- 2020.07.13
- インタビュー・対談
直木賞候補作家インタビュー「美しい布をめぐる、家族の物語」──伊吹有喜
インタビュー・構成:「オール讀物」編集部
第163回直木賞候補作『雲を紡ぐ』
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
「戦前の資料を読むと、洒落た文化人たちがホームスパンの上着を着ていました。年月を経るにしたがって自分の身体に添い、温かい着心地が増していくこの服を、皆で競うように着ていたのですね。ホームスパンは、親、子、孫の三代が着られる、“時を越える布”。時代の流れに古びていくのではなく、熟成し、育っていく布なんです」
ホームスパンとは明治時代にイギリスから伝わった毛織物で、盛岡周辺に根付き、羊の毛を染め、手で紡ぎ、手織りで作られている。本作は、盛岡でホームスパンの工房を主宰する祖父、工房を継がず東京に出てきた父、高校生の娘・美緒が織りなす家族の物語だ。
いじめにあい不登校になった美緒は、生まれた時に祖父母から贈られた赤いショールを大切にし、それにくるまっているときだけ心が安らぐ。ある日、ショールが無くなったことで母と口論になった美緒は、新幹線に飛び乗り、一人で盛岡の祖父の工房へ向かう。
「今の子どもは空気を読むことを強要され、デジタルツールによっていじめもより陰惨になっていて、とても息苦しいだろうと感じます。美緒は、周囲に気を遣い、先走りすぎて疲れてしまったんです」
祖父と父は仲が悪く、美緒は祖父のことをよく知らない。初めて訪れた工房に並ぶ、色とりどりの糸に驚く美緒。ホームスパンは何色かの羊毛を混ぜ合わせて色を作るもので、祖父が手掛けるものは「光を染め、風を織る」布として、多くの人に愛されていた。
「美緒の祖父・紘治郎は一見風変りですが、生活に根差した、古き良き時代の知性をもっています。こういう仕事は奥深い教養がないとできないと思いますし、その深みは、盛岡に所縁のある宮沢賢治にも通じるところです」
ホームスパンに惹かれ、自分でショールを織ることになった美緒は、紘治郎から何色で織るか「自分の色」を選ぶよう勧められる。工房の手伝いを通じて成長し、盛岡の美しい風景に繊細に感応する彼女は、どんな色で自分を表し、そこにどんな思いを託すのか。
一方、電機メーカー勤務の父、中学校教師の母もそれぞれに悩みを抱え、さらに美緒の家出もあって家庭は崩壊寸前に。三世代の家族の糸は、再び繫がるのだろうか──。
「“運命の糸”というように、古くから、人は糸に運命や人生を重ね合わせて表現してきました。取材中に実際に紡ぐ作業も体験させていただいたのですが、糸は、一度切れても、撚りをかけてまたげることができるんですよ」
読む者をあたたかく包み、未来へと背中を押してくれる一冊だ。
伊吹有喜(いぶき・ゆき)
1969年、三重県生まれ。2008年『風待ちのひと』でポプラ社小説大賞特別賞を受賞し翌年デビュー。
14年上期『ミッドナイト・バス』が第151回直木賞候補となり、同作は18年に映画化。17年下期『彼方の友へ』が第158回直木賞候補となる。四日市市観光大使も務める。
第163回直木三十五賞選考会は2020年7月15日に行われ、当日発表されます