――『チャボとウサギの事件』は現代の神話として書かれたとお聞きしましたが、それはどういった意図でしょうか。
岩崎 人間は怖いとか不思議だと感じる体験をすると、心が豊かになります。神話の役割というのは、この不思議な体験のような不条理と条理を埋める接着剤のようなものです。たとえば、雷は怖い、だけど雷は雲の上で雷様が太鼓を敲いているという話があれば、得体のしれないものの正体が具体的にイメージされることで、不安な中でもある意味の安心を得ることができます。これが神話です。20世紀になって合理的な思想が、神話を破壊してきました。神話を否定した人たちが幸福になったかというと、そうではないと思います。神話が広く知られていたころにはあった物語の社会的機能というものが、現在の小説にはなくなりました。書籍の中で小説の売り上げが激減しているのがそれをよくあらわしています。かつては芥川賞作品がセンセーショナルであり、社会現象となりましたが、昨今は作品の内容というより、受賞者の人となりや突飛な発言の方が話題になっているのではないでしょうか。この小説には、震災以後の不安な現代と、人々とをつなぐ社会的機能があるのです。少々ネタバレになりますが、神話の要素として、先ずフリークス――異形の者、異様な物事――の存在。これは、主人公の幼馴染が隻眼の美少女です。そして彼らの住んでいる街は不穏な事件に包まれています。次にメンター――良き指導者――の存在。これは主人公の、従来の父親像を崩した父親というのがそうですね。他に暗闇を進むこと――参道を歩いたり境界をまたぐイメージ。事件は夜中の暗い学校で起きます。あと、ちょっとした主人公のミスから神話は始まるのですが、この小説では主人公の朝寝坊が事件の発端となっているのです。というように、『チャボとウサギの事件』は神話が含む要素がすべて詰まっています。
――神話のかたちにのっとっているほか、この蘭太郎という小学6年生の少年が語り手となり、学年の異端児・工藤の推理のもとに、学校で起きた怪事件を調べるという形式は、まさに「シャーロック・ホームズ」のパスティーシュ(先駆者の影響を受けて作風を踏襲すること)ともいえますね。
岩崎 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を書いた後に『小説の読み方の教科書』を出版したのですが、これは皆が小説を読まなくなり、尚且つ誤解しているのを憂えたからです。『もしドラ』は文学界のカウンターパンチになったと思いますが、その批評に「小説の形を借りたビジネス書」というのがありました。確かにこの小説を読んだ人の中にはドラッカーの『マネジメント』がよくわかったという評価があります。小説には、論文などより深く真実を理解させる力があります。ですが、私は『もしドラ』を小説の形を借りてビジネス書として書いたわけではありません。売れているビジネス書の形を借りて小説を書いたのです。しかし、小説が読まれなくなり、小説の価値が瓦解している現代に、人が小説と出会うときに必要なのは何かと考えたとき、それはジュブナイル小説だろうと思いました。ホームズ・シリーズは世界文学史的にも優れた小説ですし、アーサー・コナン・ドイルの「緋色の研究」を精読して、エンターテイメントと純文学の要素が融合しているのがわかりました。ですので、ミステリーの要素も含みつつ、蘭太郎が試練を乗り越えて成長するというジュブナイル小説こそが、小説を読まない読者に物語を届けるのにふさわしいと思いました。
――小学生の蘭太郎の視点には、繰り返しの表現の多さや間違った語彙の使用もありますね。
岩崎 繰り返しによって読者に伝わる部分が多いと考えます。繰り返しは贅肉です。研ぎ澄まされた文章を贅肉のないガリガリのモデルとするなら、繰り返しの多い文章はぽっちゃりしたアイドルです。このアイドルのほうが人には好かれます。また贅肉のある人のほうが生き残りやすいように、翻訳する際、美しい文章を違う言語に訳すのは難しいですが、繰り返しというのは訳せます。繰り返しから物語の重要なニュアンスを知ることができるのです。語彙についても、主人公の考えを重視し、日本語の正しさよりも主人公目線を大切にしました。『チャボとウサギの事件』は小説の原初に立ち還った作品です。内容以外の装丁や定価はプロダクトと考えました。1050円で体験できるイベントとして多くの人に読んでいただければと思います。
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