「同世代の男女は同じ世界を見ている』という幻想――パートナーとの対話で見えてきた異世代コミュニケーションのススメ〉から続く

 2度の結婚と離婚を経て、3度目の結婚を前に、姓の変更をめぐる理不尽に直面した漫画家・鳥飼茜さん。改姓のたびに発生する煩雑な手続きを前に、氏の変更にまつわるある作業を放置していたところ、まさかの法律の改正が壁となり立ちはだかり、姓の変更ができなくなってしまったのだ。

「選択的夫婦別姓」制度が実現してくれていれば、こんなことにはならなかったのに……。姓に翻弄される半生、結婚という傘のもとでの見えない男女の力学、あるべきパートナーシップの模索――平和を願ってそれでも結婚に挑み、あまねくすべての人の平和を願って結婚制度のアップデートを願う。好評発売中のエッセイ集『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』について、ご本人のインタビュー記事をお届けします。

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漫画では伝えきれない「なんじゃこりゃ」という衝動をそのまま書きたかった

――今回のエッセイ集は、姓をめぐる理不尽から始まる男女のコミュニケーション論、結婚論ともいえる内容ですね。始まりとなった事件、そこを起点に書かれる結婚生活の考察そのどれもが鳥飼さん自身の体験に根差したものでありながら、普遍的なところへ突き抜けていく。最後には結婚制度のアップデートについても語られる非常にパワフルで読ませる文章ですが、なぜ漫画ではなくエッセイだったのでしょうか。

鳥飼 これまで私は、“女性の自立”や“公平な世界”といったテーマで漫画を描いてきました。幸いなことに、当時は世の中も自由な方向へ向かう追い風が吹いていました。レイプについて描いた『先生の白い嘘』のあとには性被害を告発する#MeTooの流れも生まれた。様々なマイノリティの人たちが声を上げ、社会が動いていくという、ある意味で恵まれた時代だったと感じています。しかし、この数年は歴史が示すようにその「揺り戻し」というものが水面下で起きつつあった。

 そんなこともあって、この本の冒頭の章にあたるエッセーを書いたのは私自身が漫画という表現そのものに限界を感じていた時期だったんです(1章の初出は「文學界」2025年8月号)。もちろん自分の実力不足が大きな原因ですが、そういった世の中の空気の変化のなかで戸惑っていた。それだけに文章でストレートに書けたという快感がありました。

『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』(文藝春秋)

 社会の潮目が変わったとはっきり感じたのは、2022年半ば頃、アメリカで中絶の権利を認めたローvsウェイド判決が覆されたというニュースに触れたときでした。歴史的に女性たちが勝ち取ってきた基本的な権利が失われた。自由の国だと思っていたアメリカでさえ、そうなのだと。それは絶望的とも言えるほど大きな衝撃でした。

 ちょうどその頃、私自身も予期せぬ妊娠など中絶をテーマにした漫画『バッドベイビーは泣かない』の連載を始めたばかりだったので、これでいいのだろうかという迷いもあったし、社会が求めている方向性と自分が描きたいことの間にズレがあるのかもしれない、と感じ始めていた。

 憂鬱な現実から目を背け、もっと単純に気が晴れるものや、かわいいものを見ていたい。そういうムードのなかで私がこれまで漫画を通じて表現してきたような女性の生きづらさや切実さを真ん中に据えたテーマは、いま疎まれているのかもしれない。そんな無力感と、自分の能力不足、そして世の中に対する少しの諦めが重なっていたんです。

『バッドベイビーは泣かない』(講談社)

 そんななか、自分の身に「なんじゃこりゃ」としか言いようのない出来事が起きました。姓の変更という理不尽には結婚離婚のたびにぶつかるわけですが、3度目の結婚を前にしたその理不尽さは感情を爆発させるには十分でした。なぜ女である私ばかりが姓の変更にまつわる煩雑な手続きも、ちょっとずつの我慢も引き受けなければならないのか?もう懲り懲りだという思いに駆られた。

