『豆は煮えたか』(著:朝井まかて)の主人公は、深川佐賀町の水茶屋「ささげや」の女将・お玉。彼女は、人の掌に触れると、その人の「人生のつかのまが見える」という不思議な力を持っています。悩みを抱えた人々が「豆は煮えたか」という符牒を合図に彼女を訪れ、不思議な力に導かれていきます。お玉をはじめ、人知れず特別な力を持つ者たちが織りなす連作短編集『豆は煮えたか』より、第一章の一部をご紹介します。
茶碗の縁にもたれさせるように、薄荷の葉をちょいと添えてみた。
甘い麦湯の色に若緑が冴え、香りも涼しい。「よし」と手を打ち鳴らし、二つの茶碗を盆にのせて縁台に向かった。客の老夫婦は買ってきたばかりの小さな苗鉢を膝に置き、ためつすがめつしている。
「お待ちどおさま」
膝脇に置けども話に夢中で、こなたを見上げもしない。この頃、二人は花いじりに凝っており、今日も草木市の帰りだと言っていた。
「婆さん、この百合はどこに植えるね」
「そりゃ庭でしょうよ。いくら珍しい色だからって、まさか座敷の畳には植えられますまい」
「また、おまえはそうやって茶化しにかかる」
「竹藪沿いの垣を結い直させたばかりだから、あの手前がよござんすよ」
「いや、あすこは木の陰になって目立ちやしない。もったいない」
「思いつきであれこれ植えさせなさるからですよ。唐楓に野茉莉も足したでしょう。瞬く間に緑が混み合っちまったじゃありませんか」
夫婦はここ深川佐賀町でも指折りの船宿を営んでいたが、繁盛しているうちにと倅夫婦に跡を譲り、この近くにこざっぱりとした隠居家を建てて住まっている。小女一人を置くだけの気儘な暮らしぶりで、未だ腰は曲がらず病も得ず、縁日や祭も欠かさない。
「そうは言ったって、唸るほどいい枝ぶりだったんだ。庭木屋もめったとない上物だって太鼓判を捺したよ」
「売る方は上物だって言いますよ。縁談と同じですよ。こいつぁ根腐れですよなんて、どこの仲人が言うんです」
古女房は今日も口がよく回る。付けたりのように、「あら」と顔を上げた。
「お玉さん。そんなとこでぼうと突っ立ってないでお坐りなさいな」
「ええ、いえ、でも」
「遠慮しなさんな。どうせこんな水茶屋、他に客なんぞ来やしないんだから」
お玉は老夫婦の向かいの縁台に腰を下ろし、前垂れの皺を手で伸ばした。
おっしゃる通り、どうせ、こんなにも暇な店ではある。
堀川沿いの通りには間口七間の干鰯問屋や魚油屋、舂米屋などの表店が軒を連ね、町木戸を潜れば長屋や青物屋といった小商いの店がまたぎっしりと建ち並んでいる。江戸では珍しくもない下町だが、道行く人がふと足を止めるのは路地の向こうにぽつりと開けた十坪ほどの空地で、その昔は火除け地を兼ねていたらしい。その一部が広場として残っていて、陽射しの明るさに惹かれてちょいと寄り道すれば、奥にそそり立つ木を「へえ」と仰ぎ見ることになる。
梢も見えぬほど巨きなその椎の木は樹齢がいかほどのものかお玉は知らないけれど、数年前に町の顔役らが集まって幹に縄を回し、藁房と紙垂をつけてお神酒を上げたほどであるので、よほどの古樹なのだろう。
この店はその、たぶん相当にありがたい木の幹に寄りかかるようにして開いており、夏は逞しい枝のおかげで涼しい日陰までいただいている。風があれば青い木漏れ陽がちらちらとして、客の肩まで青んだりする。けれど周囲に立て回した葦簀は方々に破れの目立つ情けなさ、提燈も吹き流しも古びてさっぱり威勢がない。それはわかっている。毎年、店先を夏の拵えにする季節が近づけば今年こそと心を決めるのだ。
けれどいざとなれば雨が降り、晴れていたらやる気が出ない。ま、明日にしよう。明日こそ。でも明日はすぐに今日になって、なんたる蒸し暑さだ。ほうら、やっぱり降ってきた。ま、いいか。来月こそ。来年こそ。そんな具合で、うらぶれた風情のまま何年も過ごしている。
うえぃと妙な声が聞こえた。見れば爺さんだ。鯰がえずいているような声をまた立てたかと思えば舌を出し、土の上に何かを吐き出している。
