3月4日(水)発売の道草家守さんの『花贄さまの初恋』。

皇都から離れた緑豊かな花森村で、一人孤独に暮らす少女・霜子。彼女には「ある秘密」があって――。霜子と晴晃の出会いを描いた、第一章の冒頭を公開します!

16歳のときに、神から見出されて異能を開花した。現在は「花贄(はなにえ)」として村で孤独に暮らす。
陸軍中尉。見た目に反して快活で素直。霜子の婚約者としてやってきたが、その目的は……?

イラスト・花ヶ田


花贄(はなにえ)様、いらっしゃいますか」

 その呼び名が自分を示すことに、霜子(そうこ)はいまだに慣れなかった。

 少し滑りが悪くなった内玄関の引き戸を開くと、壮年の男、正次(しようじ)が立っていた。

 (かすり)の上着に股引(ももひき)という作業着姿の彼は、霜子が現れるなり視線をそらす。

 胸に苦みがこみ上げてくるが、なんとか笑いかけた。

「こんにちは、どうかした?」

「実は母……トヨがぎっくり腰を起こし、しばらくこちらにこられそうにありません」

 トヨは通いの女中だ。正次の母である彼女は、還暦(かんれき)を過ぎても一手に家のことを引き受けてくれていた。

 数日前から腰を気にしていたが、とうとう痛めてしまったのだろう。

「それはお大事にして。あとで見舞いに……」

「いいえ必要ありません」

 強い口調で(さえぎ)られて、霜子は言葉を止める。

 正次は気まずそうにしながらも、手ぬぐいを巻いた頭を深々と下げた。

「花贄様にご足労をおかけするのは、母も望みません。どうぞご容赦ください」

 まるで華族の令嬢に接するような丁寧な態度に、霜子は苦笑するしかなかった。

「かしこまらなくて良いよ。ほら、私のどこに威厳があるの?」

 あっけらかんと両腕を広げて、自分を示してみせる。

 野良(のら)用の(こん)(がすり)の長着に股引を穿()いた姿は正次とそう変わらないし、黒髪は簡素にひっつめるだけ。十九になり娘の盛りと称して良いだろうが、敬われるような気品や(みやび)さはないのは承知していた。

