が貼られている。三菱電機製のエレベーターは、突如として、女王をエスコートするジェームズ・ボンドのごときエレガントな減速を見せた。2階。バックオフィス部門が集まるそのフロアからエレベーターに乗り込んできたのは、沼田だった。いつもの黒いリクルートスーツに、遠足に行く小学生みたいな黄色いリュックサック。「どうも」と言ってきたきり、気の利いた挨拶をするでもなく、薄っすらと笑いながら、ただ物欲しそうな表情で目を伏せている。
「今日も皇居ラン行くの?」
 すぐに1階についてしまったエレベーターを降り、セキュリティゲートを通過するあたりで、わざわざ沼田にそう聞いてやった。彼の左手には、中身が詰まりすぎてパンパンになったアディダスの袋が握り締められていたのだ。沼田の表情の成分が、分かりやすく喜びに変化するのが分かった。

 無理して合わせるのも馬鹿らしいから別々のペースで走ろうという話になって、同じ場所から走り出したものの、沼田はすぐに私を置いて走り去っていった。私はその日もいつものペースで走って、一周してスタート地点に戻ったら当然そこに沼田はいなかった。最近は多少ペースを上げても持つようになったし、そろそろ二周目を考えてもいいかもしれない。途中で疲れたら走るのをやめて、のんびり歩いて戻ればいいのだ。皇居ランはマラソンではない。誰と競うわけでもない。自分一人だけで、自分のやりたいように、自分のペースで、自分が走れる距離を走ればいい。
 ロッカーに戻ってシャワーを浴びて、スマホを確認したら沼田からLINEが来ていた。食べログのリンクと、〈ここで飲んでます〉という、意図の判断を相手に任せる文章。沼田らしい。〈行きまーす〉と返してやって、最低限のメイクだけをして神田駅近くのそのお店に向かった。

