『空色バトン』は別册文藝春秋に連載されていた。僕も何度か掲載してもらったことがあるけれど、あの雑誌は若さを許容してくれる。若さゆえのどうしようもなさと言ったほうがいいかもしれない。
せっかくの機会なので、ちゃんと解説してみよう。笹生さんの小説には、男子がよく出てくる。バカで、エッチで、うるさくて……女子が嫌いな男子だ。他の人がそんな男子を書くと、本当にバカでエッチなだけになってしまう。要するに、イヤらしくなってしまう。下品、という表現でもいい。ところが笹生陽子の手にかかると、確かにバカでエッチなのだけれど、下品ではないのだ。下品ではないのに、バカでエッチなのだ。これは狙って書けるものではない。小説を書くという行為は、実のところ、作家のすべてを晒す行為だ。百文字でも二百文字でも、あるいは百枚でも二百枚でも、読者には伝わってしまう。笹生陽子といえど、その宿命からは逃れられない。『空色バトン』を読むうち、僕は確信していた。こんなことを書くと、笹生さんは嫌がるかもしれないけれど、彼女の心の中には美しい人が住んでいるのだと思う。罪から離れた人だ。実のところ、笹生さんだけではない。僕の心の中にも、あなたの心の中にも、そういう存在が住んでいる。けれど、僕たちは大人になっていくし、あるいは生まれたときから、あるいはあとになってから、自ら罪に近づいてしまう。そうしていつか、自分の心の中にいる誰か、罪から離れた奴のことを忘れてしまう。悪いことだとは思わない。生きるというのはそういうことだし、僕たちは大人にならねばならないのだ。
ただ、世の中には稀に、罪から離れた誰かを大切にできる人がいる。その手によるキャラクターは、どんなにバカでエッチでも、下品にはならない。
笹生陽子の描く人々はみな、とてもきれいだ。
その美しさに触れるたび、本当に、本当に、僕は泣きそうになる。夜明けと同時に咲いたタンポポに、ふと気づいたときのように。
独特の甘酸っぱい香りが、鼻先をかすめていく。
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