「おまえさん、どうなすったんです」
婆さんは訊きやるものの眉も動かさず、平然と落ち着いたものだ。「へんなものが咽にひっかかりやがった」爺さんはまだ噎せている。
「さっきのお蕎麦の薬味が口ん中に残ってたんでしょうよ。いい齢なんだから、ちゃんと嚙まないと」
婆さんは「ねえ」とお玉に目配せをして、自身の膝脇の茶碗を持ち上げた。
「おや、葉っぱが落ちてる」
お玉は尻を上げ、中腰のまま近づいた。
「それそれ。薄荷の葉っぱを入れてみたんですよ。暑気払いの麦湯を出してみようか、と思って」
多くを話すまでもなく、相手の顔つきは駄目だと言っている。あんのじょう、婆さんは呆れたふうに息を吐いた。
「下手の考え休むに似たりって、昔っから言うじゃないの。客商売はね、小手先であれこれやるってのが一番いけないんですよ。思い切って若い娘を茶汲みで雇うとか、せめて破れ葦簀を新しくするとか、まずは容れ物をちゃんとしなきゃ。ほら、天井の葦簀にも椎の古葉が溜まってる。客の眼にはね、こういうところも見えるんだから」
いつのまにやら背筋を立て、さすがは深川でも名うての女将であった貫禄だ。かたわらの爺さんまでが羽織の裾を翻すように立ち上がるではないか。
「ささげやさん、名物だよ。新しい名物を拵えなきゃ」
わざわざ店の屋号を口にしながら茶代の五十文を縁台の上に置き、百合の苗鉢を大事そうに抱え上げた。婆さんも腰を上げたが、「おまえさん、それを言っちゃ駄目」と取り成し顔を作る。
「詮無いことを。お玉さん、ごめんなさいよ」
詫びられると、それは絶好の隙に思えた。ここを先途とばかりに店の厨へと向かい、重箱を手にして取って返した。濡れ布巾を外し、婆さんの胸前にさし出す。
「お味見をお願いします」
「また作ったの。懲りないねえ」
目を丸くして後じさる。けれどふくらはぎが縁台に当たり、動きようがない。婆さんは身をのけ反らせて「ご勘弁」と抗うが、爺さんは縁台の向こうでにやにやしている。
「お玉さんが頼んでんだから食べてやんなよ。だいいち、豆がもったいないじゃないか」
「そんなこと言うんならおまえさんが味見なさいよ。あたしゃ厭ですよ。しばらく何を食べても不味くって難儀したの、おまえさんも知っておいでじゃありませんか。ちょいと、女房を置き去りにするの。ちょいと待っておくれな」
婆さんは「んもう、いざとなると薄情」とぼやきながら、お玉を振り向いた。
「悪く思わないどくれよ。喜之さんがあんなことになってからこっち、独りでよくやってると思ってるの。でも味見は勘弁して。それと、麦湯に薄荷は余計だ。あれは葉っぱが毛羽立ってるから、年寄りや子供が咽に詰まらせると事ですよ」
そそくさと立ち去る背中を、お玉はぼんやりと見送るばかりだ。逃げられた。重箱を抱えたまま、ぽてりと縁台に坐り込んだ。
夫婦の心はありがたい。あともう少しで自分の家に着くというのに、ここでわざわざ一休みしてくれる。外出をするたび必ずだ。そしていつも間違ったことは言わない。
ささげやの名物、豆餅。
柔らかく煮た大角豆が餅に粒々と入り、中には甘じょっぱいこし餡だ。縁台で一休みする客たちはうんうんと頰を動かして目尻を下げ、わざわざ橋向こうの町からも五つ六つと購いに来る客も少なくなく、時には大名屋敷の奥からの注文まであった。そのうち『江戸買物独案内』に載るんじゃないかなどと噂されれば、お玉も誇らしかった。
ちょいとお待ちください。今、追加をやってますから。その間にお茶はいかがです。正月は福茶で春は桜茶、夏は新茶と麦湯、秋は香煎茶に、冬はあられ茶。ええ、番茶はいつでもご用意がございますよ。はい、豆餅もご一緒に。お土産に二十、ここでお一つずつ。はい。まいどありがとうございます。
ささげやはいつも賑わっていた。亭主の喜之助が生きていた頃は。
俯けば溜息が落ちる。
あたしだって、あの豆餅が恋しい。でも作れない。天地を逆さまにしたって無理だ。まずもって、餅が搗けない。女の細腕で、いや、この頃は肥ってたいして細くもないけれど、毎朝、杵を手にして臼に立ち向かってみた。亭主の仕方をずっとそばで見ていたのだから、できるはずだ。けれど米の蒸し方から搗き方まで違うらしかった。
