「WEB別冊文藝春秋」で宮島未奈の連載スタート! 今度の舞台は婚活業界
出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル :
#小説
第一話
二〇二三年十月十日、俺は四十歳になった。
目を覚ましてスマホを見ればすでに十時を過ぎていて、そろそろ起きようと伸びをする。子どもの頃は体育の日で必ず休みだったから、半分以上の確率で平日になるのがいまだに慣れない。俺はカレンダーの休日と関係なく仕事をしているが、クライアントは基本平日しか返信をよこさないから多少影響はある。
メールアプリを開くと、きのうの夜中に納品した占い記事のクライアントから「締切に余裕を持った納品、ありがとうございます! これから確認させていただきます」との連絡があった。このクライアントはリピーターで、こうした連絡をこまめにくれるから信頼している。フリーペーパーに載せる星座占いとしてそれっぽいことを書くだけで月に一万円の定期収入になっているから、俺としても手放したくない。いつもの流れなら、夕方には「問題ありませんでしたので完了します」という連絡が来るだろう。
LINEには母と妹から誕生日を祝うメッセージが届いていた。こんなおっさんの誕生日、何もめでたくないだろうと思うのだが、それでも祝わずにはいられないらしい。俺は「ありがとう」の文字が入ったスタンプで応じた。
食料を調達するため、ズボンだけ穿き替えて外に出る。半袖だとちょっと寒くて、誕生日の頃になると毎年同じことを思っているなと気付く。
「よう、ケンちゃん! 誕生日おめでとう!」
エントランスを出たところで、マンションの最上階で暮らすオーナー、田中宏が竹箒片手に話しかけてきた。八十歳を過ぎてもピンピンしていて、オーナー自ら掃除をするのが日課だ。
「よく覚えてますね」
「昔っから誕生日覚えるのは得意なのよ。林家ピーだな」
「今の若い子たちは林家ペーなんて知りませんよ」
田中宏は銀歯を見せて高らかに笑う。
「それにホラ、みんな四年やそこらで出てっちゃうけど、ケンちゃんはずっといるから覚えてんだよ」
十八歳の春に出会ったときからジジイだった気がするが、当時はおそらく六十そこそこだったはずだ。五年前に妻を亡くして萎んでいたが、今では元気を取り戻している。
大学入学から二十一年と六ヶ月、ずっと同じマンションに住んでいる俺も俺である。実家で暮らしていた期間より、田中宏のマンションに住んでいる期間のほうが長くなってしまった。まさに親の顔より見た顔である。
レジデンス田中というこの単身用マンションは、大学の北門から三百メートルの好立地にあり、隣がローソンという利便性も手伝って、学生からは人気がある。しかし最寄りの佐北駅は三キロという距離で、しかも普通電車しか停まらない。東京まで新幹線で一時間半の地方都市で働き口も少なく、ほとんどの学生は卒業とともに巣立ってしまう。すでに築三十年を超しているうえ、少子化と不景気で下宿生がぐんぐん減っていることもあり、空室リスクを恐れる田中宏にとって俺は上客なのだ。
「ときにケンちゃん、仕事頼めるかい?」
田中宏とは長い付き合いになるが、そんな依頼はされたことがない。
「仕事って?」
「文章書く仕事だよ。ケンちゃん、ライターさんなんだろ?」
俺は在宅のWebライターとして生計を立てている。ホームページに載せる三文記事を大量生産することで月二十万円の収入を得て、男一人暮らすにはなんとかなっている。将来にまったく不安がないわけではないが、朝好きな時間に起きて、人にも会わずぶらぶらしていられるのだからこんなにいい職業はない。
しかし田中宏が思い浮かべる「ライターさん」とはもっと高尚なものではなかろうか。返答を迷っているうちに、田中宏が続ける。
「俺の知り合いの社長がさ、ライターさんに会社の紹介記事を書いてほしいっつうのよ。だったらうちのマンションのケンちゃんに聞いてみるよーって持ち帰ってきたわけ。ケンちゃんこれからヒマ?」
「空いてはいますけど……」
「誕生日だし、ちょうどいいじゃん。お昼おごるし、社長んとこ行こう」
田中宏は年に数回、こうして気まぐれにメシをおごってくれる。家賃収入で悠々自適のジジイだし、罪悪感なくお相伴にあずかる。そもそも、俺が二十年以上にわたって払い続けている家賃が田中宏の資産になっているのは間違いない。
田中宏はポケットからスマホを取り出し、電話をかける。
「もしもし? 田中です~。ライターの件、うちのケンちゃんがやってくれるって! 今から行っていい?」
なぜかすでに引き受けることになっている。まぁジジイの口約束なんて適当なものだから、そんなに気にしちゃいない。通話を終えた田中宏は箒とちりとりを片付けて「よし行こう」と歩き出した。
「その会社って、何の会社ですか?」
「こんかつの会社だよ」
俺の頭に揚げたてジューシーなトンカツが思い浮かんで、腹がぐぅっと鳴る。
「とんかつ?」
「いや、こんかつ」
そこでようやく婚活という漢字が見えた。田中宏と婚活は遠すぎて、思い浮かばなかったのだ。
