大正十五年(一九二六年)生まれ。父は実業家で派手な家庭だったが、事業が行き詰まり、経済的に苦しい思春期を過ごした。兵役をへて、戦後河出書房に入ったが、倒産して失職の憂き目にあう。昭和三十三年(一九五八年)、開高健の推薦で寿屋(現サントリー)に入社、昭和三十八年、在職中に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞する。このころ、「週刊新潮」から連載コラムを依頼されて、文筆業に専念するために退社する。こうして始まった名物コラム「男性自身」の連載は、亡くなるまで千六百回以上続いた。
地元国立のことを折に触れて書きつづったが、近所の行きつけの居酒屋「文蔵」も、たびたび登場した。ここは小説「居酒屋兆治」のモデルとなったお店。ちなみに店名は、ロッテの元エース、村田兆治からきている。
主人の八木方敏氏は、
「こちらにお見えのときは、たいてい開店直後にいらっしゃいました。そして人肌の燗酒を三、四本、煮込みの豆腐に、モツ焼きを二、三本くらい食べて一時間ほどでさっと席を立つ。店が混んで来たときに自分がいると迷惑だろうからと、長居しないのが先生のスタイルでした」(「文藝春秋」平成十八年=二〇〇六年二月号「鮮やかな『昭和人』五〇人」より)
大人の飲み方として参考になる向きもあろうかと思う。「礼儀作法入門」がロングセラーとなるなど、サラリーマン向けの礼儀作法について書かれた文章もひろく読まれた。
写真は昭和五十五年六月、「文蔵」にて撮影。平成七年没。
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