『名探偵ジェリコ』(ウィリアム・ハッセー)

 古典的本格ミステリの味わいと現代性とが絶妙なかたちで組み合わされた小説。イギリスの作家ウィリアム・ハッセーの日本初紹介作『名探偵ジェリコ』(原題Killing Jericho、二〇二三年)は、そのような意欲作だ。

 主人公の「おれ」ことスコット・ジェリコは、トラヴェラーと呼ばれる移動生活者の出で、三十一歳の今は父ジョージが運営するフェアグラウンド(移動遊園地。詳しくは訳者あとがきを参照)の興行師ショーマンをしている。かつて彼は、ピート・ギャリスという警部から直感力を認められて犯罪捜査部の刑事に抜擢ばってきされたが、ポーランド移民の三人の子供が焼き殺された事件の際、容疑者のレニー・ケリガンに暴力を振るったため職を失い、刑務所で過ごすことになった。

 ジェリコはケンブリッジに住むラルフ・キャンベル教授なる人物の呼び出しを受け、その屋敷を訪れる。ジェリコがわざわざ招待に応じる気になったのは、キャンベルの使者が、百五十年前にブラッドベリエンド市で起きた悲劇――ジェリコ自身の先祖も含むフェアグラウンドの五人の芸人がトラヴェラーズ橋の落下事故の犠牲になったという出来事についてほのめかしたからだ。キャンベルは、ある殺人事件の解決をジェリコに依頼する。一月十八日にウェールズで男性が殺害され、頭部が飼い犬のそれとすげ替えられていたという残酷な事件だ。しかもキャンベルの調査によると、三月三日にスペインで老女が殺害された事件、そしてジェリコがキャンベルを訪問する前日にリンカーン市でインド系の若い女性が殺害された事件ともつながりがあるらしい。場所も殺し方も全く異なる三件の殺人を結びつけるのは、百五十年前の橋の落下事故だった……。

 あらすじの紹介はこれまでとして、ここで主人公スコット・ジェリコの二つの特性について述べておきたい。まず、彼が直感力に秀でた人物であるということ。これは探偵役としての彼の大きな強みである。ただし、完全無欠な名探偵とは言えない。感情のコントロールが利かない面があるし、直感の裏付け作業に少々甘いところもあるからだ。また、三人の子供が焼き殺された事件はジェリコのトラウマとなっており、子供たちの無残な姿が幻覚となってつきまとい、彼らの声が聞こえている。本人にしか聞こえない声を聞く探偵役という設定は、チャールズ・トッドの『出口なき荒野』(一九九六年)などに登場したイアン・ラトリッジ警部や、山田正紀の『神曲法廷』(一九九八年)などに登場した佐伯さえき神一郎しんいちろうあたりを想起させる。

 ジェリコが実父ジョージとのあいだにわだかまりを抱えているのに対し、ジェリコの才能を見出したピート・ギャリス警部は、彼にとって相棒であり、メンターであり、代父的存在とも言える。ただし、キャンベルから依頼された連続殺人の調査について、ジェリコはギャリスにあまり頼るわけにはいかない。ギャリスは病状が悪化した妻をつききりで看病しなければならないからだ。ジェリコはかつてギャリスから言われた「当て推量はおまえのアキレス腱だぞ、スコット」「直感が働いたときはかならず裏を取れ。頭が切れるだけじゃ、そう遠くまでは行けない」という教訓をどこまで活かせるだろうか。

 ジェリコの二つ目の特性はマイノリティであるということだ。彼が同性愛者であることは、本書の冒頭から明らかである。モテるタイプであるらしいが、交際は長続きしない。かつて大学時代にジェリコの恋人だったハリー・ムアハウスも彼のもとを去っていった一人だが、ジェリコと再会したハリーが別れを選んだ理由を語るくだりは、ジェリコの明晰な頭脳が恋愛などの私生活では諸刃もろはの剣となってしまう宿命を物語っていて切ない。

 同性愛者の探偵役が登場するミステリで最も古い例といえば、ジョージ・バクストの『ある奇妙な死』(一九六六年)などに登場したファロウ・ラブ刑事だろうか(彼は同性愛者であるのみならず黒人というマイノリティ属性も持っている)。それ以降のシリーズ探偵としては、ジョゼフ・ハンセンの『闇に消える』(一九七〇年)などに登場した保険調査員デイヴ・ブランドステッター、トニー・フェンリーの『おかしな奴が多すぎる』(一九八五年)などに登場したインテリアショップ経営者マット・シンクレア、マイケル・ナーヴァの『このささやかな眠り』(一九八六年)などに登場した弁護士ヘンリー・リオスらが知られている。今世紀では、ジョー・ウォルトンの〈ファージング〉三部作(二〇〇六~二〇〇八年)に登場したピーター・カーマイケル警部補、アン・クリーヴスの『哀惜』(二〇一九年)などに登場したマシュー・ヴェン警部らが印象に残るキャラクターだった。女性同性愛者の探偵役としては、サンドラ・スコペトーネの『狂気の愛』(一九九一年)などに登場した私立探偵ローレン・ローラノ、エリー・グリフィスの『見知らぬ人』(二〇一八年)などに登場したハービンダー・カー刑事らがいる。スコット・ジェリコも、そうした探偵役の系譜に連なる一人である。

