──そもそもお二人のお付き合いは?
倉都 もう二十年以上になりますね。
幸田 倉都さんは、私の現役時代を知っている数少ないうちの一人です。マーケットで働いていた三十代の頃は、自分より十歳ぐらい上の方を担当することが多かったので、もうリタイアした方が多いんです。倉都さんって私より四つぐらい若いんですよね。
倉都 そうですね。最初、電話でやりとりしたのは、私の東銀(東京銀行・現三菱東京UFJ)時代でした。幸田さんはバンカース・トラストで、外国債券のセールスをされていました。私は海外の転勤から帰って東京で外債の運用をやっていた頃で、一九八六年だったんじゃないかな。
幸田 私、当時、結構成績良かったんですよ。
倉都 いわゆるトップセールスでしたね。
幸田 ありがとうございます(笑)。
倉都 私は、そのあとロンドンに転勤になったのですが、その時も幸田さんが訪ねていらして、ごはんを食べたりして。でも、その後作家になられるなんて全然思いもしなかった。仕事の情報交換の話がほとんどでしたから。
『バイアウト』誕生の頃
──ニッポン放送買収騒動の決着がついたのが二〇〇五年、「週刊文春」の連載が二〇〇六年一月二十六日号からでした。
幸田 当時の「週刊文春」編集長から企業買収をテーマに書いてほしいという依頼があって、たしか、なにかの都合で予定よりスタートが一週間遅れたら、ちょうど連載の第一回目が堀江貴文逮捕のニュースに重なったんです。
倉都 絶妙のタイミングでしたね。