
──朱川湊人さんが二〇〇五年上半期の直木賞を受賞されて、まる四年たちました。その受賞作『花まんま』(文藝春秋刊)は大阪の下町を舞台にした短篇集。そして、このほど上梓(じょうし)された『あした咲く蕾』が、東京を描いた短篇集です。大阪と東京、対になっていますね。
朱川 今回は最初意識的に東京の、それも下町で統一しようとしていたんですが、途中で必然性を感じなくなったのでそういう縛りははずしました。ですが、気がつくと下町や、あまりお金持ちでない地域ばかりになっていますね。私が住んできた、あるいは好きな場所ばかりです。愛着があるというか、僕が書いていて絵の見える場所になりました。
──『花まんま』は大阪の濃厚な香りがしましたが、東京を描いた『あした咲く蕾』はどちらかというとあっさりした感じがします。
朱川 それは言葉の問題も大きいと思います。大阪弁は強い言葉ですよね。大阪弁が出てくるとその場を全部さらってしまいます。標準語だと、そのへんがすっといきます。『花まんま』の場合はその土地ならではということで、文字通り大阪弁がぴったりきましたが、今度の短篇集は、根津あたりは特徴がありますが、他の舞台になる団地とかは、そんなに個性的な土地ではありませんね。新興住宅地というのは古いものを壊した上にたっていますから、どうしても色気がなくなってしまいます。
──小説の中の出来事も今回は、現実の延長線上で、派手な行動というより心の琴線に触れるものが多いですね。
朱川 話自体もあまり突飛にならないようにと考えていました。むしろ、不思議な出来事がなくても成立するような話にしたいと。
──ホラー小説と形容されることが多いと思いますが、特に「不思議」がテーマというのではないのですね。
朱川 僕も不思議なことは好きですが、「世の中にはこんな不思議なことがある」とか広めたいわけではないですから。人の心の方が僕にとってのテーマです。「不思議」はそれを表現する手段。怪談好きの方にはツレナイ言い方かもしれませんが、怖がらせること、不思議がらせることは二の次です。
──ホラー小説といわれることを、どう思われていますか。
朱川 私自身は微妙な心持ちです。たとえば本屋さんにいっても、僕の作品はミステリーの棚に置かれていたり、一般書に分類されていたり、ちりぢりばらばらなんです。僕はマンガを読んで育った世代なんですが、マンガ家さんは自分でSFマンガ家とか決めていないですよね。手塚治虫さんは『鉄腕アトム』も書けば、『ブラック・ジャック』もあるのが素晴らしいわけで、ひとつのジャンルだけを描いたわけではない。僕もそういう気持ちがあります。編集者がいいよって言ってくれれば、好きなふうにやりたいと思っています。僕よりも、もっと怖い作品を書いている人はいっぱいいますので、あまりホラー作家といわれるのは、どうなんだろうと感じます。
真実味を感じさせる「不思議」

──『あした咲く蕾』のキャッチ・コピーは「世界一うつくしい物語」です。ホラーではありませんね。
朱川 自分で考えたコピーですが、あえていうと「物語」というより「本」なんですよ。「世界一うつくしい本」を作りたかったんです。僕が書きたいのはホラーではない、ということを、担当編集者と話したときに、世の中で美しいことって何だろうと考えたんです。それは「赦(ゆる)されること」と「受け入れられること」じゃないかと。他にもいろいろあるけれども、罪や過去の過ちを赦されたり、何かのグループに受け入れられることが、人間にとってとても嬉しいことで、きっと美しいことなんじゃないかと思ったんです。だから、今回の話は暗く終わるものは少なくしました。主人公たちが最後に救われることが大事。ストーリーとしてもっとえぐくて面白くなるんじゃないかというものもあったんですが、やっぱり救われなきゃダメ、と。それを主眼におきました。
──表題作にもなっている「あした咲く蕾」は、人間の普遍的な想い、愛するものが命を失おうとしていると、自分の命を分けてでも救いたいという気持ちがテーマになっています。スティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』は、死んだものを甦らせる話ですが、これはまさにホラーに主眼をおいた小説です。同じところから出発しても、朱川さんとキングはまったく違った味わいの小説になっています。
