文春写真館

文学者になるはずだった?
芸能界一の読書家 児玉清

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

文学者になるはずだった?<br />芸能界一の読書家 児玉清

 芸能界随一の読書家であり、書評家としても評価の高かった児玉清は、本来は俳優ではなく文学者になるはずの人だった。

 昭和九年(一九三四年)、東京生まれ。学習院大学文学部ドイツ文学科に入学後、演劇部に籍を置くが、最初は大道具係だった。それを上背があるからと強引に舞台に立たせたのは、一年先輩の篠沢秀夫(のちの仏文学科教授)であったという。

 卒業後は大学院に進むつもりが、卒業時に母が急死したことで、急遽就職先を探すことに。そして合格したのが「東宝ニューフェイス」であった。

 しばらくは端役が続いた。昭和三十六年、黒澤明監督「悪い奴ほどよく眠る」に出演した際は、とにかく目立とうと大袈裟な演技を繰り返し、監督に激怒される。児玉も監督を殴りに行こうと思った程だったというが、のちに黒澤が「あの血気盛んさを十年持ち続ければモノになる」と言っていたと知り、「腰が砕けた」という。

 昭和四十二年に東宝を退社、水前寺清子のホームドラマ「ありがとう」で、ようやく人気を取る。以降、テレビドラマで活躍する一方、本領を発揮したのが、昭和五十年からはじめた「パネルクイズ アタック25」の司会者。臨機応変でウィット溢れる司会ぶりで、実に三十六年にわたって、視聴者はもちろん、番組スタッフや回答者からも愛され続けた。「結構!」「その通り!」といった絶妙の合いの手は、まるで人気教授のような風格があった。

 ドラマのみならず、書評番組や教養バラエティ番組で活躍。平成二十三年(二〇一一年)五月十六日、胃癌のため七十七歳で、惜しまれつつ世を去った。

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