2013.09.02 書評

狡猾なアメリカと無策な日本
――食の未来はどこへ向かうのか

文: 鈴木 宣弘 (東京大学大学院教授)

『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』 (鈴木宣弘 著)

 いま、世界で「食の戦争」ともいえる事態が進行しつつあります。それは端的に言えば、世界の「食」が市場原理に飲み込まれ、日本人の食が、アメリカの手に握られつつあるということです。あるいは、食の質的な安全性ばかりか、量的な確保の術をも、日本が自ら手放そうとする事態、と言い換えてもいいかもしれません。 「食の戦争」と一口に言っても、消費者にはなかなか実感しづらいかもしれません。しかし、いま議論の的になっているTPP交渉で、コメや小麦、乳製品といった日本が長らく高関税を守ってきた食品の関税もが撤廃され、アメリカ主導の食戦略のコントロールがより強まれば、それは“現実”のものとして実感されることになるでしょう。

 生産者やメーカー、消費者や行政、政治など食料をめぐる問題には様々な立場があるにもかかわらず、近視眼的な利害を超えて社会全体の長期的繁栄を考えた議論が行われていないのが現状です。アメリカの巧みな戦略、そして日本の無策がかけあわさってもたらされる、日本の食をめぐる危機的状況。その事態がどのように進行しているのか、日本の何が問題なのか、処方箋はどこにあるのか、広く考えてもらうために、具体的事例とエビデンスに基づいて解説したのが本書です。

 その一端を紹介すると、訪れつつある危機とは、次のようなものです。食料自給率が10%台まで低下し(現在は39%と先進国の中でも最低レベル)、スーパーで買う食材に占める遺伝子組換え食品の割合が高まり(今も大豆食品や食用油などに多く使われている)、アメリカ基準にならって遺伝子組換え食品の表示義務が撤廃され、農薬の安全基準もが緩和され、国産が多くの安い輸入品にとって代わられる結果、安全で高品質な食品を買い求めるには、よりコストが高くつくようになるといった現実です。

「食」は人の命を支えるライフラインそのものですが、徹底的な規制緩和と貿易自由化の流れの中で価格競争が激化するにつれ、日本が世界的には相対的に高く維持してきた食の安全性が脅かされつつあるのです。

 しかも、脅かされるのは食の質的な安全性ばかりではありません。食には量の確保の観点から、国家安全保障上の重要性があります。国家戦略を語る上で軍事やエネルギーが大きな議題として語られるように、世界的には「食」もまた、国家の命運を左右する“戦略的武器”として捉えられているのです。

 その重要性を認識している国々の強さは、高い食料自給率はもちろん、「食」を対外的な交渉カードとして切ることができることにも表れています。裏返せば、食料自給率が低ければ、交渉カードを失うということでもあります。

 しかし、私たちは原発事故で思い知らされたはずです。目先のコストの安さに目を奪われ、いざというときに備えて自前のライフラインを準備しなければ、取り返しのつかないコストを払うことになるということに。

 確かに国内で農産物を作るとなれば、アメリカやオーストラリアに比べてコストが高くつくでしょう。しかし、高いからといってすべてを安い輸入品に任せればどうなるでしょうか。

 2008年に見舞われた世界的な食料危機に際しては、穀物生産大国における干ばつや原油価格の高騰が劇的な食料価格の高騰へとつながり、途上国では暴動をもたらす事態になりました。特に、ハイチやフィリピンなど主食の国内生産を手放した国々において被害が甚大であったという事実を見ると、そのリスクは明らかです。

 短期的には少々コストが高くつくように見えても、実は、国内生産を維持してこそ長期的コストは安くなるという認識をもたなければなりません。

 食の生産手段をめぐってもまた同じです。栽培コストが安くすむばかりか、生産者、さらには種子企業の大幅な増収につながるとあって、世界では遺伝子組換え作物の栽培面積が拡大し続けています。その中心にあるのはモンサントをはじめとするアメリカの種子企業です。遺伝子組換え種子はライセンス化され、種子市場においてより多くのシェアを握り、栽培比率の高まりとともに、農家は在来種を選ぶ術を失いつつあるのです。ひとたび在来種がなくなれば、もう元には戻れません。しかも、遺伝子組換え作物の安全性は未確定と言わざるを得ません。

 TPPによって、無策の日本は、この生産手段の企業化の流れにも飲み込まれるでしょう。大いに批判されるべきであると同時に、しかし日本が学ぶべきところもあるアメリカの戦略にも光をあて、日本が「食の戦争」にどう立ち向かうべきか、考えてもらえたらと思います。

食の戦争
鈴木宣弘・著

定価:746円(税込) 発売日:2013年08月21日

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