朱川 僕もキングは大好きです。『ペット・セマタリー』は不思議な小説で、奇怪なことが起きるまでが本当に怖いんです。ゲージという下の子供が生き返るまでが怖くて、その後は普通のホラー小説なんですよ。もちろん好きな小説です。
──朱川さんは人間を描く手段として、不思議な出来事を小説の中で書いているわけですね。
朱川 そうです。だから、これからは不思議なことが起こらない小説を書くかもしれません。というか、実際にそういう小説も既に書いてはいます。あくまでも表現方法の一つと考えています。ただ、不思議なことは好きですよ、基本的に。
──謎解きの小説が氾濫していますから、朱川さんのように不思議を不可解のまま残す小説もあるべきではないでしょうか。
朱川 科学が進歩して、謎が解明されてきています。金縛りはこういう原理で起こる現象だとか。だから、僕の作品の場合、どこまで真実味を感じさせることができるだろうか、ということでしょうね。
──「空のひと」は朱川さんの作品の特徴のひとつ、「記憶のなかの一点に強い力でさかのぼっていく過去完了形の作品」(石田衣良氏)ですね。過去を玩味(がんみ)することで、現在の立ち位置をあらためて確認できるような気がします。
朱川 これは「オール讀物」に連載したものですが、「オール」に連載するものは、こういう話が多いんです。『都市伝説セピア』(文藝春秋刊)、『花まんま』の路線ですね。誰でも人生で一つくらい不思議なことってあると思うんです。それを、いろんな人の体験談を集めたような感じで書いていて、今の時点から過去にさかのぼっていって、一体あれは何だったんだろう、ということから物語を作っていることが多いですね。技術的にいうと書きやすいということもあります。過去を振り返っていて、そこから五年、十年経ちましたというのは、すんなりいくじゃないですか。だけど現在進行形で書いていて、いきなり三年経ちましたというのは、あまりに目まぐるしいですよね。だけど、リアルタイムと違うので、語り手がいる以上、その語り手は生きているし、いま不幸なことに巻き込まれていることはないはずだという安心感があるので、突飛な展開ができないという弱点はあります。ただ、僕は気に入ってよく使っている手法です。
──今回の作品群の中に、昭和四十年代のキーワードがたくさん出てきます。大阪万博、プレハブ校舎、巨泉×前武ゲバゲバ90分!……。ゲバゲバは一世を風靡したと思うのですが、今ではあまり振り返る記事や番組もないですね。
朱川 変ですよね、あんなに面白かったのに。僕も子供の頃見ていて頭がおかしくなりそうでした。
──東京的な笑いだったのでしょうか。
朱川 関西は喋りで、理で落として笑わせることが多いと思います。ゲバゲバは結構理不尽なギャグも多かったんですよ、シュールなギャグが。どちらかというと東京チックな笑いだったんでしょう。当時、私は小学校二年生だったんですが、そのくらいの子供にはナイスキャッチされそうな、真似しどころ満載の番組でしたね。
特定の世代を直撃する「ことば」
──小学校、中学校でプレハブ校舎はあちこちにありました。
朱川 子供が多い時代でしたから、きちんとした校舎を建てるのが間に合わなくってということですよね。少子化のこれからはありえないものですね。
小説にこういう言葉がたくさん出てくるので、世代によっては「朱川さんの言っていることは古くてぜんぜんわからない」という人もいるようです。まあ、そういう方は時代小説のような気持ちで読んでいただけるといいかもしれません(笑)。僕の作品で『わくらば日記』(角川書店刊)というのがあります。昭和三十二年くらいからのことを書いているんですが、僕も調べたり人に聞いたりして、自分の頭の中で時代をつなげて書き進めています。インターネットで書評ブログなどをみると、古い話なんでピンと来ないという意見があります。
