笹生陽子に初めて触れたのは、さして昔ではない。おそらくは『ぼくらのサイテーの夏』だったと思う。当時、僕はもう、プロ作家になっていた。筆だけで食べられるようになっていた。いくらか鼻が高くなっていた。自分がちっぽけな存在であることは嫌になるくらい知っていたけれど、小説だけで食べられるというのは、奇跡みたいなことなのだ。奇跡に浮かれることだってあるさ。
笹生さんの本を手に取ったのは、ジャンルが違う作家さんだったからかもしれない。エンターテインメント小説なのか、児童文学なのか、ちょっとわかりにくいところ、つまり僕が大好きなところで、ピカピカと輝いていた。
卑怯だよな、と思う。そんなところにいるなんて。輝くのは笹生陽子だから仕方ないけれど、あのポジショニングはやっぱり卑怯だ。
僕たち書き手は小心者だ。下らない自尊心を持ったりするくせに、その百倍くらい怯えてもいる。他の作家の本を読むのは、怖いものだ。ある先輩作家に聞いたことだけれど、彼は新聞を読むことさえできないそうだ。他者の著作紹介や、宣伝を見て、つらくなってしまうのだという。僕たちだってもちろん、執筆に集中し、他人と自分を比べず、ただ純粋に小説を求めたいと願ってはいる。嫉妬や見栄に絡み取られている自分は嫌いだ。卑小な自分は嫌いだ。下らないプライドを捨てられない自分は嫌いだ。でも、やっぱり、僕たちは人間だ。しかも、ちょっとばかりダメな人間だ。潔く生きられないゆえ、小説なんて道具でジタバタするのだ。
とにかく僕は、笹生陽子の本を手にしてしまった。ページをめくったとき、結果は決まっていた。笹生陽子なのだから、当然だ。一行目で持っていかれて、その日のうちに読み終わって、世の中にはすごい人がいるなと感じて、悔しくなって、寂しくなって、悲しくなって、嬉しくなった。
そうだ。
笹生陽子のファンになっていた。
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