「イラシャイマセーッ」
 そこはデートで行くような小洒落たお店ではなく、ビールは中ジョッキで390円、お通しはポロポロに崩れた魚のあら煮、店員さんは世界各国から日本にやってきた若者たちという肩の力の抜けたお店だった。沼田は、厨房ちゆうぼうに一番近い落ち着かないテーブルでひとりビールを啜っていた。
「愛は通じなかったですねぇ」
 相変わらずのニヤニヤ顔でそう言うから、「何のこと?」と尋ねると、「由衣夏さんのことですよ」と返ってきた。油断して浮ついていた心が、急に寒空の下に放り出されたようにギュッと縮んだ。小さな痛みが私の中で起きていることを見透かして、沼田は私のぎこちない表情を楽しそうに観察しているようだった。
 愛。私を煽るためだろうが、沼田はまた変に仰々しい言葉を持ち出してきた。しかしその通りだ。私が由衣夏にこれまで捧げてきた優しさとか、気配りとか、そういったものは一切彼女に届いていなくて、私は彼女から転職の相談をされることも、その結果の報告を受けることもなかった。私には他に仲のいい同期がいなかったけど、彼女には男女を問わずたくさんの友達がいた。でも彼女は「友達」という概念にさほど執着がないのか、飲み会で隣になった人と小一時間楽しく話すことはしても、別にその人たちと特別深い関係になるということはない。唯一の例外は、栗林とか、それから私とか、きまって相手から誘ってくれた場合だけだった。
「エレベーター、すごい話題だね。新人賞いけるんじゃない?」
 私は由衣夏について深く考え込んでしまうことから逃げようと、適当な質問を沼田に投げてみた。
「エレベーターねぇ」
 沼田は、自分について語る時にだけ見せる饒舌さで、私に思う存分語ってみせた。
「先週、社長から直々に、経営企画室に来いって打診があったんですよ。あそこ、社長の直轄部隊だから。中期経営計画とかを作らされるんですかねぇ」
 あの経営企画室に、この沼田が? でも、1年目にもかかわらず社長命令に対して十分すぎるほどの成果を出したのだから分からない話でもない。沼田のことを小馬鹿にしていた同期が聞いたら腰を抜かすだろう。
 ただ、経営企画室は社内屈指の激務部署であるうえ、上司からのプレッシャーは大変なもののようで、これまで何人ものエース級社員が「潰された」とも聞く。あの部署なしには会社の色々が立ち行かないから、昨今の働き方改革においてもある種の聖域になってしまっていて、その悪しき体質はいまだに改善されていないらしい。異動を受け入れるには、相当の覚悟がいるだろう。
「それで、本当に行くの? 経営企画室」
「いや、断りましたよ。だって僕は総務部にいたくてこの会社に入ったんですから。エレベーターの件だって、総務部長がしつこく頼んでくるもんだから渋々受けたというだけだし、エレベーター渋滞なんてファシリティマネジメント領域ではもはや古典的なテーマなんだから、少し調べるだけで先行事例はいくらでも出てくる。だから、あんなのシール貼れば解決するだろって最初から分かってたけど、これはチャンスだ、仕事してる感を出して当面サボってやろうと思って、業者さんとヘルメットをかぶって打ち合わせをしたり、プロジェクトマネジメントの本を読んだりして、検討してるフリをずっと続けてただけですよ」
 それはとんでもない告白だった。沼田は薄い雑誌をリュックサックから取り出して私に手渡した。表紙には「月刊 企業総務」と大きく書かれていて、その右側には小さく「2011年7月号」とあった。どうも、総務関係者向けのひどくニッチな業界誌のバックナンバーらしい。青い付箋が頭を覗かせているページを開くと、沼田の言うとおり、よりによってパーソンズの競合他社である人材系の会社が赤坂の本社ビルで、沼田がやったのとまるっきり同じ方法でエレベーター渋滞を解消したという小さい記事があった。
 パッと顔を上げて、沼田の顔を見た。相変わらずのニヤニヤ顔。そうだ、総務部での午後の優雅な読書タイム──日頃の情報収集の賜物なのだと好意的に解釈することもできるのだろうが、それ以上にこの男の大胆な怠惰さに、私はなかば呆れながらも驚かされてしまったのだ。「総務部あたりに配属になって、クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」という、入社初日の彼の言葉を思い出した。でも、だとしたら……
「沼田は一体、何がしたいの? なんだかんだで成果を出して、みんなからすごいすごいって褒められて……。実は、仕事が楽しくなっちゃってるんじゃないの?」
 沼田はやや面食らったような顔をしたが、すぐにいつもの余裕を取り戻した。
「どうなんでしょうねぇ」
 沼田は芝居じみた様子で、虚空を眺めてみせた。
「……正直、今言われたようなことも、ほんの少しはありました。でも、よくよく考えてみると、僕、新人賞だって、心底どうでもいいんです。辞退できるものならそうしたいですよ! 他人からの評価に右往左往させられるなんて、この世で一番馬鹿らしいことですから。あいつは新人賞辞退したらしい、本気を出せば凄いらしい、とか言われて、実際は何もせずにのんびり暮らしているくらいが、僕の理想なのかもしれないなぁ」
「何それ? 結局、人から期待されたいの? それとも、されたくないの? もし期待を裏切るのが怖いなら、きっと大丈夫だよ。沼田だったら新人賞も獲れるし、経営企画室でもうまくやっていけるって」
 私は素直な感想を言っただけのつもりだったけど、触れられたくないことに触れられた時の、不快感を伴う恥ずかしさみたいなものが沼田の顔ににじみ出てきた。それはすぐに払拭されたけど、彼がいつものニヤニヤ顔を取り戻すには少し時間がかかった。
「……期待を持たせるようなことを、軽々しく言わないでくださいよ。そうやって自分や他人に期待しちゃって、最後の最後に裏切られたりしたら、死にたくなるほどみっともないでしょう? そうなるくらいなら、僕はやっぱり何もしないほうがマシだと思います」
 沼田は取ってつけたような明るい笑いの仮面をどうにか貼り付けてそう言い切ると、手元のジョッキに残った気の抜けたビールを一気に飲み込み、店員さんにお会計をお願いした。
「ただまぁ、胸がすくような思いですよ。些細なものではありますが、ちょっとした因縁のある宇治田社長からの誘いを断ってやるのは」
 キッチリと1円単位で割り勘にした計4000円ほどをレジで店員さんに手渡しながら、沼田は最後に、しみじみとした口調でそう呟いた。