それはそれで仕方のないことですね。それは、時代小説や海外の小説も同じだと思います。スティーヴン・キングの小説には、その世代しか知らないようなキーワードがよく出てきます。ましてや、僕ら日本の読者は国が違うわけですから何のことやら、ですね。アメリカのキングの同世代が読めば、ああこれこれ、ということなんでしょう。キングに『アトランティスのこころ』という作品があります。この中にはそういうキーワードがいっぱい出てくるんです。日本の読者もある程度想像してわかるかもしれないけれど、アメリカ人のようにはわからないはずです。僕自身、スティーヴン・キングの信奉者なんですけれど、そういうある世代だけには直撃するようなことを書きたいというのはありますね。
──キングも朱川さんの作品も特定の単語の背景はわからなくても小説として面白く読めます。
朱川 それはいつも心がけています。この時代のこれがわからなかったら作品の価値がわからないということは極力ないようにしています。
──「虹とのら犬」にチョコレート盗難事件、小学二年生が学校で濡れ衣を着せられる話が出てきます。
朱川 それはまんま、僕の実体験なんです。やはり小学二年生のときのことで、記憶を封印していたんですが、あれこれ書いているうちに思い出してしまったんです。あれがなければもっと楽しい子供時代だったんじゃないかなと思うこともありますね。それから、「空のひと」の夢の話も僕の叔母の経験から材を得ているんですよ。
──実体験、聞いた話も含めてですが、それを小説に盛り込むことが多いんでしょうか。
朱川 ゼロからたたき上げることもありますが、やっぱり自分の心に響いたことでないとしっくりこないですね。「カンカン軒怪異譚」も、僕は餃子(ぎょうざ)の王将が好きなんですが、餃子の王将のチャーハンの作り方が本当にカンカンと威勢がよくてうるさいんですよ。店員が若くて元気な作り方でいいなあと思うんです。彼らが作った料理を食べて、何か力をもらっているように感じますね。それで、思いついた話です。
──後で女性の名中華料理人のモデルでもいるのではないかとお聞きしようと思っていたのですが、餃子の王将のお兄ちゃんだったんですか。
朱川 そうです。それは餃子の王将だと思ってください。チャーハンを威勢よく作るカンカンカンというところ。作品に、自分が体験したり、感じたことがどこかで重要なモチーフになるのはしょうがないことですよね。本の中の最後の作品「花、散ったあと」も荒川区町屋が舞台ですが、いま僕が住んでいるところ、もろに地元です。
──それぞれの作品の主人公たちは、その当時皆貧しかったですね。
朱川 昭和三十年代、四十年代って、普通の人の周りにあんまり金持ちっていなかったじゃないですか。貧しいことがぜんぜん苦にならなかった時代ですね。貧しいから面白いこともあるという時代だと思うんですよ。僕自身が上流といえない暮らしをしていましたし、貧しかったことが僕のプライドでもあります。小説を書くために自分の人生を振り返ってみても、そのおかげでいやなこともあったけれど、楽しいこともいっぱいありました。はっきりいってあの頃のお金持ちって僕は想像できないんですよ。
──貧しいといえば小学校のときに、雨が降ると学校を休む友達がいました。家に傘がなかったという話になっています。
朱川 傘ですか。僕の場合は、両親が離婚して父親に引き取られたんですが、小学校低学年のとき、学校にいる間に雨が降り始めると、他の子供はお母さんが傘を持ってきてくれるんですけれど、僕は雨の中を走って帰ることがよくありましたね。そういうときは、やっぱりへこみました。子供の頃ってちょっとしたことが強烈な体験になりますよね。まだ心が定まっていないから、ひきずるところがありますよ。あまりそれに甘えていてはいけないんですけれど。
乗り越えなければならない「親」 太宰治
──朱川さんの作品には「そこはかとないユーモアがある」といわれます。「花、散ったあと」は、かなりきついユーモアだと感じました。