 そしてその衝動は、もう「そのまま」書きたかったんです。漫画にはキャラクターを作り、コマを割り、背景を描くという多くの手間と工程があって、その過程でメッセージは良くも悪くも薄まっていきます。そういう段階をぜんぶ飛ばしてまっすぐに書きたかった。

 周りの人にいてもたってもいられず「聞いて!」と話しかけたいようなはやる思いと、目の前の状況に絶望しながらもどこか自分の内側が燃えているような、不思議な気持ちでした。きっと誰かはこの気持ちを分かってくれるはずだ、と。

自分に嘘をつかない。書くことでようやく面目が立った

 最初は、いまたくさんの人が文章をつづっているnoteのような場所で公にできればいいくらいにしか考えていませんでした。でも気づけば、最初のエッセイは2万字弱になっていた。

 文章を書くのは好きですが、書きたいという衝動だけでそこまで書けたのは驚きでした。書くという行為の純粋な喜びを、久しぶりに味わった気がします。何より、自分に対してようやく面目が立った、という感覚が一番大きかった。

 商業媒体で表現するには、多かれ少なかれ、様々なフィルターをかけなければいけないわけです。SNSでさえ、誰もが本当に思っていることを本音のまま言えるわけではないように。でも今回は、腹の底から気になっていることを、ほとんどそのままの形で書くことができた。男女の関係性の話だけではなく、人の思考の癖が、いかに相手との関係性に歪みを生むかということもその過程で正直に見つめ直しました。

 これまでプライベートを含めた人生の中で、自分を欺いてきたことがたくさんあります。でも今さらではあるけれど、私は自分自身にもう少しちゃんと向き合うことにしたんだと宣言できた、そんな気がしています。

鳥飼茜さん©yui fujii

「自分を守る」といういちばん大切なことを伝えたい

――2章以降は書き下ろしです。2章では2度目の結婚生活について、鳥飼さんの心の動きを中心に、結婚生活の中で段々と男女関係のバランスが変わっていくさまが書かれています。ここは勇気がいるところだったのではないでしょうか。

鳥飼 本として1冊にまとめるにあたり、編集者の方から「以前の結婚生活について、もっと知りたい」という言葉をいただきました。正直なところ、ためらいはありました。私の2度目の結婚は公になっていましたし、相手のことも知っている人もいます。その関係を外に向けて書くことは、褒められたことではないのかもしれない、と。

 でも、その編集者の方は、私がいる漫画業界とはまったく違う世界にいる方でした。私の経歴やスキャンダラスな部分をほとんど知らない、ごく客観的な立場の方がそれを求めるということは、そこには読者が本当に知りたいと思う「筋道」があるのだと感じました。だから、その声に応えなければ、と思ったんです。

 もちろん、書くのは私の主観ですが、その主観の中で最大限の客観性を心がけました。これは独りよがりになっていないか。論拠はあるのか。そうやって、個人的でネガティブな思い出に、どういう社会的意義があるのかという視点で見つめ直すことができたんですね。自分にも刃を向け、嘘のないように書く。それはこの本の中でも書いたのですが、私自身が実際に過去に受けた認知行動療法を通じて自分自身を遠くから見つめ直す作業に似ているかもしれません。

©yui fujii
鳥飼茜さん

 そうやって書いたからこそ、結婚しているか否か、離婚経験があるか否か、パートナーとの関係がどのようなものかという事情がそれぞれに違っても、読んでくださった方から「私にもこういう経験がある」「この気持ちがわかる」という感想が聞こえてきたのだと思います。共感していただけるのは嬉しい一方で、同じような思いをしている人がこんなにいるのか、と残念な気持ちにもなるのですが(笑)。

 でも、この本が、特にこれからパートナーと関係を築いていく若い世代にとって、「自分を大切にしなきゃいけない」「怖いと思う人との関係は続けちゃいけない」という、当たり前だけれど見失いがちな指針として少しでも役に立つのであれば、それ以上に嬉しいことはありません。

