書評

『私という名の変奏曲』解説

文: 千街 晶之 (ミステリ評論家)

『私という名の変奏曲』 (連城三紀彦 著)

 こんな途轍もない発想が、一体どのように生まれたのだろうか。著者は小説家デビューする前に映画のシナリオを勉強するためフランスに留学した経験があり、フランス映画、フランス・ミステリを愛好していたという。今でこそ、北欧ミステリやドイツ語圏ミステリの人気に押されて、フランス・ミステリの紹介はやや勢いを失っている状況だけれども、著者がフランス・ミステリに親しんだであろう時期には、先に名を挙げたジャプリゾのほか、ボアロー&ナルスジャック、カトリーヌ・アルレー、フレッド・カサックらによるサスペンス小説が続々と邦訳されていた。彼らの作風から強いて共通点を見出すなら、レギュラーで登場する名探偵を好まないこと、登場人物の心理描写を重視すること、主人公を悪夢のような非現実的体験の只中に投げ込み、ただし最後にはすべての出来事に合理的説明をつけること、叙述トリックなどを駆使して切れ味鋭いどんでん返しを仕掛けてくること、謎が解けてもハッピーエンドを迎えるとは限らず、憂愁溢れる余韻が尾を曳くこと、凝った文体により沈鬱で耽美的な雰囲気を醸成していること……といったあたりが挙げられる。

 実はフランス・ミステリのこれらの特色は、悉(ことごと)く連城三紀彦の作風にも当てはまる。だが、趣向のアクロバティックさにおいて本書は、本家フランス・ミステリにも類例を見ないほどの過剰さを帯びている。本書は著者の愛するフランス・ミステリへのオマージュであると同時に、自分ならばもっと難度の高い超絶技巧を成功させてみせるという、自信に満ちた挑戦状だったのかも知れない。

 その極度に人工的な構想に説得力を持たせているのが、著者ならではの彫心鏤骨の美文である。冷静に考えると本書のトリックには些(いささ)か強引な部分もあるのだが、流麗でメランコリックな文章に酔わされて、読んでいるあいだはその無理に気づきにくくなっている。つまり、著者の完璧な文章力さえもが、仕掛けを成立させるために不可欠のパーツに他ならないのだ。

 そして、読後記憶に刻み込まれるのは仕掛けの華麗さだけではない。おそらく読者の脳裏にいつまでも揺曳し続けるのは、冒頭で退場した後もなお作品空間を支配するレイ子の面影だ。「奴隷を一撃で殺してしまうのが勿体なくて、水や火で責め、たっぷりと恐怖の表情を楽しんだ後、飽き飽きしたところで、『殺しておしまい』と命じる古代帝国の残忍な王女」に譬えられる、傲慢にして冷酷、エキセントリックにしてエゴイスティックな悪女ながら、その奥底には行き場のない哀しみが渦巻いている。著者が創造した最も鮮烈な女性像であると同時に、ミステリ史上最も印象に残る被害者像ではないだろうか。

 超絶技巧の騙し絵にして、人間の業の深さや哀しさを描ききった小説でもある本書は、ミステリという人工美を重んずる文芸が到達し得た極北の境地であり、連城三紀彦という作家がいかに唯一無二の存在であったかを物語る傑作なのである。

私という名の変奏曲
連城三紀彦・著

定価:700円+税 発売日:2014年04月10日

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