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佐木隆三『復讐するは我にあり』のタイトルの真意

佐木隆三『復讐するは我にあり』のタイトルの真意

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

「第一の死体発見者は、福岡県行橋(ゆくはし)市に隣接する京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の六十二歳の主婦だった」――『復讐するは我にあり』の冒頭は、記者の覚書のように始まる。実在の殺人犯と彼の逃亡をモデルにした小説だ。

「死体が遺棄されていたのは、苅田駅裏台地のダイコン畑だった。
一九六三(昭和三十八)年十月十九日午前七時ころ、彼女は朝食のおかずにするダイコンを抜くために、自分の畑へ行った」――事件を綿密に取材し、すべての状況・関連人物を丹念に描きこむことで、小説はリアリティを増す。だが佐木にとっては、それ以上の意味がある。

「どうしても、私にはのぞくことができないんですね、彼の内部が。それで、じゃあ彼を見た人間、彼にだまされたり殺されたりした側から描写するしかないんじゃないかと思い決めたんです」――ここから彼独特の「調べることに徹底する」スタイルが生まれた。

 昭和十二年(一九三七年)生まれ。高校卒業後に八幡製鐵に就職し、社内報の編集をしながら小説を書き始めた。二十七歳で退職し、作家活動に専念。昭和五十一年、『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞。後に今村昌平監督で映画化され注目を浴びる。

 一見扇情的なタイトルだが、キリスト教の言葉で、神が人間に向かって「仇を受けても自分で復讐するな。それは我(神)にまかせよ」と言う聖書の一部だ。犯人を安易な正義で断罪せず、事件のすべてを調べることで理解しようとする佐木の姿勢を象徴している。

 佐木が現実の犯罪をテーマに書くようになったのは、埴谷雄高の「文学とは人間という不可思議な生き物の正体にどこまで迫れるかだ」という言葉に触発されたからだという。後には小説を離れ、凶悪事件や裁判のドキュメンタリーが主流になっていった。

 狭山事件、沖縄抗争、田中角栄の炭管疑獄、深川通り魔殺人事件、リクルート贈収賄事件、宮崎勤裁判、オウム真理教の一連の事件や裁判、福田和子事件……佐木の作品リストは、そのまま昭和・平成の日本の犯罪史かつ社会史となる。だがそれらは彼の視線によって、特異な一過性の事件ではなく、現在の冤罪事件や詐欺や無差別殺人にも繋がる、普遍性を帯びたものとして生き続けている。

 写真は昭和五十三年、四十歳のときのもの。表情は若く、生真面目に執筆している様子が静かな情熱を伝えている。

 平成二十七年(二〇一五年)十月三十一日、七十八歳で逝去。晩年は猫を友に、穏やかな一人暮らしだったという。

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