その街の独特な気配を伝えられそうな場所として僕が切り取ったのは、目的地に向かう途中で通過したり、迷った時に出会えるような何気ない場所。そんな「途中」の場所に立ちこめている気配。
たとえば「泉岳寺」では、狭い軒先を進む細くくねった裏道で出くわした井戸に惹かれました。 「深川」では、富岡八幡宮境内に粋な半纏姿で並んだ男たちの後ろ姿にふと漂う空気。木漏れ日と夢中になって戯れる子供たち。「新橋」では、オフィスビルの前でトラックに満載された野菜を売るおじさんを、「銀座」では、古いガード下に一瞬差し込んだ光をとらえました。
街情報誌には載せようもない、また地図検索の目的地としてはキーワードが不在、つまりは情報ソース的に特別意味を持たない空白の場所が多かったと思います。途中も、寄り道も、迷った道も全部味わおうとして歩いていると出会う光景。
そんな風に撮り集めた二十一の街に、山本さん自身がかつて歩いた記憶が重層的に結びついてゆきます。
昭和三十七年、オリンピックを二年後に控え猛烈な勢いで変化していた東京にやって来た若き日の山本さん。新聞配達をしていた山本さんが初めて一人で入った神田の鮨屋、故郷高知で憧れていた力道山や石原裕次郎を追い求めて足を運んだ、千駄ヶ谷、銀座……。希望に満ちあふれていた山本さんの私的な東京の記憶が鮮やかによみがえって、それぞれの街の、あるひとつの表情として新しい景色が描き出されています。
二十一の街は、そこを訪れたこともなく、何の思い入れもなければ、ただの地名にすぎません。でも実際に訪れ歩くことで感じる風や香りや色、誰かと交わした言葉によって生き生きと、その人独自の街として立体的に記憶に刻まれてゆくのでしょう。それぞれの街に漂う雰囲気というものが、そこに住む人や訪れる人が醸(かも)すものの総体なのだとしたら、それは刻々と変化し、今もつくられている途中。
本書をお読み下さった皆様の街歩きの記憶が、ご自身の街をまた一層豊かにすることでしょう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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