──後で女性の名中華料理人のモデルでもいるのではないかとお聞きしようと思っていたのですが、餃子の王将のお兄ちゃんだったんですか。
朱川 そうです。それは餃子の王将だと思ってください。チャーハンを威勢よく作るカンカンカンというところ。作品に、自分が体験したり、感じたことがどこかで重要なモチーフになるのはしょうがないことですよね。本の中の最後の作品「花、散ったあと」も荒川区町屋が舞台ですが、いま僕が住んでいるところ、もろに地元です。
──それぞれの作品の主人公たちは、その当時皆貧しかったですね。
朱川 昭和三十年代、四十年代って、普通の人の周りにあんまり金持ちっていなかったじゃないですか。貧しいことがぜんぜん苦にならなかった時代ですね。貧しいから面白いこともあるという時代だと思うんですよ。僕自身が上流といえない暮らしをしていましたし、貧しかったことが僕のプライドでもあります。小説を書くために自分の人生を振り返ってみても、そのおかげでいやなこともあったけれど、楽しいこともいっぱいありました。はっきりいってあの頃のお金持ちって僕は想像できないんですよ。
──貧しいといえば小学校のときに、雨が降ると学校を休む友達がいました。家に傘がなかったという話になっています。
朱川 傘ですか。僕の場合は、両親が離婚して父親に引き取られたんですが、小学校低学年のとき、学校にいる間に雨が降り始めると、他の子供はお母さんが傘を持ってきてくれるんですけれど、僕は雨の中を走って帰ることがよくありましたね。そういうときは、やっぱりへこみました。子供の頃ってちょっとしたことが強烈な体験になりますよね。まだ心が定まっていないから、ひきずるところがありますよ。あまりそれに甘えていてはいけないんですけれど。
乗り越えなければならない「親」 太宰治
──朱川さんの作品には「そこはかとないユーモアがある」といわれます。「花、散ったあと」は、かなりきついユーモアだと感じました。
朱川 高杉晋作の辞世の句に「おもしろきこともなき世をおもしろく」とありますが、それと同じで、事実を面白く変えて吹聴する友達がいたんです。まあ、嘘つきなんですが、そいつが駄目なやつかというとそうじゃなくて、そういう人間がいて助かったというところもあるんですよ。あの嘘、面白かったな、と。もしかすると、人間、死んだあとに残るのは嘘だけだったり。それは寂しいことかというとそうでもなくて、ああいう楽しいやつがいてよかったなと思えるんじゃないでしょうか。
──小社での前作『スメラギの国』は猫にまつわる物語で、今回の作品の中にも猫がちょっと出てきますが、猫はお好きなんですか。
朱川 猫、好きです。だけど『スメラギの国』は書くのが大変だったんですよ。デビュー前に書いていたものに手を入れて仕上げたものなんですが、僕は猫が好きじゃないですか、その猫を虐待する話ですから。
ちょっと話はかわりますが、猫は可愛いですけれど、海の向こうでは、可愛い子供たちが自爆テロとかしているじゃないですか。そういうことをあの話に込めたつもりなんです。で、話の中で猫がひどい目にあうから嫌いとか、拒絶反応する人が多かったですね。
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