もっと手強かったのは餅に入れる大角豆、そして小豆のこし餡だ。同じ豆を仕入れて同じように煮ているはずだ。けれど火加減、塩加減、砂糖の加減まで見当違いらしい。古くからの贔屓は名物がすたれたことを嘆き、一見の客は決まって変な顔をする。
皮が硬い、舌に障る、餡がだらだらしてる。甘くない。しょっぱくもない。なんだ、これ。よくもこんな薄ぼんやりした物を平気で喰わせやがる。
お玉はとうとう音を上げ、餅の代わりに白玉粉で皮を作ることにした。割り切ったのだ。それでも毎日、出来が違うらしい。今や、有情の隠居夫婦にさえ味見を断られる。
この味噌汁、味がしねえなあ。煮魚は辛過ぎらあ。
亭主の喜之助には時々ぼやかれた。お玉はもともと味の良し悪しに頓着することがなく、何を食べてもまずいと感じることがない。つまり、喰えりゃあいい。ところが喜之助は職人だ。たまにしくじったと言って、小豆を一から煮直したりしていた。お玉は鍋の中にそっと杓文字を突っ込んでは首を傾げたものだ。いつもと変わらないじゃないの。おいしいじゃないの。
けれどたぶん、それだけじゃない。素人が簡単に名物を再現できるなど、世の中そう甘くはできちゃいないのだろう。
「若い茶汲み娘、雇うかなあ。別嬪の、柳腰の、ちゃきちゃきと気風のいい深川小町」
店の中を再び見回した。
「こんな店じゃ、いい娘は奉公してくれないか」
考えるだに面倒になってくる。
店の前の広場では屋台の天麩羅屋や玩具売り、水売りが呼び太鼓を鳴らしているのだが、今日は誰も商いに訪れておらず、五月の光が気だるげに溜まっているだけだ。路地の向こうは川縁の通りで、いつもは表店の手代や丁稚が忙しげに立ち働いているのに今日はどういうわけだろう、町が昼寝をしているかのように静かだ。
荷舟が行き交うつど、柳が水面を慕うように青枝を靡かせる。船頭の遣う櫓の水音が響いてきて、けれどあれは鳥の声かもしれない。
重箱を抱えたまま肩をすぼめ、見るともなく空を見上げた。素っ気ないほどに晴れている。
せめてあたしが、もうちっとばかし見目がよかったなら。そしたら粋な孀婦を目当てに鼻の下を長くした客がいくらかはあろうに、さっぱりだ。
お玉はぽってりとした丸顔で、目と鼻もこぢんまりとしている。つまり、精一杯うぬぼれてみても十人並だ。たまに人様に褒められるのは肌の白さだが、なに、七難隠すほどじゃない。なにしろ齢三十の大年増、しかも近頃は目の下から頰にかけて雀斑か染みかよくわからぬものが湧いてきている。軒先に巣を作っていた燕さえも、いつのまにやら姿を見せなくなった。
潮時かなあ。
おまえさん、もういいよね。あたし、頑張ったよ。石の上にも五年踏ん張った。五年の修業なんぞ短いなんて、笑わないどくれ。あたしがささげやの名物を拵えるなんて、どだいが無理な話なんだ。
「もし」
呼ぶ声がして、振り向いた。その刹那、さっと風が吹いて目尻が冷たくなった。不覚にも濡らしていたらしい。「いらっしゃい」と商い用の声を拵えながら指先で目尻を拭い、腰を上げた。
珍しく、娘二人の客だ。三味線の形をした袋を抱えているので稽古帰りなのだろう、着物も流行りの格子柄だ。
「どうぞ、お好きなところに」
厨に向かえば、もう一度「もし」と引き留める。お玉は娘二人に向き直った。前に立つ娘は黒目勝ちの大きな瞳で、頰など湯上がりのような桜色だ。唇は厚く受け口で、赤い紅が妙に艶めかしい。後ろに立つ娘は遠慮がちな伏し目で、いかにも気乗りのしていなそうな風情だ。
前の娘が数歩お玉に近づき、小首を傾げながら唇を開いた。
「お豆は煮えましたか」
やはり、そうか。
この時、いつもたじろいでしまうのはなぜなんだろう。けれど結句は受け容れてしまう。お玉は「ええ」と顎を引いた。
「煮えておりますよ」
