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常識に挑み続けた落語の天才 立川談志<br />

常識に挑み続けた落語の天才 立川談志

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

「己に自信の無い奴が常識に従う」が談志の名言として知られる。

 昭和十一年(一九三六年)、東京生まれ。高校を中退し、十六歳で柳家小さんに入門。写真は昭和四十一年、三十歳のとき。

 その破天荒な人物像はよく知られる。落語では差別語を遠慮なく連発し一部の顰蹙を買った。落語家仲間の芸を遠慮なく批判し、ために喧嘩が絶えなかった。居眠りしていた客を高座から叱り飛ばして退場させ、裁判沙汰になった。昭和四十六年参議院に当選、五十年に沖縄開発政務次官に抜擢されるも、二日酔いで記者会見に出て暴言を吐き、三十六日で辞任した。

 昭和五十八年、「落語立川流」を設立。年功序列で真打昇進させる協会の方針に反発したものだったが、落語協会会長であった師匠の小さんに背く形で脱退し、自ら「家元」を名乗ったのは、常識破りの真骨頂とも見えた。

 落語に対する談志の厳しさは誰しも認めるところであり、立川流は昇進基準の厳しいことで知られた。そのため、門下からは実力者が数多く輩出し、立川流は現在ますます人気を誇っている。

 談志が、実は誰よりも真剣に落語に向き合っていた。

 食道がんの手術を受け、退院直後の記者会見で煙草を吸ってみせた。以後、がんと闘いながら、声が出なくなるまで落語を続けた。

 平成二十三年(二〇一一年) 十一月二十一日、七十五歳で死去。

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