「結婚したい人の『婚活』で合ってます?」
「そうだよ。ケンちゃんがそんなこと言うからトンカツの口になっちゃったじゃん」
「俺もちょうど食べたいと思ってました」
婚活なんて自分とは縁のないものだが、縁のないものでもそれらしく書く仕事をしているから動揺はない。しかし婚活を事業として掲げている会社がどんな会社なのか、どういう経緯で田中宏と知り合ったのか、多少気になるところである。
田中宏に案内されたのは大学を挟んで向こう側にある雑居ビルだった。がたつくエレベーターで三階に上がると、目の前のドアに「ドリーム・ハピネス・プランニング」と書かれた白いプレートが掲げてある。田中宏は躊躇なくドアノブをひねり、「どうも~」と入っていった。
「あぁ、田中さん。すいませんねぇ」
田中宏よりは幾分若そうな、といっても六十は過ぎていそうなスーツ姿の男が事務机から立ち上がって頭を下げた。その隣にも事務机があるが、誰も座っていない。机の前には四人がけの応接セットがあって、いまどきガラス製のごつい灰皿が載っている。
「ドリーム・ハピネス・プランニングの高野です」
渡された名刺には「代表取締役社長 高野豊」と書かれている。
「ちょうだいします」
一応両手で受け取るぐらいのマナーは知っているが、ここ十年クライアントの顔が見えない仕事をしてきたから、生身の人間の応対に慣れていない。俺に仕事を依頼している人間も、こんな校長室ぐらいの広さしかないオフィスで働いているのかもしれない。
「どうぞ、おかけください」
俺と田中宏は応接セットに並んで座り、その向かい側に社長が座った。
「ご足労いただいてすみません」
社長が頭頂部の薄さを見せつけるかのように頭を下げた。
「ほら、ケンちゃん、自己紹介しないと」
田中宏に促されて、あわてて口を開く。
「あっ、自分は、猪名川健人っていいます。田中さんのマンションに長く暮らしていて、ケンちゃんって呼ばれています」
こういう説明を省くために名刺があるのだと身にしみる。
「そうですか」
社長は目を細めてうなずいた。いや、よく考えたらあだ名を紹介している場合じゃない。
「主に在宅で、ライターの仕事をしています。田中さんから、弊……じゃない、御社が、記事を書いていただき……いや、書いてほしいとおっしゃっているとお聞きしまして」
敬語で話す機会も全然なかったから、たどたどしくなってしまう。「主に在宅」と見栄を張ってしまったが、俺の書く記事は一〇〇パーセント在宅のこたつ記事だ。
「どんなお仕事をされてきたんですか?」
「フリーペーパーの記事とか、医療機関のホームページに載せる文章とか、幅広く書かせていただいています」
「それは心強いです」
社長は俺をちゃんとしたライターだと思っているのだろうか。それはそれで荷が重い。
「田中さんから聞いているかもしれませんが、うちの会社は婚活事業を行っています。主に婚活パーティーの運営です」
派手な男女がホテルの宴会場でワイワイやっている様子が浮かんできたが、そんな派手な男女は婚活パーティーに行かずとも相手が見つかるだろうし、もっと地味な男女に違いない。でも地味すぎてもパーティーに足が向かないだろうし、いったいどんな層が婚活パーティーに行くのだろう。
しかもなぜこんな大学のすぐそばにオフィスを構えているのか、パーティーにはどんなふうに集客しているのか、疑問が次々と湧く中、社長はノートパソコンを持ってきた。
「まずは、ホームページにちゃんとした紹介記事ですとか、婚活お役立ち記事を掲載したいんですね」
社長が画面をこちらに向けた瞬間、疑問の泉がストップした。ワードアートで作ったような「ドリーム・ハピネス・プランニング Since 1990」の文字に、一組の男女が婚礼衣装で並んだガサガサの写真が添えられている。
「なるほどですね……」
冷静を装って、ビジネスマンに擬態する。
「このホームページ、いつ作ったの?」
俺が訊けなかったことを田中宏があっさり質問してくれた。
「たぶん二十年ぐらい前かと」
社長は表情を変えないで言う。
「だってこれ、阿部寛のアレじゃん」
田中宏がそこまでインターネット事情に通じているとは意外で、思わず噴き出してしまった。ドリーム・ハピネス・プランニングのホームページはどう見積もっても二〇〇〇年代初期に作られたHTMLサイトで、昔ながらのホームページとして名高い「阿部寛のホームページ」に近い趣があった。
「これ、ホームページビルダーで作られてます?」
ホームページビルダーは実家ではじめて買ったパソコンに入っていたホームページ作成ソフトで、四十歳の俺でもかなり遠い記憶だ。もしこれを編集しろと言われても、できない自信がある。文字が左右に動くのって何のタグだろう。
「すみません、私にはよくわかりません。更新はスタッフにやってもらっています」
社長の隣の事務机はただ置いてあるだけかと思っていたが、一応従業員はいるらしい。だけど若者がこんな会社に勤めているとは思えないし、昭和感満載の腕カバーをつけたおばちゃんかもしれない。
「あれっ、今夜もパーティーあるの?」
