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生涯、大阪。<br />「上方文化の顔」であり続けた藤本義一

生涯、大阪。
「上方文化の顔」であり続けた藤本義一

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 昭和八年(一九三三年)、堺市の生まれ。大阪府立浪速大学(現・大阪府立大学)時代より劇作家を志し、学生時代からラジオドラマの脚本で名をあげ、昭和三十二年の「芸術祭文部大臣賞戯曲部門」を受賞。このときの次席が井上ひさしで、「東の井上、西の藤本」と呼ばれた。

 宝塚映画撮影所、のち大映に入社。多くの名監督のもとで脚本作りに携わった。なかでも川島雄三監督を「生涯の師」と仰ぎ、薫陶を受ける。しかし、川島監督が東京に拠点を移したのちも大阪にとどまり、テレビ、ラジオ、舞台の脚本を書きまくった。

 昭和四十年、テレビ「11PM」の司会に起用され、東京の大橋巨泉、大阪の藤本義一が交互に登場した。娯楽テイストの巨泉、知的な雰囲気の藤本が好対照をなしていたことが人気を博し、大阪の文化度を全国に知らしめた、といえる(写真は昭和四十四年)。

 昭和四十九年、上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で直木賞を受賞。以後、小説のみならず、テレビドラマ・舞台の脚本、テレビコメンテーター、演芸評論家、さらに井原西鶴をはじめとする上方文学の研究者として多彩に活躍。「11PM」は平成二年(一九九〇年)まで二十五年間続いた。

 若手漫才師の育成にも熱心で、関西の若手芸人はみな藤本に叱咤激励され全国に羽ばたいたと言っていい。が、本人は生涯、拠点を大阪に置き続けた。

 平成二十四年十月三十日、肺がんで死去。享年七十九。関西じゅうの文壇、芸能関係者がその死を悼んだ。

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