日本人初のイコン画家の生涯
朝井まかてさんの最新刊『白光(びゃっこう)』は、日本人初のイコン画家・山下りんの波乱万丈な生涯を描いた長編小説だ。
「これまで“信仰”を書いたことがなかったので、難しいとは承知しながら挑戦してみました。ロシア正教についてもほとんど知識がなく、同じキリスト教でもカトリックやプロテスタントとは使う言葉も違います。読者が難解に感じないように意を払い、りんの人生を共に生きていただければと願いながら書きました。無我夢中でした」
明治六年、絵師を目指して故郷の笠間(茨城県)を飛び出した少女は、やがて日本初の美術教育機関である工部美術学校へ入学を果たす。そこで西洋画の才を究めようと奮闘するが、満足のいく授業を受けられなくなる。そんななか、友人を介して出会ったのがロシア正教、そして今も“ニコライ堂”で知られる宣教師ニコライだ。りんにとっては、西洋世界そのものだった。
「洗礼を受けた契機は、西洋画の女画工としての道が開けるかもしれない、と考えたことが大きいでしょう。では、真の信仰心が芽生えたのはいつか? 真のイコン画家になったのはいつなのか? 小説だからこそ、芸術と信仰の狭間で苦悩する姿、信仰の発露、やがて祈りの画家へと向かう過程にも迫れると思いました」
入信の直後、思いがけない転機が訪れる。ニコライのすすめで、ロシアの女子修道院に留学することになったのだ。本場で西洋画の勉強ができる。りんは期待に胸を膨らませるが、サンクトペテルブルクで待ち受けていたのは苦難の道だった。修道院では、伝統的な聖像画を正確に模写することが求められ、逸脱は許されない。彼女の希望とは真逆の教育を受けることに……。
「りんは近代的な自我を持った女性です。芸術への希求が人一倍強いのに修道院では前時代的な描き方を求められるわけですから、修道女たちに真っ向から反発しました。模写する聖像画を下手だ、陰気だと嫌悪します。彼女は相当な画力を持っているだけに、下手な絵が嫌いなんです(笑)。でもロシアへ取材に行った際に美術館でたくさんイコンを観てきましたが、古い聖像画のプリミティブな魅力は忘れられません。まさに信仰芸術の原点でした」
芸術と信仰の間で葛藤する彼女は、次第に心身の調子を崩し、留学半ばで帰国する。日本ではやがて日露戦争の足音が近づき、ロシア正教、そしてニコライの立場も苦しくなっていく。目まぐるしく時代が変化するなか、“聖像画を描くこと”に向き合い続けたりんが至った境地とは――。朝井さん渾身の大作を堪能してほしい。
あさいまかて 一九五九年、大阪府生まれ。二〇一四年『恋歌』で直木賞、一六年『眩』で中山義秀文学賞、二〇年『グッドバイ』で親鸞賞を受賞。『銀の猫』ほか著作多数。