一穂ミチ『ツミデミック』(光文社)
あの時出会えてよかった
このコーナーに呼ばれるのも二回目になる。ありがたい。ありがたいけれど、書くことが思い当たらない。帰宅部で暇を持て余していた高校時代、徒然(つれづれ)なるままに本を読んでいたはずなのにとんと覚えていない。「幽☆遊☆白書」の飛影のことばかり考えていたからだと思われる。
高校二年の夏、「幽☆遊☆白書」が最終回を迎えた。それはもうとんでもない虚脱感だった。この先何を楽しみに生きていけばいいのかと本気で思った。オタクって基本みんな大げさだから許して。その年の秋、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した。当時は名前すら聞いたことがなかった。彼がどのような小説を書いてきたのか、という点については、どのメディアもひと言で明快に教えてくれなかった。わたしは川端康成の『伊豆の踊子』を読んでも「ふーん、それで?」としか思えない残念な感性の持ち主なので、「きっと難しくてわかりっこないんだろうな」と予想しつつ、近所の図書館で『人生の親戚』を借りた。当時の最新作『燃えあがる緑の木』は長すぎたし、ちょっとマイナーなものを読んだほうが通ぶれるかもしれない、と実に浅はかな下心が働いたので。
結論から言えば、わたしは『人生の親戚』を理解できなかった。書かれている内容をきちんと咀嚼できた自信はない。でも、読み通すことはできた。大江健三郎の文章はぬめりを帯びた軟水のようで、味もわからぬままするすると飲み込めてしまった。
ざっくり言うと、あまりにも大きな喪失を抱えたひとりの女性が、「喪った後」の人生をどう引き受けていくかが描かれている。作中にこんな記述がある。
『感知しえるものは、一時的(テンポラル)なもので、理解しえるものは、時間を越えた(タイムレス)ものだから』
きっとわたしの読書はほとんどがテンポラルな体験なのだろう。でも、わからないけど読んだ、人に説明できないけど好き。そんな小説の楽しみ方もある、という実感はタイムレスに身のうちにある。あの時出会えてよかったと思う。
(初出:「オール讀物」2025年7・8月号)
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