米澤穂信は、人気・実力ともミステリ界のトップランナーの一人である。作者とその作品は、幾多の文学賞を受賞するなど、高い評価も得てきた。
年末の恒例となっているミステリ・ランキングにおいても、その年に発表した作品が上位に入るのが当たり前のようになっている。宝島社の『このミステリーがすごい!』では、二〇一五年版で『満願』、一六年版で『王とサーカス』、二二年版では『黒牢城』が一位に輝き、本作『可燃物』は二四年版の一位に輝いていた。遠慮というものを知らないのか、とうっかり暴言を吐いてしまいそうになる活躍ぶりだ(作者は遠慮の仕様がないのですが)。
しかも、前記の作品はそれぞれまるで異なるアプローチでミステリの面白さを追求し、どれも的の中心を射抜いているのだから感服するばかり。作者はデビュー作の『氷菓』以来書き続けている〈古典部〉シリーズや『春期限定いちごタルト事件』に始まる〈小市民〉シリーズなど人気シリーズをいくつか擁しているが、それらが固定票を摑んでランクインしているわけではない。
付記しておくと、『可燃物』は「週刊文春」と早川書房の「ミステリマガジン」誌上で発表される年間ベスト10でも一位に輝いている。本来、短編集はこういうランキングで不利になりがちなのに。ここまで評価が揃っているのだから、面白さは折り紙つきと言ってよいだろう。
ただ、世の中には面白いだけでは満足せず、ありきたりではない面白さを求める人もいる。実に欲張りだが、素晴らしい。そういうファンがいてこそ、小説もミステリも活性化するのだ。
『可燃物』は、その希望にも応えてくれる作品だ。収録された五編が粒よりの逸品であるだけでなく、どの作品でもミステリの可能性を押し広げる試みが為されており、果敢なチャレンジは見事な成功を収めている。
本作については、『このミス』や文藝春秋PRサイト『本の話』で作者がインタビューに答えていて、創作の興味深い裏話が明かされていた。ポイントは次の三つ。
・第一話「崖の下」はトリックありきで単発ものとして書いた。
・キャラクター設定には凝らず、仕事として捜査にあたる刑事を探偵役としたのだが、編集者に「そういうのは待っている人が多いはず」と勧められ、葛警部を主人公に連作化することにした。
・各話ごとにミステリとしての趣向を変えた。ハウダニット(方法をめぐる謎)、ミッシングリンク(共通点をめぐる謎)、ホワイダニット(理由をめぐる謎)、フーダニット(犯人探し)など。
これらの上に、次のような大きなコンセプトがある。
・どの短編も謎解きの面白さに主眼を置いた本格ミステリ(読者が正しく推理すれば謎が解ける)とする。
・刑事や警察に充分な現実味を持たせる。
作者の発言の正確な引用ではないし、筆者の解釈が入っていることをお断わりしておく。
注目したいのはコンセプトで、この連作で作者がめざしたのは本格ミステリであることと作中の刑事・警察に現実味を持たせることの両立だ。
作者によると「たまたま警察官が探偵役」であり、警察小説としては書いていないとのこと。警察の組織的捜査より葛警部の名探偵ぶりを描くことを優先しているのだが、可能な限り刑事・警察にリアリティを付与すべく、たくさんの資料を読み込んだことがインタビューで語られていた。これこそが果敢なチャレンジであり、この連作の魅力となっている。
本格ミステリの名探偵といえば、多くのファンはシャーロック・ホームズなど民間人の探偵を思い浮かべる。捜査のプロではない彼・彼女らが個でありながら警察を出し抜く。その虚構性に夢が感じられるせいだろう。
その時、えてして夢と引き換えにリアリティが低下するのはやむを得ないことにされてきた。素人が犯罪捜査に首を突っ込むことは現実にはありそうもないのに、本格ミステリではあの手この手で探偵役を務めさせる。それを成立させるために、作品全体のリアリティを調整してまで。
何を今さら、と思われるだろうが、これは多年にわたって本格ミステリが抱えてきた課題なのだ。提出期限のない宿題とでも言おうか。
本格は空想的であってもかまわない、という考え方もある。素人探偵が謎を解く世界でこそ、ロマンティックなまでの難事件が起きるのだ、と。ただし、そのような割り切りのせいで、ともすると本格が幼く見えてしまい、読者を選ぶ側面があるのは否めない。
割り切らないとしたら、警察官を名探偵に起用するのが妥協的な解決策となる。実際、一九七〇年代以降のイギリス本格ミステリの主人公には、警視・警部・警部補がずらりと並ぶ。まるでそうせよと誰かの号令が掛かったかのごとく。
