谷川俊太郎が糸井重里との対談の中で、「ウチの父親って、哲学をいちおうやったんだけど、ほんとに普通の言葉で書ける人だったの」と語っている、その「父親」が谷川徹三だ。
明治二十八年(一八九五年)、愛知県知多郡生まれ。第一高等学校(東京大学教養学部の前身)から、京都帝国大学哲学科へ進み、卒業後は各大学で講師を勤め、法政大学哲学科教授を経て昭和三十八年(一九六三年)、総長に。
他にも雑誌「思想」「心」の編集や、帝室博物館(今の東京国立博物館)次長勤務、世界連邦運動や民藝運動に参加するなど幅広く活躍。昭和六十二年には文化功労者に選ばれた。没後、従三位勲一等瑞宝章が追贈されている。
まさに絵に描いたような教養人、真面目な大学者だが、一番の特長は芸術に対する鑑賞眼の深さと視野の広さ、そしてどんな時代にも、その視野がブレないことであろう。
たとえば昭和十九年の東京女子大での宮沢賢治の講義では、戦争末期のこのとき、「今日の事態は、ともすると人を昂奮させます。しかし昂奮には今日への意味はないのであります」と冷静な姿勢を崩していない。
また若いときから研鑽を積んだ茶道についても、敗戦直後の昭和二十年十月にいち早く『茶の美学』という本を出し、茶道の何が芸術なのか、科学的ともいえる分析を展開し、誰にでも納得できる解説をしている。
昭和三十年代に多く語られた、現代芸術と政治と宗教の関連への考察では、新しいというだけで、わけも分からずありがたがる資本主義の風潮を迷蒙とする一方、共産主義・社会主義の国家において、政府が都合のよい芸術だけに権威を与えて価値観を強制することにも同調せず、「芸術には時代の進展に伴う進歩なんてものはないし、従って如何なる時代にも唯一つの正しい芸術的立場なんてものはないのである」と言い切っている。
さらには近代以降、西欧文明が世界を征服し「集団的、匿名的で、繰返しの上に立つ規格生産」が地球を均一化した結果、西欧は逆に支配力を喪失し、アメリカもロシアも中国もヨーロッパから独立し、非西欧世界の芸術が新しい意味を持って見直されているのが「二十世紀芸術」だと言っている。二十一世紀の現在、インターネットによってこの状況がさらに進化することを見越しているような一文だ。
古今東西の芸術や歴史や宗教、政治も経済もすべて知っているというだけなら、現代人にはグーグルがある。だがそれらを関連づけて考え、戦争にも社会主義にも、民主主義にさえも染まらず、人間のあるべき姿を追求し、提示する、それが哲学であり教養であると谷川の著作は示している。
写真は昭和五十一年、宗左近との対談時のもの。平成元年(一九八九年)に九十四歳で亡くなる直前まで、仕事をしていたという。