「愛は通じなかったですねぇ」
 帰りの電車で、私は沼田との会話を反芻はんすうしていた。
 みんな心の形は違うのに、外から見れば似たような見た目をしていて、そんな人たちが友達とか同期とかいう曖昧な輪の中に押し込まれて、関係を結んでゆく。相手もきっと、自分と同じ心の形をしているんだろうと、身勝手な期待を抱いて。
 では、私の心の形はどんなものだろう? 由衣夏にあれほど与えた愛のいくつかが未だに返ってこないことに悩み、それどころか彼女が私を置き去りにして、どこかへ走ってゆこうとしているのを恨めしく眺めている。
 もしお母さんが私だったら、こんなふうには思わなかっただろう。人に与えたものへの執着を、きっと彼女はひとかけらも持ったりはしないはずだ。そして、それを裏返すと、そのまま由衣夏への複雑な思いになる。人から与えられっぱなしでいることへの罪悪感を、きっと彼女はひとかけらも持たない。
 私の近くにいるからと言って、彼女たちのことが手に取るように理解できるとは思わない。しかし、それを言い訳にして立ち止まるのは、もう嫌だった。特に、私を悩ませる二つの関係のうち一つは、別れの時が差し迫りつつある。そっちくらいはせめて、私の手できちんと終わらせないと。そうしないと――それは私にとって、一生残る心の傷になってしまう気がした。
〈富山、いつから戻るの? あんまり会えなくなっちゃうね。引っ越しの準備とかでバタバタだと思うけど、時間あったら最後にお茶でもしない?〉
 短い文章を書くために、もはや私はかつてのように長い推敲すいこうの時間を要することはなかった。赤坂のアフタヌーンティーのお店を、私は食べログで何のためらいもなく選んで、リンクを送った。

    *

 15時からの約束だったけど、由衣夏からは5分遅れるとのLINEが来ていた。時間に厳しいお店のようで、「お連れ様はいついらっしゃいますでしょうか?」とかわいいエプロンをつけた店員さんがかわいくない詰め方をしてきて、少し居心地が悪かった。
「ごっめ〜ん! 遅くなっちゃったぁ」
 そんな空気なんて知らない由衣夏が、いつも通りの、いやいつも以上のとびっきりの明るさで登場すると、ネガティブな気持ちも消し飛んだ。彼女のこういうところのせいで、私はきっと、彼女のことをどうしても好きになってしまったのだろう。

 他愛のない話が他愛もなく通り過ぎてゆく。お店の大きな窓からは、周囲の雑居ビルの冷たい背や腹ばかりが見えていた。11月の終わりの、冬の日が少しずつ暮れてゆく。
「由衣夏は」
 いつかのカルボナーラみたいに、今回も二人の注文が被ったアールグレイを飲みながら、私は由衣夏に静かに問いかける。
「なんで転職しようと思ったの? パーソンズで楽しくやってるものだと思ってたのに」
 主語を私にしないように。私の心が、もしかするともう二度と会わないかもしれない彼女によって、取り返しのつかない傷をつけられないように。私は昨夜お風呂でリハーサルまでして、狡猾こうかつに言葉を選んだ。
「うーん」
 由衣夏は小さな右手を小さな顎に当てて、目線を可愛らしくキョロキョロと動かしてみせた。何の計算もない、彼女が自然に行うことのできる仕草が、これまで多くの人々を駆り立ててきたのだろう。
「別に、パーソンズに不満があるとかじゃなくて、転職を考えてた時期にちょうど誘われたんだ。転職先のベンチャー、地元の友達がやってるんだけど、どうしても来てほしいって。大企業で働いた経験とか、あと大学時代、ミス深谷ねぎの活動の一環で、地方の魅力発信みたいな仕事もしたことあったし、そういうところをトータルで評価してくれて。給料はもちろん下がるんだけど、やっぱり地元のことは好きだし、あとは何より、大きい会社の小さな歯車として働くよりも、ちゃんと自分の名前で仕事をして評価されるほうがいいなって。素直にそう思ったんだよね」
「なら、なんでゴードン受けたの?」
 矢継ぎ早に飛び込んできた私の質問にも臆することなく、彼女は毅然として答えてみせた。
「みんなが噂してるとおり、ゴードンを受けて落ちたのは本当だよ。それは地方創生ベンチャーとは全然別の軸で受けてて。学生時代に留学もしてたし、元々グローバルな仕事に対する興味関心はあったけど、パーソンズで適当に営業とかしてるうちにそういうのもすっかり忘れちゃってて、でも英梨ちゃんと再会して仕事の話とか聞くうちにまた火がついちゃって……え、ちょっと待って、もしかして私、責められてる?」
 これまで聞いたことのない由衣夏の早口は何かを取りつくろうようで、しかし何ひとつ取り繕えていなかった。地方創生ベンチャーと外銀、それぞれの会社でやりたいことに一貫性はなく、志望動機の説明はあまりに場当たり的だった。
 場当たり的。それが由衣夏の本質なのかもしれない。今よりも少しでもいい場所があれば、彼女は躊躇なく飛び込むことができる。自分が強く求められ、たくさんの愛を捧げてもらえる場所。彼女が求めていたものは、そこで捧げられる愛そのものであって、それが誰から捧げられたものなのかはどうでもいい。だから、自分の周りにいる人たちとの関係を、彼女はあまりに軽々しく捨てることができる。元々、彼女はパーソンズの人たちにも特別な興味や愛情を持っていなかったのかもしれない。そんな、どうでもいい群衆の一人から、こうやって自分の尊い意思決定を責められるなんてことは、許せないというか、さっぱり理屈が分からないのだろう。
 でも、もういい。私が彼女と会うことはもうないのだから。私は、もう彼女への配慮なんか捨てて、自分が傷付かないことだけを考えればいい。
「由衣夏は」
 それでも私は、何度もリハーサルしてきた言葉の続きを、結局彼女に言うことはできなかった。
「誰でもいいから、とにかく愛されたいけど、そのために誰かを愛する気がない人なんだね」
 そう、由衣夏と私は違う人間だったのだ。正反対とすら言えるかもしれない。由衣夏と私の関係は、いつだって一方通行だった。彼女は私の贈りものを「ありがとう!」と明るく言って受け取り、ポケットに入れるだけ入れて、もっとたくさんのものを貰える場所へと、私を残して立ち去ってしまう。パーソンズの同期たちの冷たい目とか、彼女のことを勝手に愛した私のことなんて、最初からどうでもよかったかのように。
 これはいいとか悪いとかの話ではないのだろう。由衣夏はそういう人間で、私はこういう人間だった。それだけの話なのだ。由衣夏は、そういう人間のまま生きてゆくことを、私たちを置いて走り続けることを、この転職を機に改めて決意したのかもしれない。

