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第5番

第5番

黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 川土手は荷ぐるまのはばを両がわに盛りあげてまた低まり,畑地を展(ひろ)げていた.すこし離れて,まれに小いえが散った.草の色が濃く,夏がのぞけた.

 嵐犬(あらしーぬ)と針犬(はりーぬ)と私と,月白(つきしろ)のところにいるはずをまるでけんとうのちがう川土手などにいるのも十ど目二十ど目,やっとがっこうから解きはなたれた明るいごごに,まっすぐになど,むらのない速度でなど歩きたくはないものだった.けいこ日には帰りの遅さをいぶかられないから,あいだで百ぷんかそこらはじゅんを待っていたことにしてあそんで,そのうち遅くなってしまったら行くのをよし,行ったことにして帰ればいいのだった.

 いくらか知力におくれのある毬犬(まりーぬ)になにか好きなことを見つけてやろうとした毬犬(まりーぬ)の親のおもいつきから,住まいの近い私たち三にんもさそわれたのだったが,当の毬犬(まりーぬ)はもうまっさきにやめていた.小児をあやしたりおだてたりする気が月白(つきしろ)にはまったくなくて,ひるんですくむ毬犬(まりーぬ)をいっさいたすけなかった.やめるとはっきりきめるのさえなまけているような私たちにとっても,けいこはすこしも楽しいものではなかった.

 ゆくてで,ふいに牛が立ちあがった.まだかなり遠かったがおどろいて止まった.木につないだひもは短くてむきは変えられまいが,道はばはあらかたふさがっていて,尾の近くをすりぬけたら牛がおこるかどうか,けるかどうか,だれもこの動物とつきあったことがなかった.急な斜面を畑へおりて牛のいるところを過ぎたらまたよじのぼるか,橋までずっとひきかえしてむこうぎしを歩くかしなければならない.もっともそれはどちらも,さっさとやってしまえば大してひまどることではなく,さっさとやってしまいたくないだけのことだった.牛がいるからけいこは休もうと嵐犬(あらしーぬ)が言い,針犬(はりーぬ)もよろこんで同じた.いつもなら私もそうした.しかしがっこうとかけいこ場とかおとなのとりしきっている圏にいらだつのとおなじに,はみだしたこの小さな圏にも私はいらだちはじめていた.

 休まない,行くと,なかばあそびのくちょうで言うと,牛が跳びこせたら行けばいいと嵐犬(あらしーぬ)がからかった.畑におりる行きかたではあちこちよごしてしまいそうだし荷もつがあるのであまり手ぎわのいい見せものにはなりかねるかとあやぶんで橋へもどる気だった私を,二人ですばやくさえぎった.嵐犬(あらしーぬ)のがわは手ごわいが針犬(はりーぬ)のがわなら力づくで通れたろうし,三にんともおこったふりとふざけわらいとをいっしょにやっていていつでもやめられたのだが,私はむきになっていきなりまっすぐに歩きだしていた.

 いよいよ近づくと,はやしていた二人もだまってしまった.尾のすれすれを歩きぬけてしまうのを見さだめてから,またはやした.うらぎる者,月白(つきしろ)の気にいり,おとなどもの手したなどと言っていた.私がぶじだったからといっておなじことをする気はないし,けいこには行かないときめたのだし,ただその場のおさまりをつけようとさけんでいるので,私が勇気というよりいきがかりのいじからしたともわかっていて,牛があばれなかったことに私とおなじくらい安堵した声だった.私もけいこになどすこしも行きたくはなく,ただ,牛のせいで休むというのはいやなのだと,やたらにのどをかわかしながらふりむかずにいそいだ.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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