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江利チエミ<br />「テネシー・ワルツ」に込められた思い

江利チエミ
「テネシー・ワルツ」に込められた思い

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 美空ひばり、雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれた江利チエミ。写真は、「オール讀物」昭和二十八年(一九五三年)十一月号、〈欧米から新帰朝の方に、異国モードの見せくらべをして頂きました〉と、グラビア頁「おみやげスタイル」に、アメリカ・ロサンゼルスから帰国した際に登場したときのものである。

 江利チエミは、昭和十二年、東京・下谷区(現・台東区)に生まれた。十五歳のとき、ジャズの天才少女として「テネシー・ワルツ」でデビューすると大ヒット。アメリカ講和特使、J・F・ダレス長官は任務を終えて帰国の折、〈「江利チエミという十七才の少女が歌っているテネシー・ワルツは、私の母国で最初に歌ったパティ・ペイジと同じくらいうまい。英語の発音も歌も素晴らしい。彼女のレコードが私のお土産です」〉と語ったという(藤原佑好『江利チエミ物語』長崎出版)。

 昭和三十四年には、新進の俳優、高倉健と結婚する。しかし、昭和三十七年、母が父と結婚前に生んでいた異父姉が姿をあらわし、運命は暗転した。自宅の火事、実兄の急死と不幸が相次ぎ、異父姉には数億円に及ぶ財産を奪われた。すれ違いが続いた高倉とも、昭和四十六年に離婚。

 借財の返済も終えた昭和五十七年二月十三日、東京・高輪の自宅で、脳溢血で意識を失い、吐瀉物が気道に詰まっている状態で発見される。死因は窒息死。享年四十五。密葬が行われた二月十六日は奇しくも、高倉健の誕生日であり、二人の結婚記念日だった。

〈高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」(平成十一年公開、浅田次郎原作、降旗康男監督)は高倉が十九年ぶりに撮った東映作品である。高倉は北の国の単線駅の終着〈幌舞〉の駅長役を演じた。妻と一人娘を亡くし、定年をひかえた彼は雪の降る中、孤独の死をとげる。その劇中、駅長役の彼は何度か「テネシー・ワルツ」を口ずさむ。ドラマと現実とが重なるようなシーンであった。この曲を選んだのは高倉自身だと伝えられる〉(同前)

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