「アフタヌーンティーのしょっぱいやつ、あとで食べようと残しておいたらお腹いっぱいになりがちだよね」
 そう言って、由衣夏は口惜しそうに生ハムを巻いたグリッシーニを指先でいじっていた。彼女と私の前にはそれぞれ、同じ形をした三段のスタンドが置かれて、スコーンや小さなケーキなんかが並んでいた。でも私はしょっぱいものから食べて、彼女は甘いものから食べる。彼女はグリッシーニを残し、私はプチモンブランを残した。何を選んで何を残すか、私たちはみんな違う人間なのだ。それなのに、分かり合おうなんて、同じ方法で愛し合おうだなんて、おこがましいのだろう。
 白いポットの中のアールグレイがちょうどなくなった。揺すっても揺すっても、もう一滴も出てこない。お店の外に出たら日はすっかり暮れていて、冷たい風が通り過ぎた。由衣夏と内定式で出会ってから、ちょうど1年ほどが経っていた。
「じゃあ、頑張ってね」
「……うん」
 それだけ言って、私たちはお別れした。由衣夏は最後に何かを言おうとしてか、唇に小さな隙間を開けたものの、それはすぐにキュッと閉じてしまい、彼女がいつも私たちに見せてきた愛らしい笑顔の一部に変わった。そのことに、私はわざと気付かないフリをしてしまった。それきりだった。

 由衣夏のいないパーソンズでの日常は、それまでと驚くほど変わらなかった。彼女への怒りや失望を口にしていた同期たちも、退職するとまるで最初から存在しなかったかのように忘れてしまい、由衣夏の名前を口にする人すらもはやいなくなっていた。

 由衣夏が転職して1ヶ月ほど経った、12月の終わりのことだった。
「まず最初に、これまでみんなに過度のプレッシャーをかけてしまっていたこと、謝罪させてください。もちろん意図的ではなかったし、みんなの成長のためと思ってやっていたことではあるんだけど、それが言い訳にならないことは、私自身もよく分かっています」
 課のメンバーが集められた会議室で、浜口課長はいつものように事務的な口調で、しかしいつもなら絶対に使わない言葉で、みんなに謝罪した。私たちはそれを、俯いたまま黙って聞いていた。
 私の同期の退職は、由衣夏で遂に23人に到達した。事態を重く見た人事部が、若手社員を対象にストレスチェックや面談を行った結果、何人かの役職者たちがハラスメントを行っていると認定された。その中に、浜口課長も含まれてしまっていたのだ。
 ある時点では正しいとされた価値観をそのまま実践していただけの浜口課長が、もう正しくないと認定されるやいなや糾弾される。もちろん、「2019年の今日において、私がやっていたことがパワハラになるなんて知りませんでした」だなんて言い訳は、彼女も認める通り通用しないのだ。
 その日から浜口課長は退職前の由衣夏のように休みがちになった。ひとたびハラスメント認定を受けた元マネージャーが、再びマネージャーに返り咲けるなんてことは難しいだろうから、きっと彼女は近いうちに同業他社にでも転職するんじゃないかと噂されていた。

