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声優の草分け・熊倉一雄と井上ひさしのコンビが名舞台を生んだ

声優の草分け・熊倉一雄と井上ひさしのコンビが名舞台を生んだ

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 ヒッチコックと言われて、日本人がまず思い浮かべるのは、太めの顔と薄い髪に、あのおとぼけ声だろう。人を見下す権威ぶった表情と、子供のような、いたずらっぽい語り口のアンバランスは、彼の映画の真髄でもあった。

 デヴィッド・スーシェが演じたエルキュール・ポワロも、魅力の半分以上は、あの日本語の声だった。本人はもったいぶって「ノンノンノン、ヘイスティングス!」などと言うのだが、どこかつたない、舌足らずで幼児を思わせる声が、ダサくて純情な感じを出してしまう。

 他に「ひょっこりひょうたん島」の、片目の海賊トラヒゲのやんちゃな声、「ゲゲゲの鬼太郎」のオープニングの「朝は寝床でグーグーグー」の声、いずれも人をワクワクさせる、熊倉一雄の声だった。

 昭和二年(一九二七年)東京生まれ。学生時代から演劇に興味を持ち、卒業後は劇団から演劇学校に学び、テレビ局などに就職するが、昭和三十一年にテアトル・エコーに入団、そこで役者・演出家として活躍を続け、後に代表取締役となる。

 テアトル・エコーのメッセージには「なかなか芝居だけでは食べて行けません。幸いなことに、テレビジョンが生まれる時代にぶつかって、声の仕事などいろいろ面白い仕事をさせて頂き、おかげで何とか劇団活動も続けてこられました」と書かれている。

 熊倉が、テレビやラジオで共に仕事をした井上ひさしに戯曲を依頼し、自ら演出・主演した「日本人のへそ」が成功したのが昭和四十四年。それ以後しばらく、このコンビが作る作品は、演劇界の話題となり続けた。

 舞台では喜劇役者だが、テレビドラマ「私は貝になりたい」では、フランキー堺と一緒に米兵を殺した二等兵を、また映画版の「日本人のへそ」では、実の娘を犯してしまう因果な父親を好演するなど、幅広い活躍ぶりを発揮している。

 写真は「別册文藝春秋」昭和四十八年新年号に掲載されたもの。井上ひさしが親しい人を訪ね歩くというシリーズで、左から熊倉一雄、井上ひさし、女優の平井道子。井上ひさしは「熊倉さんの奇策縦横で頓智頓才に溢れた演出術は貴重であり珍重されてよい」「唯一の欠点は酒に酔うと着衣を捨てて裸になろうとすることだ」と書いている。

 平成二十七年(二〇一五年)十月、がん性腹膜炎のため八十九歳で亡くなった。最後の出演は、前年のテアトル・エコーの喜劇「遭難姉妹と毒キノコ」。姉妹の叔父で、豊満な嫁にさわるハッピーな老人という役だった。

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