 また、ジェリコはトラヴェラーと呼ばれる移動生活者である。定住地を持たずに各地を移動する彼らは、定住者から差別的な扱いを受けることも多い。なお、トラヴェラーを主人公に選んだ小説としては、最近邦訳されたシヴォーン・ダウドの『崖の上のヒバリたち』(二〇〇四年に短篇集に収録、二〇一七年に単行本化)などがある。ジェリコは一度フェアグラウンドを出て警察官となり、また戻ってきたため、そのトラヴェラーの中ですら異端者であり、二重に孤独な存在なのだ。

 ブラッドベリエンドでは「新しいモスクにNO! 純粋な英国を守れ!」といった立て看板が目につき、モスクの除幕式に反対するデモが計画されている。言うまでもなく、排外主義は日本を含む全世界で強まりつつある傾向だ。本書の舞台である現代イギリスに話を絞るなら、二〇一六年、ヨーロッパ連合(EU)からの離脱ブレグジットを国民投票で決定してからは特にその傾向が強まり、投票が行われた六月後半はヘイトクライムの通報が前年同期比で約四割増加した。反移民を掲げたブレグジット党の選挙運動が、潜在していた排外主義に火を付けた可能性がある。二〇二五年には、ロンドンで催された反移民集会に十一万人以上が集まるなど排外主義が拡がりを見せ、キア・スターマー首相はそれを批判したが、そのスターマー政権も同年に難民受け入れ政策の厳格化を発表している。そして二〇二六年五月の統一地方選においては、ブレグジット党を前身とする右派政党のリフォームUKが躍進して獲得議席数のトップとなり、旧来の二大政党である労働党(与党)と保守党はともに議席を大幅に減らすに至った。

 本書には、そんなイギリスの政治的状況が暗鬱な影を落としている。レニー・ケリガンに殺害された子供たちがポーランド移民という設定なのは、イギリスで最も多い外国人がポーランド国籍者であり、そのぶん排外主義者の憎悪を特に集めているからだ。そのケリガンは、今では町のファシスト組織のリーダーとなっており、ジェリコの前にしばしば現れて挑発する。これは、ジェリコの調査そのものをも攪乱かくらんする結果となる。というのも、姿を見せるようになったタイミングを考えれば、ケリガンを連続殺人の容疑者から外すわけにはいかないからだ。とはいえ、ケリガンのような単細胞なタイプのファシストと、高度な知性を感じさせる今回の連続殺人の犯人像とはそぐわない。ではケリガンはこの物語でどのような役割を与えられているのか、単なるミスディレクションのための登場人物にすぎないのか……この疑問については驚くべき決着が用意されており、読者は途方もなく大きな衝撃を受けるだろう。

 排外主義などの現代的なテーマやモチーフを扱いつつ、古典的な本格ミステリの味わいも強く感じさせるのが本書のユニークな点である。ヴィジュアル的に鮮烈な連続見立て殺人、百五十年前の因縁が尾を引くコミュニティの人間関係……といった要素は横溝正史さながらであり、映画『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督、一九九五年)のような前世紀末のサイコ・サスペンスさながらでもある。事件全体の構図からエラリー・クイーンあたりを連想する読者もいるかも知れない。いや、そうした古典的なミステリの要素をメタ的に取り入れた作風は、日本の「新本格」の一部や、その影響を受けた近年の作家に近いとも言える。「今回の事件の要素はどれも、現実を誇張したかのような感じがつきまとっている。どこかミステリ小説めいているといってもいい。俳優たちが一堂に集められ、物語にふさわしい背景と道具が整ったステージに立ち、しっかり練習してきたセリフを口にしているかのような印象を受ける」といったジェリコの内心の思いもそのメタ的な印象を強める。また、単なる目撃者として登場するミス・デブニーのキャラクター造型が妙に怪奇的なあたり、著者にはホラー嗜好もありそうだ。

 そして意外なのは、真犯人に到達する手掛かりが実に伝統的なものである点だ――それも、古典も古典、アーサー・コナン・ドイルの作例にまでさかのぼれるほどの。伏線の張り方も丁寧で、再読して「どうしてこれに気づかなかったのか」とあとで膝を叩くことになるのは必至である。自信を持って本格ミステリファンにお薦めしたい作品だ。

 著者のハッセーは一九七七年生まれ。現在は、イギリスのリンカンシャー州イースト・リンジー地区にある海辺の町スケグネスに在住。二〇一〇年にDawn of the Demontide(Witchfinder三部作の第一作)で作家デビューし、クライム・フェスト賞のヤングアダルト最優秀犯罪小説部門にノミネートされたHideous Beauty(二〇二〇年)などの作品を発表している。ゲイであることをオープンにしており、小説の主人公の多くもゲイである。旅芸人の息子として生まれ、遊園地関係者の歴史・民話・文化などを吸収したことが本書の執筆に活かされているようだ。

 スコット・ジェリコを主人公とする作品は本書に続いて、占い師や霊能者が次々と殺害され現場に蝋人形が残されるJericho’s Dead(二〇二四年)、一人の青年の失踪から過去の秘密が暴かれてゆくBurying Jericho(二〇二五年)と、今のところ三作まで刊行されている(それにしても原題がどれも不穏極まりない)。著者のサイトに記されたあらすじを見ると、本書に負けず劣らず戦慄的な道具立てに満ちた作品のようだ。本書でサブキャラクターとして描かれた人物も引き続き登場するらしいので、本書が人気を呼び、シリーズの翻訳が続くことを期待したい。