朱川 高杉晋作の辞世の句に「おもしろきこともなき世をおもしろく」とありますが、それと同じで、事実を面白く変えて吹聴する友達がいたんです。まあ、嘘つきなんですが、そいつが駄目なやつかというとそうじゃなくて、そういう人間がいて助かったというところもあるんですよ。あの嘘、面白かったな、と。もしかすると、人間、死んだあとに残るのは嘘だけだったり。それは寂しいことかというとそうでもなくて、ああいう楽しいやつがいてよかったなと思えるんじゃないでしょうか。
──小社での前作『スメラギの国』は猫にまつわる物語で、今回の作品の中にも猫がちょっと出てきますが、猫はお好きなんですか。
朱川 猫、好きです。だけど『スメラギの国』は書くのが大変だったんですよ。デビュー前に書いていたものに手を入れて仕上げたものなんですが、僕は猫が好きじゃないですか、その猫を虐待する話ですから。
ちょっと話はかわりますが、猫は可愛いですけれど、海の向こうでは、可愛い子供たちが自爆テロとかしているじゃないですか。そういうことをあの話に込めたつもりなんです。で、話の中で猫がひどい目にあうから嫌いとか、拒絶反応する人が多かったですね。
──猫好きに嫌われてしまったんですね。
朱川 好きだからこそ、逆のことを書いちゃうということがあるじゃないですか。好きなものが痛い目にあっていると、自分の胸が苦しく切ないという。
──『スメラギの国』は長篇ですが、朱川さんは長篇をお書きになるのはお好きなんですか。
朱川 僕はスティーヴン・キングが好きなので、長篇を書こうとすると彼のように、やたら長く書いちゃうんですよ。そこが欠点ですね。他社で刊行予定で千枚を超えているものがあります。あと今進めているもので六百枚を超えているものもあります。一人称だと長篇は書きにくいじゃないですか、だから複数の視点から書くんですが、そうするとものすごく長くなるんです。
──人称の話が出ましたが、朱川さんの作品は一人称が多いですね。
朱川 三人称で書くこともありますが、過去を振り返る話では一人称が一番書きやすいですね。
作家ではキングも好きですが、僕は太宰治も好きなんですよ。一人称の作品ですね。中学のときにはまりまして、その影響があります。だから、太宰のように女性の一人称を使うのにも何の抵抗もないです。
──たしかに今回も女性の一人称を使った作品があります。
朱川 『花まんま』の「妖精生物」を読んだ読者が、作者の僕のことを女性だと思い込んでいたらしいですよ。
──太宰、キングのお話が出ましたが、子供の頃は江戸川乱歩、コナン・ドイルを愛読されていたようですね。
朱川 乱歩、ホームズだけだったら、僕の作品は違う方にいっていたと思うんですよ。ミステリーは読むのは好きですけど、トリックで読者を驚かそうとか、自分で書こうとはあまり思わないですね。ホラーも、あまり血みどろなのはどうか、と。太宰治は僕にとっての「親」のような存在です。いつかは越えなければならない目標ですね。越えられるかはわかりませんが……。読み返す度に、嗚呼(ああ)そうだったのか、という発見があります。太宰の作品のように心に刺さる作品が目標です。その刺さり方もいろいろですけれど、いい刺さり方にしたいと思っています。読者にいい影響を与えたい、と。太宰が生きていた頃はいやな刺さり方が受け入れられた時代だったのでしょう。僕は、みんな頑張ろうよ、みたいな感じを与えたいですね。勇気とか元気とか。これからもどんどんそういう作品を書いていきたいですね。
今回は赦される話、報われる話を書きました。この本は自分の中で十分に満足のできる短篇集です。
──最後に、これから書いていきたい小説の構想はありますか。
朱川 そうですね。四百枚台で収まる長篇を数多く書きたいですね。それと、ホラーというくくりに入らない作品をいっぱい書きたいと思っています。
あした咲く蕾
発売日:2012年10月12日
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『亡霊の烏』阿部智里・著
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