人には、何年たっても鮮明に覚えているその「とき」がある。
ケネディ、アメリカ合衆国大統領が狙撃(そげき)されて死亡したことを知ったとき、三島由紀夫が自衛隊に乗り込み、割腹(かっぷく)したことを聞いたとき、阪神・淡路大震災が起こったとき。何年時が流れても、そのとき自分が何をし、何を考えていたかを覚えている。
そして、そういう「とき」がまた1つ加わった。
3月11日、金曜日の午後。
僕はいつものようにスポーツジムに行き、買い物をして、家に帰ってテレビをつけた。目は画面にくぎ付けになった。
「水平線いっぱいに広がる巨大な泡立つ白壁が、海上を滑ってくるのがくっきりと見えた。その水の壁は、砂浜に数十艘並んだボートを一瞬のうちに飲み込み、砂を巻き込みながら走ってくる――」(『TSUNAMI』)
小説で描いた災害が、いやそれを超える事態が目の前で起こっていたのだ。
チャンネルを変えてもどこも同じ。画面の惨事は、リアルタイムで日本の東北で起こっている現実だった。僕はただテレビに目を向けたまま、部屋の中を歩き回るだけだった。
16年前の1月、僕は友人の安否を求めて、神戸の町を歩いた。
倒壊したビル、瓦礫(がれき)の山、爆撃の後のような焼けた町。そして瓦礫の上のメモ、小さな花。立ち尽くす人々を見て言葉も出なかった。阪神・淡路大震災だ。
今回、それを上回るマグニチュード9の大地震と巨大津波で、2万数千人の死者、行方不明者が出た。日本は戦後最大の悲劇に襲われたのだ。
さらに、レベル7にもなる大規模な原発事故まで加わった。この原発事故は、3ヵ月以上たった今も収束の目処(めど)さえ立たず続いている。
今後、日本のみならず世界で、脱原発の気運が高まることは確かだ。実際にドイツとイタリアは脱原発を表明した。
「2020年代の早い時期に自然エネルギーの割合を現在の9%から20%にまで高める」
菅首相は、フランス、ドービルで世界に公約した。目標を定めれば頑張るのが日本人だ。より効率のよい太陽パネル、風車、新たな装置開発に全力を傾ければ夢でもない気がする。自然エネルギーの本格的研究開発は胸が躍(おど)る。