書評

ナチスのスパイだった! 異色の評伝

文: 赤根 洋子 (翻訳家)

『誰も知らなかったココ・シャネル』 (ハル・ヴォーン 著  赤根洋子 訳)

なぜ対独協力を行ったのか

 占領下のパリでディンクラーゲが接近してきた当時、シャネルは57歳。恋人と死別して以来数年間、独り身を託(かこ)っていた。その境遇とディンクラーゲの正体、彼との13歳という年齢差を考えると、少しもの悲しい気もするが、彼女のほうでも彼との関係を積極的かつ最大限に利用しようとした。同胞であるパリ市民が食糧難と物不足に苦しむ中、彼女はナチス高官用に接収された超高級ホテル・リッツに住み、贅沢な生活を享受し続けた。さらに、彼女はナチスの法律を利用し、シャネルNo.5の製造販売権をユダヤ人企業家ヴェルテメール一族から奪い取ろうとした(トーマスの活躍もあって、その試みは失敗に終わったのだが)。

 ナチスが目を付けたのは、シャネルの華麗な人脈だった。何しろ彼女は時のイギリス首相チャーチルやイギリス前国王の親友であり、イギリス大貴族の元愛人だったのだから。

 ドイツの敗色が濃厚になると、ナチス高官の一部はイギリスとの単独講和を画策し、チャーチルとの仲介役としてシャネルを中立国スペインに送り込んだ。自らの人脈をナチスのために積極的に用立てようとしたシャネルだったが、戦後、彼女を断罪の危機から救ったのもその人脈だった。パリ解放直後、彼女は対独協力の疑いで逮捕されるが、すぐに釈放された。それにはチャーチルの介入があったと言われている。著者は、釈放されたシャネルが家に帰ってきたとき、開口一番「チャーチルが自由にしてくれた」と言ったという、姪孫ガブリエルの証言をインタビューによって引き出している。

 戦後、シャネルはスイスに亡命して粛清の嵐が過ぎ去るのを待ち、1954年に70歳でファッション界への華麗なカムバックを果たした。数々の栄誉に包まれて、1971年にホテル・リッツで死去。享年87。

誰も知らなかったココ・シャネル

ハル・ヴォーン・著 赤根洋子・訳

定価:1995円(税込) 発売日:2012年08月30日

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