数段低い声が出て、「裏庭からお入りください」と枝折戸を目で指した。娘はぱっと眉間を開いて声を弾ませ、「おなっちゃん、こっちよ、こっち」と先導している。お玉は厨に入って重箱を置き、手早く竈の火を始末して提燈を仕舞い、五つの縁台を片寄せた。葦簀を店先に立て回せば、今日はもう仕舞いという合図だ。どのみち客は来ない。
前垂れの紐を解きながら、家の内に上がった。
あの時、選んだ道が違っていたら。
こんな亭主、あんな女房と一緒になっていなければ。いや、この家に越してからが不幸続きなのだ。商いがこうも傾いたのは、あの日、橋の袂であの男と出会ったせいだ。かほどに懸命に生きてきたのに、何一つ報われることがないたぁどういうわけだ。さては先祖供養が足りぬのか。それとも先祖が犯した罪の因果か。神仏への信心がまだ足りぬというか。いやさ、とかくままならぬ世に生まれてきたのがそもそもの不倖せ、諦め切ってしまえば出家するしかない。ならばせめて向後はしくじらぬよう、将来を選びたいではないか。それがどうにもならぬ運命への、せめてもの抵抗だ。
あまり気の進む生業ではないので自ら触れることはせず、近所の者はむろん、あの隠居夫婦も知らないはずだ。けれど一人観ればその口から洩れるのは川水を堰き止めるよりも難しく、こうして月に幾人かの訪いがある。それでお玉も思案して符牒を定めた。
――豆は煮えたか
この言葉を口にする者は誰かの紹介と決まっていて、いざとなれば身元を辿ることができる。
裏庭の沓脱石に並んだ桐下駄は鼻緒も二通り、朱赤に白の矢絣と、もう一方は地味な草色に黒の細縞だ。二人を椽側に面した六畳に通し、お玉は経机の前に腰を下ろした。背後の書物棚から易書と筮竹、算木を取り出して机にのせ、手早く墨を磨って半紙を広げた。
「どちらですか。それとも、お二人とも」
派手な方の娘がもう一人の背に腕を回して前へと押すが、「あたしは付き添うだけって言ったじゃないの。おこうちゃんが観ておもらいなさいよ」半ば怒ったように動かない。
「そうお」と、華やかな格子柄が膝で前に進んできた。
いつもの手順通り、名前と生まれ年、月日、わかる場合は生まれた時刻も聞き取って紙に記してゆく。名はこう、京橋の薬種商の一人娘で文化十二年乙亥生まれだというから十七歳だ。
「何をお知りになりたいんです」
名乗った娘は照れたように小さく笑い、後ろの娘を見返って今度は声に出して笑った。居ずまいを正したかと思えば長い袂を膝の上に畳んでのせ、やっと赤い唇の端をめくるように開く。
「親の決めた縁談があって、でもあたしには好いたひとがあるんです。そのひとと一緒になれるかどうか、お師匠さん、お願いします」
「じゃあ、お相手の名前と生まれ年を」
「弥吉さん。魚河岸の競り人で、去年の川開きの日に知り合って、花火を一緒に見て。齢はあたしより二つ上です。あのひと、界隈でも有名な男ぶりだけど、あたしは顔じゃないの。歩き方が好き。大股で真っ直ぐに前を見て、どんなに遠目でもすらりと目立つ」
鯔背な若者に首ったけだ。なんだか懐かしいような気がする。浅はかで愚かで、周りのことなんぞおかまいなしで、一途に想いを懸ける。
「縁談のお相手の名と生年もお伺いしておきましょう」
とたんに頰を曇らせて「要りますか」と言うので、「念の為」とあえて素っ気なく返した。すると渋々ながらも口を開いた。
「おっ母さんに訊いてきてよかった。でもおっ母さんたら、あたしが縁談に乗り気になったと勘違いしちゃって、あとがうんざり」
膝上の袂をつかんで畳の上に抛る。
「あんなひと、ほんと願い下げなんです。大店の次男坊だけど、てんで野暮。肥ってて猪首なの。鼻の息が荒いの。いくら暮らしに困らないからって、あんな縁談、あんまりだわ」
おこうはまた顔を回らせ、「ねえ、あたしを馬鹿にしてる」と背後の娘を見やった。強引なようでその実は友達を頼りにしているらしい。後ろで控えている娘はといえば目鼻の整った顔立ちだがひっそりとして、身じろぎもしない。
お玉はおもむろに算木と筮竹を手にした。易書を開き、出た卦を小筆で半紙に書き留め、しばし黙してから顔を上げた。
