その間の、男とタクシー運転手の会話。男が友人に前もって送ってもらっていた、パンフレットの解説文。資料館の淋しい展示室の情景と、そこに流れるテープ録音された女性の解説の声。展示物が物語る、この元監獄の歴史。そういったものが、巧みな取捨選択によって、読者の脳裏に文章によって提示されていって、いつしかわれわれは、遠い昔の明治の歴史の中に誘導され、それを直接話法で示された以上に生き生きと、再現的に体験していくことになるのである。
その展示室に、もう一人、女性がつつましやかに入ってくる、という設定も面白いし、さらにもう一人の男が、傍若無人に乱入してくる、という設定も、さらに面白い。展示室にある関係文書や、その昔に囚徒たちが作った作品、あるいはかかげてある「観音図」、などから「熊坂長庵(くまさかちょうあん)」という名前の人物がクローズ・アップされていき、やがて「藤田組贋札事件」なるものが浮上してくる、といったプロセスも、なかなか息をのませる。
傍若無人に乱入してきた人物と、主人公格の男との対話を中心に、さまざまな歴史資料が引用されていき、当局による「藤田組汚職事件」の摘発失敗が、一市井人の「熊坂長庵」に罪をきせることで決着させられていく、薩長閥暗闘がからむ「政治裁判」の経過も、いかにも明治という時代にあり得そうな、松本清張の小説らしい具体的な展開である。小説の最後が、つつましやかな存在だったもう一人の女性の、手紙によってしめくくられる、という結末も、意表をついたラストだ。
「疑惑」と「不運な名前」が、ともに「恐い名前をもった人物の不運」を描く小説という、共通項でくくられるあたりも、ニヤリとさせられる面白い趣向である。
映画が大好きだった松本清張は、一九七八(昭和五三)年に霧プロを設立し、映画の製作に主体的にかかわり、自分の小説の映画化はここを通して一元化しておこなう、というシステムを作りあげる。ちょうどその頃、川又昂カメラマンに松本清張がこう聞いた、という、とても興味深い話がある。
「川又さん、おれにも映画監督が、できるかな?」と。それに対して川又は、こう答えたという。「できますとも。カメラは私が回しますし、助監督として野村芳太郎さんがつきますから。そして私たちスタッフ全員が、支えます。絶対だいじょうぶですよ」と。それに対して松本清張は、安心したように、ちょっと照れた笑顔を見せたそうである。ことによると松本清張には、いつか自分自身の手で、自分の原作から一本の映画を作り出してみたい、という思いがあったのではなかろうか、と私は思っている。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。