金融界へのメッセージ
倉都 当時、日本の銀行にいて、この発想の豊かさと恐ろしさを両方感じたことを覚えています。だから、バブルがあって、GDPで世界第二位だとか、東京市場はニューヨークに次ぐ市場だとか言われていながらも、図体だけでかくても、という不安は拭えなかった。中身は大したもんじゃない、そういう感じをすごく持っていたんです。
幸田 倉都さんも私もよく講演などで話すのですが、日本の金融業界の「金融力」をあの時代に確立しておくべきだったんです。円を新たな基軸通貨にって、これまで何度も取り上げてきているのですが。
──なぜ、変わらないんだ、という苛立ちが常に幸田さんの作品に表れている気がします。
倉都 そのメッセージはどの作品からも感じますね。
幸田 『日銀券』(二〇〇四年刊)はゼロ金利政策や量的緩和政策をテーマにした作品です。同時に、もうドルだけじゃないよ、いずれドルの一極集中の時代は終わり、二十一世紀はアジアの時代ですよ、というメッセージも込めました。私には金融市場に対する未練やフラストレーションがあるのかもしれません。期待とも言えますが。私のデビュー作『回避(ザ・ヘッジ)』(一九九五年刊。文庫版は『小説ヘッジファンド』と改題)は、病気で仕事を辞めるにあたって書いた作品です。ヘッジファンドを立ち上げて、日本を円高から救う、主人公の智子は私の分身でもあるんです。でも、日本の金融界では今や危機感がどんどん薄れているみたいだし、勢いやエネルギーもなんだか内向きで。
倉都 おっしゃる通りです。日本って経済と金融って同じだと思っている。要するに経済大国になったから、当然金融も大きくなるぐらいの発想しかない。GDPが大きくなって、輸出も増えて、それで金融力が比例して大きくなると思ったら、これは大間違いです。そこに気づいている人は少ないですね。
幸田 ボリュームやサイズだけの評価ではしょうがない。戦略とか発想力がなければ。倉都さんも、それこそ厳しい時代のロンドンのシティにいらしたからご存じですよね。リーマンショック以降は別ですが、シティがビッグバンを経て、あの暗い、死んだ魚のような目をした人が歩いていた金融街が、あんなに活性化したわけですから。
倉都 生き返りましたね。ロンドンのしぶとさを感じました。
幸田 それがなぜ日本でできなかったのか。
倉都 たぶん当時ロンドンにいた日本人はみんな同じ思いだったと思います。ただし、そのロンドンも金融危機で少し変わりつつありますね。
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