 それに三年前までは、彼も霜子を自分の子のように可愛がってくれていたのだ。

 だが正次は頑なに首を横に振る。

「いいえ、あなた様は鹿屋(かや)()家の祭神に選ばれた(にえ)(なぎ)、『花贄(はなにえ)』であらせられます」

 きっぱりと言い切られた霜子は唇を引き結んだ。

 わかっている。彼がこうなったのは、霜子が花贄──この国で尊いとされる贄巫の一人になったからだ。

桜子(さくらこ)様からもよく支えるよう言いつけられております。どうぞ花贄様におかれましては、お気を安らかにいてくだされば幸いです」

 姉の名前を出されて霜子は(ひる)む。

 苦さを隠すために、ひっつめた髪の後れ毛を耳にかけながら続けた。

「……いいよ。これでも女子だもの、トヨが治るまで一人でなんとかする。(まど)(ばな)の患者が来たときは知らせてね」

「それも小百合(さゆり)様が引き受けられると言って……」

 正次がしまったと言葉を止めるが、霜子は凍りつく。

「そう、なの。()(づち)家の小百合さんが……」

 なんとか応じた声はみっともないほど(かす)れていた。

 焼きごてを当てられたように胸がじくじくと痛み出す。

 惑い花の治療は、鹿屋野家の家業で、唯一霜子が役に立てるお役目だった。

 なのにそれすら任せてもらえないどころか、知るのは霜子が一番あとだ。

 惨めさが身に染みた。

「花贄様……」

 せめて傷ついた気持ちを悟られたくない。

 霜子はとっさに笑みを浮かべた。

「大丈夫。あ、いつものお(すそ)分けだよね? ありがとう」

 正次の傍らには野菜(かご)がある。彼は昔からの習慣で、家まで食材を運んでくれていた。

 霜子が籠を持ち上げようとすると、慌てて手伝おうとした彼と手が重なる。

 驚いた霜子は、つい気を緩めてしまった。

 指先が熱を持ち、命と死の気配が燐光(りんこう)となって弾ける。

 真っ先に中の野菜達が反応した。

 ウドの葉が緑を帯びて背を伸ばし、かぶの根からは茎がすくりと立ち上がり、つぼみを付ける。根もないニラですら茎が生え、それぞれの花がぱっと咲き乱れた。

 美しく、鮮やかで、決定的に異質だった。

 自然ではあり得ない現象、霜子が花贄となった証だ。

 反射的に見なければ良かった。顔を強ばらせた正次と目が合う。

 ──ああ、もう無理だ。

「ごめんなさい。じゃあ」

 霜子は早口で言い残すと引き戸を閉めた。

 逃げ戻ったのは居間だった。

 室内は雑然としていた。書庫から引っ張り出してきた書物が積まれ、標本にするために作業中の植物や、古新聞の束が広がっている。

 台所はもっとひどい。食べものを作ろうとして失敗した残骸(ざんがい)が山になっている。

 トヨがいないたった半日で、ここまで散らかってしまった。

 花が咲いてしまった野菜籠をひとまず置いた霜子は、深々とため息を吐く。

 強がってみせたものの、霜子は家事が苦手だった。

 唯一綺麗にしている飾り箪笥(だんす)には、桜子から届いた手紙を入れる箱と、額装されたセピア色の写真が鎮座している。一番幸せだった頃に家族で撮ったものだ。

 前に座るのは、もういない両親。後ろに立つのは自信なげな自分と、顔立ちからして聡明(そうめい)そうな姉、桜子だ。

 しょぼんとうつむいた先の(たたみ)から、緑の茎がしゅるりと伸びる。

 見る間に細い花弁を広げて咲いたのは淡い橙色の(きん)(せん)()だった。

 なにもないところから、瞬く間に植物が生長して花が咲くなんてあり得ない。

 あり得ないけれど、今の霜子にはそれが当たり前だった。

 花贄の咲かせる花は感情に合わせて咲き、花贄以外は(さわ)れない。

 慌ててしゃがみ込んで払うと、金盞花はまるで綿毛が散るように(ほど)けて消えた。

 ──どれだけ惨めで無力に感じようと、霜子はもう人ではないのだ。

「私は花贄なんだから、自分でなんとかしなきゃ。誰も頼っちゃだめ」

 手を握りしめて言い聞かせ、今日の作業をするためにのろのろと立ち上がった。

 植物は日々の手入れを怠れば、花や実の付き具合に如実(によじつ)に現れる。

 霜子は勝手口から納屋に回ると、(くわ)を取り出した。

 使い込まれた柄を握り、すべきことに思いを巡らせると、少し落ち着いてきた。

「今日は、植え付けのために畑を耕したあとは、薔薇(ばら)剪定(せんてい)かな。さぼっているから、早くやらないと」

 前庭に出ると、花々は見事に咲きそろっていた。

 花卉(かき)の栽培と研究は、鹿屋野家の仕事の一つだ。霜子の代になって大幅に縮小しているとはいえ、庭には花木や植物が(あふ)れるほど植えられていた。 

 薔薇は様々な色合いが目に楽しく、日陰に咲く芍薬(しやくやく)楚々(そそ)とした香りを漂わせている。敷石の両脇には、ネモフィラの青と()(らん)の紫があり、どこからか紛れた夕化粧(ゆうげしよう)が素知らぬ顔で桃色の花弁を広げている。

 野生種も不思議と調和した庭は、霜子の密かな自慢だ。

 花々の点検をするため足を止めた霜子は、ふと表門のほうに気を取られた。

 伝統的な門かぶりの松が青々とした葉を茂らせる門だ。

 その下に、男性がいた。

 (えり)の高い褐色の上着と短袴(たんこ)という軍服に、左腰には軍刀を下げている。

 軍帽を目深(まぶか)にかぶった彼は、霜子を見つけると大股で近づいてきた。

 あっという間に霜子の前に来た彼は、見上げるほど大きく、思ったより若い。

「雄々しい」よりも「美しい」と称したくなる不思議な容貌だった。

 意志の強さを表すような太い眉に彩られた双眸(そうぼう)は、こちらを見透かすように()んでいる。髪が陽に透けると黄金に見えるのが華を添えていた。

 霜子は彼の全身から発散される独特の雰囲気に圧倒されて、鍬を握って硬直する。

「勝手に敷地内に入ってすまない。こちらに鹿屋野霜子さんはご在宅か」

 低くよく響く声で投げかけられた言葉を理解するのに、一拍遅れた。

「霜子は私、ですが……」

 おずおずと言い出すと、青年は目を丸くする。

 戸惑うように、野良着を着込んだ少女の全身に目を滑らせた。

 ゆっくりと瞬き、霜子のあどけなくも静謐(せいひつ)な眼差しを見返す。

「君が、花贄であると?」

 慎重に確認する問いが霜子は少しだけ痛かった。

 だが「花贄」を訪ねてきたのであれば、迎えないという選択肢はない。

 霜子は頭の手ぬぐいをほどくと、姿勢を正した。

「その通りです。私が鹿屋野の祭神に身を捧げし『花贄』、霜子と申します」

 (りん)と宣言すると、青年はなにかを堪えるように唇を引き結ぶ。

 そしてぐっと背筋を伸ばすとこう言った。

「お初にお目にかかる。俺は陸軍中尉、丹羽晴晃(にわはるあき)だ。本日は婚約者として挨拶(あいさつ)に来た。……以後よろしく頼む」 

 生真面目な調子の言葉がうまく飲み込めず、霜子はぽかんとする。

「誰が?」

「俺が」

「誰と?」

「君と、だが」

 婚約はいずれ結婚する男女が将来を誓った証に結ぶもの。

 つまり、晴晃は霜子と結婚し──伴侶(はんりよ)になると言っているのだ。

「…………えっ?」

 霜子は威厳を保とうとしていたことすら忘れて、間の抜けた声を上げた。

 とたん、ぽんっと軽やかな音が響く。

 霜子が抱きしめた鍬の柄に、ろうと状の花が咲いた。

 赤紫、白、黄色、赤など多彩な色をした花は白粉花(おしろいばな)だ。

 一つだけではない。霜子の周囲にはさらに白粉花がぽぽぽんっと咲き乱れ、たちまち花畑になる。

 晴晃の瞳が限界まで見開かれるのすら気づかず、霜子は大きな混乱に陥った。