一方、わが国では八〇年代末に新本格ムーヴメントが興り、夢想をはかなくした社会派へのカウンターからか、多種多様な探偵役が生まれ、作中に警察を登場させないタイプのもの(孤島を舞台にするなどして)もリアリティを調整しながら数多く書かれた。かなり前だが、「本格なのに警察が出てきた」という若い読者の声をネット上で目にして、驚いたことがある。
警察が出てきた方が面白いかどうかは、もちろん作品によるだろう。孤島を舞台にしたり、リアリティを緩めた警察を出したりしながら本格ミステリを書いてきた筆者の見解は―傾向として、警察の捜査を描いた方が本格としての強さは増す。
なぜならば、謎を解き明かす探偵役に集まる情報量が多くなるからだ。素人だけの捜査で得られる情報は格段に少なく、そのうちのいくつかを組み合わせた推理では余詰め(別の解答)を消しにくい。名探偵にふさわしいのは、警察が捜査で集めた情報にアクセスできる人物ではないか。
あくまでも「傾向として」なので、それを逆手に取った書き方もあるのだが、本題から逸れるので立ち入らない。
葛警部の活躍を描くにあたり、作者は本格ミステリの読者を夢想的なミステリ空間に引き込むのではなく、なるべくリアルに警察を描くことで現実をミステリ空間化しようとした。そして、多年にわたって抱えてきた課題を乗り越えている。トップランナーの新たな達成と讃えたい。
「確かに作中の捜査の描き方や警察内部のやりとりに現実味があったなあ」と納得しておしまいではない。
本格ミステリがちょっと大人っぽく振る舞っているというだけに留まらず、現実の圧力を作劇に利用しているため、それを押し返す本格らしい興趣が強まっているのである。どういうことなのか、一話ずつ検証していこう。
ただ、踏み込んだことを書こうとしたら、工夫しても真相に言及するのを避けられそうにない。この小文を先にお読みになっている方は、どうか本編を読了してからこの先にお進みください。
「崖の下」
作者が「トリックありき」「よいアイディアがあったので」と語っているとおり、前例のない真相が最後に明かされる。さりげなく張られた伏線をちゃんと見抜けた読者は、ごくわずかだろう。
どのようにして犯行を為したのかが謎となるため、作者は〈ハウダニット〉としているが、この作品は〈意外な凶器〉ミステリとも言える。江戸川乱歩は有名な「類別トリック集成」で「兇器のトリック」という一項を設けた。乱歩は「殺人手段とは考えられないような器具、又は方法」を並べてみせたのだが、そこで紹介された作例を見たところ意外性にも二種類がある。一つは、それが犯行に使えたとは思えないもの。もう一つは、それがそこに隠せるとは思えなかったもの。
「崖の下」の〈凶器〉は前者にあたるようでいて、そうとは断じかねる曖昧な印象も受ける。なんとも忘れがたい凶器だ。
単発作品として書かれたのに、この作品には連作の基調となるものがはっきりと出ており、米澤穂信の作家的体幹の強靱さを感じた。
第一に、捜査と推理によって謎がきれいに解体される物語でありながら、解決後に振り返ると全体が奇談めいていること。優れた本格ミステリによくあることだ。
第二に、ウェットな表現を排したハードボイルドな文体が採用されていること。最後の一行など惚れぼれしてしまう。中国語ではハードボイルドは冷硬派と訳されるが、この冷硬派的文体が葛警部の内面の熱さを逆照射している。
「ねむけ」
ハードボイルド御三家の一人、ロス・マクドナルドの『さむけ』を連想させるタイトルだが、内容につながりはない。後述するが、これはとんでもないタイトルである。
問題となるのは、深夜の交差点での交通事故。それが発生した時、どちらの信号が赤だったのか? 読者に差し出されるのは、法廷ものに仕立て上げられそうな謎だ。
作者が言う〈ミッシングリンク〉とは、一連の出来事に隠されている法則性を探すタイプのミステリを指す。この作品においては、目撃証言に共通する何かを見破ることが求められているのだが、共通する何かが存在するかどうかも不確かなので、〈ミッシングリンク〉としては変種だろう。証言を精査して違和感を探すことが眼目とも言えそうだ。葛は何に引っ掛かっているのかが、読者にとって魅力的な謎となる。
田熊が事故を起こすまで時速五十キロで走行していた、という事実から葛が進める推理の鋭いこと。本格好きなら、胸を高鳴らせずにいられないだろう。