「おこうさん、左の掌を見せてください」
「手相も併せて判じてくれるって聞いたけど、本当だったんですね。念には念を入れてもらわないと、そうよ、将来が懸かっているもの。いいえ、なにより大事なのは弥吉さんの命。あのひと、あたしと一緒になれなかったら死ぬなんて言うんだもの。そんなこと、させやしない。あたしたち、お父っつぁんとおっ母さんが許してくれなかったら欠落する覚悟なんです」
顔を赤く染め、経机に掌を置いた。
命懸け、欠落、家も親も何もかもを捨てて恋を貫く。そんな大胆なことをしてのける己は娘としての値打ちが幾枚も上がるような気がして、いつか芝居や読本で描かれるかもしれないと本気で夢想している。そう、ここで親の言いなりになったら、つまらないではないか。けれど不安でもある。欠落なんぞという大変をしでかす限りは、どうでも幸せにならないと。その請け合いが欲しい。後押しして欲しい。ゆえに、おこうはここへやってきた。
豆は煮えたか、と。
お玉は息を整えて、小さな掌にまなざしを落とした。それをしばらくしたのち、自分の掌を重ねる。
「変わったやり方なんですね」
「しばらく黙ってなさい。動かないで」
柔らかな、しっとりと湿りけを帯びた掌だ。奉公人が揃った家で何不自由なく育ち、稽古事に明け暮れ、自身で水を使うこともほとんどないだろう。
目を閉じ、さらに息遣いを深く間遠にする。やがて眼裏の薄闇が朧な光に変じ、だんだんと色を伴い、人の像を結び始めた。
おや、縫物をしているようだ。落ち着いた色柄の夏紬に黒繻子の襟をかけ、化粧に凝っていないぶん匂い立つような若女房ぶりだ。そこへ小さな男の子を肩車した男が現れた。低い鼻は胡坐をかいて横に広がり、目は頰に埋もれそうなほど細い。そして首は太く短い。
おこう、縫物はよしにしないかね。そろそろ、川開きの花火が上がるよ。
若女房は目尻に微かな皺を寄せて亭主を見上げ、今年はどんな花火でしょうねと笑んだ。
やがて月が雲間に隠れるように一家の姿が遠ざかり、薄闇が戻ってきた。
なるほど。
お玉はそっと手を引き、目を開いた。
「お師匠さん」
おこうはもの問いたげに眉根を寄せる。お玉は半紙に書き留めた文字を目で追いながら思案を練る。観ることよりも、それを告げる言葉の方がよほど難しい。
「ああ、おなっちゃん、どうしよう。怖いわ、あたし」
おこうは膝を回して助けを求め、己の頰を手でつかんで髷を揺らした。簪がしゃらしゃらと鳴る。お玉は黙って待ってやる。ようよう覚悟を決めたらしき娘に目を据え、ひと思いに告げた。
「親御さんのお決めになった縁談はとてもよいものです」
するとおこうは眉を逆立て、半身を後ろに引いた。
「そんな。弥吉さんと一緒になれないっておっしゃるんですか」
「そうではなくて、縁談のお相手との相性がとてもよい、そういう卦が出ているのですよ。おそらく、これ以上はないほどの」
「信じられない。じゃあ、弥吉さんはどうなるの。あのひと死んでしまうかもしれない。そんなことになったら、あたし」
噴くように涙声を上げる。
「弥吉さんは死にませんよ」
でなければ、おこうはあんなふうに美しく笑んでいられるわけがない。花火を口にしたあの横顔に翳はなかった。
「でも、思うようになさればいい。たかが八卦です」
おこうは袖を顔に押しつけ、泣きじゃくり始めた。おなっちゃんと呼ばれた友達は肩に手を置いて慰めていたが、ふいに眦を鋭くしてお玉を見た。そのまま経机の前に進み出て、
「あたしも観てください」
おこうが顎を上げた。「おなっちゃん」鼻を啜りながら問い、とまどっているようだ。けれど女友達は「お願いします」と前のめりになった。
お玉は少し疲れが差していたが、「構いませんよ」と机の上の半紙を新しくした。思い詰めているように見えたからだ。こちらの方が、おこうより遥かに。
「あなたは何を知りたいの。あなたにも好きなひとがあるの」
「いいえ、そんなひと、いやしません」
口早に答えた。図星だったらしい。
「五年後のあたしを知りとうございます」
