お茶の水女子大学で十数年間続いていた読書ゼミの講義録である。新入生に毎週一冊文庫を読ませて、ディスカッションする。女性編集者が若づくりをしてゼミに潜入し、テープを回したものをもとに作られた。学生たちの発言も収められている。
教養課程での名著講義と聞いて、私ははじめ胸が躍らなかった。デカルト、カント、西田幾多郎、それに二十世紀のヨーロッパの思想家の書を何冊か加えた感じかなと。
目次を見て一転、ふるいつく。新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』、日本戦没学生記念会編『新版きけわだつみのこえ』、渡辺京二『逝きし世の面影』、山川菊栄『武家の女性』……。デカンショ的な教養主義からは、完全に自由なのだ。
それにしても勇気あるラインアップです。私が新入生だった三十年前なら、軍国主義的とか国立大学で宗教教育をするとは何ごとぞ、とかと糾弾されそう。
そこは先生、無着成恭編『山びこ学校』などを入れてバランスをとっているなと思ったが、読み進むにつれ、そんなことに気を回すのはまったくのナンセンスと知った。右か左かといったレッテルに敏感なのは、私が旧弊の人間だから。今の学生はそんな分類からも、とっくに自由なのである。
さて、その授業とは。福沢諭吉『学問のすゝめ』の回を覗いてみましょう。
ここで読者に質問です。『学問のすゝめ』を最後まで読み通したことがありますか?
私は昔、途中で投げた。「天は人の上に人を造らず」のフレーズがあまりにも有名ゆえ、それを確認して気がすんだのと、平等主義の割に立身出世へ人を追い立て、実学を偏重するのに抵抗をおぼえて。けれどもそれは、ああ、早とちりだったのです。
実学偏重については、学生も率直に疑問を呈する。それに対し藤原先生は言う。なぜ?を理解するには、書かれた時代を頭に入れて本そのものを見直さなければならない。「読書をするときはこの視点が重要です」。そう、本の読み方から、学生たちに教えている。
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