そして、伏線の大胆さに感嘆させられる。〈ねむけ〉は作中で繰り返し言及されているどころか、タイトルにも掲げられている。物語の一行目を読みだすよりも前に、作者はぬけぬけと答えを示していたのだ。
短編小説を読む際、読者はタイトルを記憶に留めないままページをめくりがちで、ろくに見もせず読むことさえある、という確信が作者にはあったのか。読者の隙も、〈ねむけ〉の一語は包含しているように思える。
目撃者たちが皆、ことが起きた時に睡魔に襲われていたのは、恐るべき偶然とまでは言えないにせよ、やはり奇談めいている。
「命の恩」
作者は〈ホワイダニット〉を二つに分類している。「どうしてこういう犯行をしたのか」という犯行そのものの動機を探るのが大ホワイダニット。犯行の中で「どうしてこんな不合理な行動をしたのか」を問うのが小ホワイダニット。「命の恩」は後者とのことだが、ことは単純ではない。
死体を遺棄した犯人が判明した後、最後まで葛を悩ませるのが「なぜ犯人は死体をばらばらにして撒いたのか?」という疑問。だが、「そもそもばらばらにした理由は何か?」「なぜハイキングの人気スポットに撒いたのか?」「ある部位が発見されないことに理由はあるのか?」など、考察すべきポイントがいくつもあった。「そもそも逮捕した人物は本当に殺人犯なのか?」も確定しない。
結末は意外にして衝撃的で、ある意味ありがちの猟奇殺人が奇談に転じる。ぬっと顔を出すのは狂気や不条理ではなく、徹底した正気と条理。徹底しすぎていて非現実的になる瀬戸際で、本格ミステリらしい〈奇妙な論理〉が真相を支える。そして、死体切断は不可避にして必然であった、と納得するしかなくなるのだった。奇談性は高い。
独創的で大きなアイディアが使われているため、長編として読みたかった気もするのだが、「米澤穂信とすれば、これしきで長編は大袈裟」だったのか? 密度の高い短編にすることで切れ味が増す、と判断したのかもしれないが、いずれにしても畏れ入りました。
「可燃物」
葛が相対する事件にバラエティを持たせるためか、今度は連続放火事件である。こちらは「なぜ犯人は妙な放火を繰り返すのか?」を中心にした大ホワイダニット。ある時点で放火事件が止まった理由も判らない。
と同時に、犯人が火を点けた時間や場所に隠された共通点があり、〈ミッシングリンク〉が解決を阻んでいるようにも思えて、捜査陣も読者も翻弄される。
インパクトの大きな二作品に挟まれたこの作品は、表題作でありながら事件が小さい。それでも伏線の張り方が巧みで、サッカーにたとえるとロングスルーパスが華麗に決まるのを見るかのようだ。
難航する捜査の中で、「ふだん捜査に際して、葛は動機を重視しない」というくだりがある。そんな彼でも今回は動機を探らずにいられない、という場面なのだが、動機を後回しにする姿勢はまさに本格ミステリのものであり、傍線を引きたいほど共感を覚えた。動機から真相にたどり着けるのなら、推理は要らないのである。
他の四編に比べると、現実味を感じられる奇談と言えそうだ。
「本物か」
拳銃らしきものを手にした犯人によるファミリーレストラン人質立てこもり事件とあって、最も緊迫感のある作品になっている。探偵役を刑事にしたことがフルに活かされているのも楽しい。
レストラン内で何が起きているかが不明なので、作者の言うとおり〈フーダニット〉なのだが、犯人探しにしてはやはり変種だ。何が起きているのかを問う〈ホワットダニット〉のようでもある。それを解明する鍵となるのが、「あの拳銃は本物か?」という疑問。
本格ミステリの謎は、あれこれ考えているうちに答えの見当がつくこともあるが、作者は「ここからきれいに裂けますよ」という切れ目を作中に入れるものだ。この作品で用意された切れ目こそ拳銃の真偽で、ご丁寧にタイトルにもなっている。
奇談としても申し分のない意外な結末だが、事の次第が判ってみれば、立てこもりがいつまでも続けられるはずもなく、いずれ犯人が逮捕されるのは必至だった。立てこもりを始めた時点で、詰んでいたのである。その悪あがきの途中を切り取ればスリリングな〈フーダニット〉〈ホワットダニット〉になる、という発想に拍手を送りたい。
五編を心ゆくまで楽しんだが、これで終わってしまうのは淋しい。編集部は続編を望んでいて、作者も「機会があれば書いていきたいです」と答えてくれている。ぜひ、葛警部と再会したい。
面白いからもっと読みたいのだけれど、それだけではない。米澤穂信に本格ミステリの可能性をさらに広げてもらいたいからである。