田中宏に言われて画面を見ると、二〇二三年一〇月一〇日(火)一九時~のパーティーが告知されていて、思わず「マジか」と声が出た。このホームページ、生きている。
「ちなみに、猪名川さんは独身ですか?」
もしかしてカモにされるのではないかと身構えたが、社長はさっきから一貫して丁寧だ。
「もちろん。うちのボロいマンションに住んでるのはみんな独り者だよ」
田中宏のデリカシーのなさがもはや心地よく感じられる。
「よろしければ、参加されますか? 我が社の業務を理解していただく絶好の機会ですので」
画面を見ると、男性の参加費は五千円。一文字二円の案件なら二五〇〇文字分というところである。しかも会場が佐北駅から三駅離れた繁華街ということもあり、往復のバス代と電車代もそれに上乗せされる。
「あぁ、お代は結構ですよ。初回無料クーポンがございます」
そう言って社長はジャケットの胸ポケットから「ドリーム・ハピネス・プランニング主催婚活パーティー初回無料クーポン」を取り出した。二〇二二年一二月三一日と書かれた有効期限を、社長は二重線で二〇二三年に訂正し、印鑑を押して俺に手渡す。
年齢が三十九歳までとか、年収が五百万円以上とか、参加できない理由を探そうとしたが、今夜のパーティーは「二十五歳から四十五歳までならだれでもOK! 新しい出会いを求めるアナタへ」というオールカマーな内容らしかった。
「ケンちゃん、ちょうどよかったじゃん! あぁ、でも、ケンちゃんが結婚したら空室になっちゃって寂しいなぁ」
田中宏のテンプレ的なうざい反応を笑って受け流す。
「参加されるのであれば、こちらの書類にご記入ください」
もう参加することが決まっているようだ。面倒くさいから断りたいが、タダでメシが食えるなら悪い話じゃない。婚活パーティーといっても、全員が全員やる気に満ち溢れているわけでもないだろうし、端の方で佇んでいてもなんとかなるんじゃないか。だいたい俺みたいな低収入が婚活市場で人気なはずがない。
社長が差し出した書類は宣誓書で、既婚者だったら罰金三十万円、迷惑行為が発覚したら罰金十万円といった物々しい事項が並んでいる。といっても普通に参加する分には関係ないはずだ。俺は「同意します」のチェックボックスにチェックを入れ、住所と氏名を書いた。
「身分証明書が必要になりますが、今お持ちですか?」
「マイナンバーカードでいいですか?」
「もちろんです」
マイナポイント目当てで作ったマイナンバーカードを社長に見せる。運転免許証を持っていないから、保険証以外の身分証明書が手に入ったのは意外に便利だった。
「あれ? 今日お誕生日ですね。おめでとうございます」
社長がはじめて笑顔を浮かべたことに気付き、ちょっとうれしくなってしまった。
「ありがとうございます」
「四十歳になられたんですね。うちのスタッフの鏡原も同い年です」
腕カバーをつけたおばちゃんのイメージが、同年代の女子に更新される。といっても同年代の女子と接する機会がないから、どんな感じかわからない。
「その人はお休み?」
「パーティーがある日は午後から出勤してくるんです」
正社員を雇えるほど繁盛しているとは思えないが、パート社員なのだろうか。いろいろ疑問が生まれてくるものの、どこまで首を突っ込んでいいのかわからない。社長は「確認させていただきました」と俺にマイナンバーカードを返した。
「社長と田中さんはどうして知り合われたんですか?」
「俺も婚活パーティーに行ったのよ」
なぜか田中宏は照れくさそうに頭をかいた。意外な事実だが、たしかに田中宏は独身だし、そういうこともあるのかもしれない。
「三ヶ月ほど前、佐北コミュニティセンターでシニア世代を対象にした婚活パーティーをさせていただきました。そのときはご挨拶をしただけでしたが、後日そば屋のカウンターで隣同士になり、田中さんから話しかけてくれたんです」
「うん。後から知ったんだけど、社長さんからは婚活パーティーに出てた人に話しかけちゃだめなんだって」
「婚活中であることを隠したい方もいらっしゃいますから、お客様のプライバシーはきちんと守らせていただいています」
いずれにせよ田中宏は誰彼構わずペラペラ話しかけるタイプだから、社長から話しかける状況にはならなかっただろう。
「ライターさんをお願いする話も、鏡原からはネットで探したらいいと言われたんですけど、私はなにぶん古い考えの者ですから、顔が見える相手にお願いしたいなと」
鏡原さんとやらの言うことはもっともで、ネットで探せば俺みたいな三文ライターはいくらでも見つかる。俺だってこんなふうにコネで頼まれるのは初めてだ。
「わかりました。まずは今夜のパーティーに出て、そこから記事作成の話を進めるということでよろしいでしょうか」
「はい、そうしていただけるとありがたいです」
社長はまたうやうやしく頭を下げた。
「田中さんも、ありがとうございました」
「うん、よかったよかった」
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