お玉は黙ってうなずき、名と生年を訊いた。おこうと同い齢の幼馴染みで、名は奈津、父は町医者であるという。算木と筮竹を遣って易書を開き、小筆で半紙に書き留める。あえて一呼吸おいてから告げた。
「左手を」
五月晴れであった今日も夕暮れが近づくと、裏庭を渡る風が変わる。お奈津の掌もひどく冷たい。そのうえ指が小刻みに顫えている。何にそうも慄いている。そんな訝しみを頭の隅に押しやり、お玉はお奈津の掌に掌を重ねた。
目を閉じてもしばらく暗い薄闇のままで、悲しい将来でなければいいがとふと思い、だが自らを戒める。こなたの気持ちは要らない。闇の中をただ見澄ますのみ。
彼方にようやく微かな色がともり、像を結び始めた。お奈津の姿だ。
暮らしぶりはおこうより格段に落ちることが身形でわかる。今よりも瘦せて髪にも艶がない。疲れた横顔で唇を引き結び、長い前垂れをつけている。水茶屋。いや、ここは飲屋だ。徳利と猪口を運んで、客に向ける笑みもおざなりだ。町医者の父親の身に何か起きたのか、ともかくお奈津は働いている。酔客に尻を触られようが声も立てぬということは、かような境遇も昨日今日ではなさそうだ。それとも、すっかり諦めをつけたのか。
気配がして、また客が入ってきたらしい。いらっしゃいと気だるげに言いながら顔を回らせて、お奈津は棒立ちになった。男が立っている。上背のある職人体の男だ。鼻筋と頤が細く、けれど荒んだ感じはしない。
やっと会えた。
低く告げた。お奈津が男の名を呟き、たちまち目が潤んで頰に溢れた。荒れた手で顔を覆って泣くので、客らが何事かと首を伸ばしている。
お玉はあともう少し見ていたいような気がしたが、やがて薄闇が戻ってきた。目を開けば、お奈津が音を立てて息を吞み下したのが聞こえた。さほど思案するまでもなく小声で告げた。
「苦労しますよ。でも、添えます」
それだけで、お奈津にはわかるはずだ。あんのじょう俯いて肩を震わせている。
弥吉さん。
お奈津はたしかに、そう呼んだ。
おこうが先に惚れたのか、それともお奈津が先であったのかはわからない。その間で悩んで苦しんで、でもどうしても諦めがつけられない。ゆえに占いなんぞと思いながら、おこうと共に深川まで足を運んできたのだろう。
おこうはあべこべに、お奈津を慰める番だ。
「おなっちゃん、気を落とさないで。大丈夫よ、あたしがついてる」
お奈津はきっと嬉し泣きをしているのだろうけれど、それに気づかぬほどだからおこうは鋭敏な質ではない。今は若さゆえに気持ちやふるまいに落ち着きがないだけだ。あのご亭主となら、少し鈍な気質もおおらかさに変じるだろう。気性が育つ。
一方、お奈津は弥吉への想いを捨てがたく、しかも身の上が変わってしまった。弥吉の身にも何かが起きた。けれど二人は再び巡り合う。それはおそらく五、六年も先のことだけれど。それまでは言うに言われぬ苦労を重ねるだろうけれども。
見料は客の気持ち次第にしていると告げると二百文ずつを置き、三味線袋を抱えて六畳を出る。裏庭の草叢にはもう宵闇が漂っている。日暮れまでに家に帰らねば、大目玉を喰う齢ごろの娘たちだ。
「お師匠さん、ありがとうございました」
枝折戸の前で二人並んで辞儀をした。お玉は「気をつけてお帰りなさい」と見送った。
二人とも、今のままの仲良しではいられない。これから、たくさん泣くことが起きる。
でもどうか、あなたがたの人生に幸あれかし。
六畳間に戻り、経机の上の物をのろのろと片づける。どれも見せかけに過ぎない道具だ。書物棚に周易判断の書も積んではいるが会得するどころか、いくらも読まぬうちに眠くなってしまう。
お玉は卜占者を装っているに過ぎない。ああして手相を観るふりをして掌に触れることで、人生のつかのまが見えるだけだ。それは真かと真っ向から問われれば心許ない。怪しい。見たことをいかに相談者に告げるか、それはもっと難しい。見ると観るは似て非なるものだから。
けれど、掌は将来を仄めかしてくる。
今のところ外したことはない。たぶん。