 彼女が本当に退職してしまうのだとしたら、それは課のみんなにとっては好ましい出来事なのかもしれないが、私にとっては違った。「お母さん」という意地悪なあだ名を思い出す。違う。あの人はお母さんなんかじゃない。
 お母さんより、もっと――。
 あの家を出よう。一人暮らしを始めよう。今日うちに帰ったら、お母さんにそれを伝えよう。
 浜口課長の見るにえない謝罪のあと頭が真っ白になって、平静を装いながら駆け込んだトイレの個室で、私はそう決意した。心休まる場所は、自分で作らなくては。

    *

 仕事を終えると、皇居ランにも飲みにも行かず、そのまま真っ直ぐ家に帰った。20時過ぎにいつものように静かにドアを開けたら、いつものように玄関には温かな光が満ちていて、そしていつものように、奥からお母さんの声が聞こえた。
「お帰り」
 うん、とか、うーん、とか、曖昧な音を喉から発して、彼女のいつもの優しさをかわした。手を洗って、いったん上着を置くために2階の自室に逃げ込む。
 無償の愛、という用語を倫理の授業で聞いたとき、高校の教室に小さな笑いが起こった。それは何だか、見ていて恥ずかしくなるほどに演出過多なドラマのセリフみたいに聞こえた。ただ、それは身近なところに、ずっと前から存在していた。いつもそこにあって、そして私には、いつも息苦しかった。
 ドアを開ける。廊下をしばし歩いて、階段を降りる。深呼吸。
 これから、この温かな巣箱の中で私を守り育ててくれた、私のことを世界で一番愛してくれた人のもとを去りたいと告げる。これは私が、自分の心の形のまま生きてゆくための、切実な自衛行為なのだ。
「お母さん」
 階段を降りながら、私は話し始める。お出汁だしのいい匂いがする。階段を降りて右に行けばリビングで、そこに面したカウンターの向こうのキッチンで、またひじきを炊いているらしい。何となく顔を見ながら話せる気がしなくて、リビングに繫がるドアは開けずに話し続ける。
「お母さん、私、近いうちに家を出て、一人暮らししようと思うんだ」
 反応はわからない。天井のダウンライトに照らされたやや薄暗い階段と壁だけが見える。
「これまで支えてくれて、本当にありがとう。でもね、お母さん、もう、夜ごはん要らないって言った日は、ごはん用意しなくていいよ」
 お母さんは何ひとつ声を発さない。
「なんか、残すのも申し訳ないし、せっかくの好意を断るの、結構辛かったんだ。ずっと」
 そこまで言って、自室に戻った。ドアを閉めると、見慣れた子供部屋を薄オレンジ色の電灯が煌々と照らしていた。信じられないくらい鼓動こどうは速まっていたけど、それだけだった。努めて事務的にランニングウェアに着替えてお母さんの顔を見ないよう玄関に向かい、シューズを履いて、ドアをガチャリと、無遠慮に押し開ける。
 物音ひとつしない夜の住宅街を走る。家々の窓から染み出す温かな明かりが頰にへばりつくたび、それを振り切るように足を動かした。透明な冷気が肺にスルスルと入ってきて、私は少しずつ、これまでとは違う人間になってゆくようだった。
 お母さんのことを考える。差し出す先を失った鍋いっぱいのひじきを前にして、キッチンに立ち尽くすお母さんは、それでもまだ血の繫がった特別な他人のことを愛し続けることができるだろうか?
 由衣夏のことを考える。より深く愛されたいという自分勝手な動機で、今いる場所を、自分のことを愛してくれる人たちを平然と捨てて走り去る彼女の胸の中には本当に、ひとかけらの痛みや後悔も存在しなかったのだろうか?

 走るとき、人は孤独だ。誰もいない真っ直ぐな道を、スタート地点もゴール地点もわからないまま、誰とも違う方法で、なるべく遠くへと走り続ける。

[第2話・了]

 

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