では、その時代とは。維新直後で武士が総失業し、日本がとても貧しかった頃。外からは列強が、アジアの国々を次々と植民地化して迫ってくる。独立を守るには、富国強兵が焦眉の急。
なるほど、それでまずは実学だったのかとわかって授業はおしまい、ではない。ひるがえって「現代」に、先生は目を向けさせる。科学技術を支えるのは、実学以外の分野。しかるに市場原理の導入により、すぐには役に立たないとされる分野で、人もお金もどんどん削られ、日本の内部崩壊が進んでいる、これでいいのかと問いかける。
それで終わりでも、まだないのだ。諭吉の言葉「一身独立して一国独立する」の意味するところを、学生たちは話し合う。国の独立は、個人の独立あってこそ。そして個人の独立とは、ひとりひとりが自分の頭で考えること、と。
そうか、『学問のすゝめ』ってそういうことが書いてある本なのかと、うなずくと同時に、はっとする。先生が読書ゼミでいちばん伝えたいのも、それなのだ。別の回でも述べている。「歴史、文学、芸術などの教養をきちんと身に付け、成熟した判断力を持つようにならなければなりません」。学生たちだけではない、本書を通しゼミに参加する私たちも、かくあれと言われている。
本書に登場する学生たちの、なんと真面目で、やわらかな感受性を持っていることよ。宮本常一『忘れられた日本人』の読後のレポートに「夏休みに帰郷したら、先祖の眠るお墓の草とりに精を出そうと思いました」とあるのには泣けた。
おのれの若き日を顧みれば、無知や偏見、かっこつけにより、いかに多くの名著とすれ違ってしまったか。古い日本を肯定するような本を手にとるのは、反動的で学生らしくないとすら思っていたのだ。
とりあげられている中で読んだことのある本は、年がいってから行き当たりばったりに出会ったものばかり。勉強不足を人のせいにはできないけれど、十八や十九の頃、よき師に導かれつつ読んでいればと、本書の学生たちに、羨望を通り越して嫉妬をおぼえたほど。私の場合いくら若づくりしても学生に紛れるのは不可能だが、せめて親のふりして潜入したかった。
今からでも遅くはない。書店へ行き、早速二冊の文庫を買ってきた。
意外なことに著者も、十代では語学にはまり、名著をぞんぶんには読んでこなかったのを、人生の悔いとしているという。巻末に載せられた、最終講義で語っている。
ケンブリッジで英語で数学を教えていたなんて、それだけですごいと思うけれど、その先生がもっと「徹底的に読むべきでした。語学はできるにこしたことはありませんが、いざとなれば通訳だっています」と吐露しているのは親近感がわく。
最終講義では、数学と文学にわたる三十年間の歩み、父、新田次郎との関係も振り返っていて、ファン必読です。
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