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「ぜいたくな色男」だった永井龍男

「ぜいたくな色男」だった永井龍男

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 短編の名手、永井龍男は女性にもてたと、親交の深かった大岡昇平はいう。

〈そばかすは昔からかなりあつたが、それもかへつて肌の白さを際立たせるといふ風に働き、丈低からず高からず、すらりとした痩せ形で、(頭脳労働者だから、頭は少し大きかつたやうだが)われわれの中で、無論随一、また唯一人の色男だつた。〉

〈永井さんの小説には、美しい女性は出て来るが、色男はいつも揃つているとは限らない。つまり永井さんは自分が色男であることを恥ぢてゐる。さういふぜいたくな色男なのである。〉(「別册文藝春秋」昭和三十二年=一九五七年十月号「美男の文学」より)

 明治三十七年(一九〇四年)生まれ。辰年だったので、龍男と命名された。高等小学校卒業後、父が病弱だったため、進学を断念。米穀取引所仲買店に勤めたが、肺を患い、すぐに退職した。

 十六歳のとき、文芸誌への投稿が当選し、選者だった菊池寛の知遇をえた。大正十二年(一九二三年)、「黒い御飯」が創刊直後の「文藝春秋」に掲載される。昭和二年、菊池寛を訪ね、文藝春秋への就職を希望し、横光利一の口利きで入社がかなう。「オール讀物」「文芸通信」の編集長を務め、昭和十年、創設された芥川賞・直木賞の常任理事として、事務を担当した。

「文藝春秋」編集長を務めた後、太平洋戦争中の昭和十八年、中国に渡り、満洲文藝春秋社を設立したが、翌年帰国、そのまま終戦を迎えた。昭和二十一年、小林秀雄、林房雄らと「新夕刊」を創刊したが、昭和二十二年、公職追放され、文筆活動に専念することを余儀なくされた。しかし、それが「朝霧」などの名作を生むこととなった。

 写真は昭和三十二年夏に撮影。平成二年(一九九〇年)没。

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