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狂言師・茂山千作は飽きのこない「お豆腐主義」<br />

狂言師・茂山千作は飽きのこない「お豆腐主義」

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

狂言の大蔵流四代目、茂山千作は大正八年(一九一九年)、京都生まれ。本名七五三(しめ)。大正十三年、「以呂波」で初舞台を踏む。戦時中は召集され、海軍で真珠湾攻撃にも参加している。戦後舞台に復帰。全国の学校をまわりながら、狂言の普及につとめた。祖父(二代目)の代から始めたことだが、その頃は「茂山の狂言は豆腐や」と悪口を言われていたという。

〈昔から京都では、おかずに困ったら「豆腐にしとけ」と言うから。それをお祖父さんは「結構なことや。お豆腐いうのは、お料理のしようによっては高級料理にもなれば庶民のおかずにもなる。皆に親しまれて飽きのこない、味わいのあるもんや」と〉(「週刊文春」平成十一年=一九九九年十一月十八日号「家の履歴書」より)

 写真はこのときに撮影。

「お豆腐主義」のもと、弟の千之丞とともに八十年以上舞台をつとめ、新作の発表にも力を入れ、伝統芸能を一般大衆にひろめた。

 狂言は、かつては他の流派との共演すらタブー視されるような閉鎖的な一面を持つ芸能だったが、映画監督の武智鉄二らと意気投合し、歌舞伎、現代劇、映画、テレビドラマと幅広い分野で活躍した。能楽協会から除名されそうになる危機にも直面したが、茂山家の結束は固かった。

 昭和四十一年(一九六六年)千五郎を襲名。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章などを受章し、平成元年、人間国宝に選ばれる。平成六年、四世千作を襲名した。平成十九年、狂言の世界で初めての文化勲章を受章。祖父と父がそれぞれ曾孫まで含めた四世代共演を果したが、四代目も平成二十一年にこの念願を果たした。平成二十五年没。

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