無意識に刷り込まれていた「男性文化の優位」

 執筆を通して、私自身がこれまでいかに「男性が作った文化の方が偉い」と無意識に思い込んできたか、ということにも気づかされました。漫画も、音楽も、ファッションも、サブカルチャーでさえも。その中心にあったのは、ほとんどが男性たちの価値観でした。

 男性文化に認められたい、という気持ちが強くあった。だから、その文化の中に存在する女性への侮蔑的な表現を見ても、笑ってやり過ごし、自分も男性の視線を内面化して、そちら側に立とうとしていた。それは女性である自分自身を裏切る行為だったし、パートナーとの関係性とも無縁ではなかった。その居心地の悪さに、本当に長い間、気づくことができなかったのです。

 この感覚は、私自身と私の父親との関係にも根差しています。父は、女性を性的に消費する「男性文化」を、家庭の中にてらいなく持ち込む人でした。その中で、女性である私はどこに立てばいいのか、ずっと気まずさを感じていた。精神的な抑圧に気づかないまま長く過ごすと、その傷が癒えるのには本当に時間がかかります。

『私の身体を生きる』(文藝春秋)で鳥飼さんは自身の父親についても書いている

 だからこの本は、結婚という関係だけでなく、親子関係など、閉じた家の中で苦しい思いをしている人にも届けたいという気持ちがあります。

当たり前を疑う気持ちが、いつか世の中を変えていく

 唐突に聞こえるかもしれませんが、女性の容姿の優劣をジャッジする美人コンテストというものが、昔は当たり前のようにありましたよね。テレビでハイレグ水着を着た女性がズラッと並ぶ光景は珍しくなかった。でも今では批判され、ほとんど見られなくなりました。私の父はミスコンが大好きで、その存在自体を真剣に批判する母のことを「ヒステリーの行き過ぎたイカれ女」だと一蹴していた。でも、時代は変わり、母が言っていたことの方がもはや時代に追いついた。

 私はずっと、男性たちが当たり前に見ているAV文化に、母がミスコンに抱いていたのと同じ気持ちを持っています。「(自分の息子や夫を含む)男とはAVを見るものだ」という常識が根強くある一方で、私の「嫌だ」という気持ちは変わらない。そんな私は今のところ、かつての父が見た母と同じ「行き過ぎたイカれ女」なのでしょう。でも、ある人に「いつかAVが、今のようには当たり前じゃなくなる世の中が来るかもしれないですよ」と言われたのです。あんなに(ちまた)に溢れていたミスコンが、私たちの暮らしから遠ざかったように。

 そのとき、当たり前だと思っていたことが、やっぱり変だ、という気持ちを捨てずに持ち続ける限り、世の中は変わっていく可能性があるんだと思えたんですね。だから、もしいま、何か「これって変だぞ」と感じているなら、その気持ちを無理に潰さないでほしい。それは隣にいるパートナーとの関係そのものかもしれないし、もっと大きな社会の制度や文化かもしれない、その二つはもしかしたらつながっているかもしれない。その違和感をぜひ大切にしてほしいです。

 それからこの本は男性にもぜひ読んでもらいたいですね。自分を大切にし、当たり前を疑うための、小さなきっかけになることを願っています。

著者プロフィール:鳥飼茜(とりかい・あかね)
1981年生まれ、大阪府出身。漫画家。京都市立芸術大学卒業。2004年、「別冊フレンドDX Juliet」(講談社)でデビュー。『おんなのいえ』(講談社)、『サターンリターン』(小学館)、『先生の白い嘘』(講談社)、『地獄のガールフレンド』(祥伝社)など。『バッドベイビーは泣かない』を「週刊モーニング」(講談社)で連載中。エッセイ集に『漫画みたいな恋ください』(筑摩書房)がある。