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父・古今亭志ん生に将棋を教える志ん朝

父・古今亭志ん生に将棋を教える志ん朝

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 古今亭志ん朝(三代目=写真左)は、古今亭志ん生(五代目)の次男として、昭和十三年(一九三八年)に生まれた。本名美濃部強次。兄は金原亭馬生。若くして、真打に昇進した。

 写真は昭和三十九年八月、親子で撮影したときのもの。当時、父親の志ん生は自叙伝「びんぼう自慢」を上梓し、売れ行き好調だった。かたや、次男は落語家として初めて高級外車を乗り回し、関係者から不評を買った。

<(志ん生の)趣味は酒と将棋。しかし同じ将棋でも、詰将棋は苦手とみえて、次男志ん朝がご指南番。「だめだねえ、お父っつあん。そんなとこへ、王がいっちゃあいけねえよ」
志ん朝は、若手随一の人気者だ。テレビ・ラジオの売れっ子になっちゃいるけど、「やっぱり落語てえのはいいですねえ。個人プレーだから、お客の反応がジカにきますからねえ」といって、忙しくてもなるべく寄席にでるよう心がけているとか。これを志ん生はなにより喜んでいるが、ただひとつ「あんなくだらねえものねいよ」と気にいらないのが、「アランドロンか志ん朝かってくらいのもんだぜ」と自慢するイタリア製“アルファ・ロメオ”というスポーツカー。日本に二台しかないそうだ。親は貧乏自慢、子は車自慢か> (「週刊文春」昭和三十九年九月七日号)

 それでも、志ん朝は立川談志、三遊亭円楽、春風亭柳朝とともに、「江戸落語四天王」と呼ばれて人気を博した。また、名古屋の大須演芸場を守る席亭のために、平成二年(一九九〇年)から毎年独演会を開き、不入りの演芸場を満席にする男気を見せた。平成十三年(二〇〇一年)没。

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