
朱川湊人といえば、懐古的な世界観を基に、謎めいた都市伝説や不気味な現代説話を打ち立ててみせる、いわゆる「ノスタルジックホラー」の書き手として高い評価を集めてきた。『サクラ秘密基地』は、6つの短編を収録した短編集である。各短編同士に内容的なつながりはないが、全作を貫く共通のテーマとモチーフが「家族」と「写真」に設定されており、その意味で本書は、緩やかな関係で結ばれた連作的な意味あいをもつ短編集といえる。
冒頭に置かれた表題作は、4人の小学生の男子仲良しグループが、塀に囲まれた一画に置き去りにされた軽トラックを発見し、秘密の隠れ家として集った少年時代を回顧する男の物語。秘密基地は、それぞれに家庭の事情を背負った子供たちの居場所であり、交流の場であり、つらい現実から逃れるための避難所(シェルター)であった。甘美な少年時代の記憶を描いた作品と思いきや、事件は突然起こる。児童虐待やネグレクトという言葉がまだ存在しなかった時代に起こった1つの悲劇を通して、複雑で残酷な親子関係が暴きだされる。大人の前で子供は無力だ。無力さゆえの絶望の深さを、朱川はあくまで子供たちの側に立ってシンパシーをこめて描く。
「飛行物体ルルー」は、少女が主人公の物語だ。鍵っ子の境遇で結ばれた2人の少女が、UFOのインチキ写真を撮影したことから始まる騒動が、彼女らを思いがけない方向へと導いていく。小さなUFOが巨大化して飛び立つシーンの神秘的な美しさが印象に残る。続く「コスモス書簡」では、少年が年上の少女に抱いたかつての淡い恋心が、手紙形式で綴られていく。街娼が言ったとされる、女の体の奥にはヘビがいるとの謎めいた言葉が現実化した時、少年と少女の特別な時間は終わりを迎える。妖艶な色合いを帯びた都市伝説を、秘められた性的衝動に結びつける手際は見事というほかない。
『サクラ秘密基地』に共通するモチーフの1つが写真であることは既に述べたが、「黄昏アルバム」は、写真をめぐる怪異譚である。主人公の女性が兄のために見つけた質流れ品のカメラは、撮った覚えのない写真がうつる不思議なカメラであった。兄はそれらの写真を「黄昏写真」と名づける。中2時代の自分の姿が撮影された黄昏写真を見た主人公は、自分に恋心を抱き、若くして亡くなったクラスメートの男子を思いだす。そして、黄昏写真の1枚1枚が、彼からのメッセージなのではないかと考え始める。
際立つ「かつて」と「いま」の差異
本書において、なぜ写真が重要な位置を占めているのか。それは各短編をつなぎあわせる要素の役割を果たしているだけではない。写真とはある時間に起こったできごとを瞬間定着させるメディアである。「黄昏アルバム」の主人公は、「言ってみれば写真は、容赦なく流れていく時間へのささやかな抵抗みたいなもの」と述べている。写真は、「かつて」と「いま」の時間的、空間的な差異を際立たせる。すべての主人公=語り手がかつての体験を語る本書の趣向は、写真独自の機能に即したものであり、その意味で写真の導入は必然といえる。
五作目の「月光シスターズ」は、所収短編中もっともミステリ色が強い作品である。この世ならぬものの存在を感知する能力を身につけた娘と、ミツコという名の幽霊の存在に怯える母親。徐々に精神を冒された母親は、不可解な自殺を遂げる。母の死に疑いを抱いた娘は、姉との対話によって恐るべき真実に直面する。人間の記憶の曖昧さがはらむ究極の恐怖が描かれた好編である。
「スズメ鈴松」は、本書の最後を飾るにふさわしいファンタジー色あふれる人情譚である。東京下町のアパートに居を移した「俺」は、真下の部屋に住む鈴松という男と、彼の息子で小学生のヒロ坊と「奇妙な友情」を育んでいく。親子との付きあいの中で、周囲から乱暴者の烙印を押された鈴松の意外な一面を知ることになる。男手一つでヒロ坊を育てる武骨な鈴松の生き様がすばらしい。スズメにまつわる「ささやかな奇跡」と、鈴松とヒロ坊の意外な関係に、朱川の「世界肯定の意思」が表明されている。
すべての主人公が、数10年前の少年少女時代に起こったできごとを物語る点において、ノスタルジックな状況が現出するが、「昔はよかった」という安易な懐古趣味に堕していない。大人になった彼らには、それぞれに向きあうべき現実が存在する。6つの短編が指し示すのは、過去と現在の間に引き裂かれた主人公たちの生々しい姿だ。ノスタルジーの手法を突きつめた本書によって、朱川湊人は過去と現在が反照しあう地点から人生の真実を表現する、そのような新しい場所にたどり着いたように思われる。
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『亡霊の烏』阿部智里・著
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