- 2012.12.20
- 書評
気取らない「中野節」が奏でる
笑えて泣ける、聖書のドラマ
文:中村 剛士 (アートコーディネーター/アートブロガー「Tak」)
『中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書篇』 (中野京子 著)
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#趣味・実用
イギリスの美術専門誌によると、2009年に世界各国で開催された展覧会の入場者ランキング上位を日本の展覧会が占めたそうだ。
国立西洋美術館の「ルーヴル美術館展」には1日約1万人もの来場者があったと驚きの数字が示されている。京都へも巡回したこの展覧会に足を運んだ人の合計は140万超。これほど西洋絵画を愛する国民は世界広しといえども日本人くらいであろう。
ポスターには風俗画の傑作、フェルメールの『レースを編む女』が使用されたものの、「ルーヴル美術館展」の大半を占めたのは、日本人に馴染みの薄い『聖書』の場面を描いた宗教画だ。
さて、果たして訪れた人たちの一体何割が、宗教画に描かれた意味、物語をきちんと読み解き鑑賞したのであろうか? かく言う私もほとんど意味を解さず単に「観た」だけであった。
これは言わば、どんな食材を使い、どのように調理したのか全く知らずに目の前に出された料理を食するようなもの。食通でそんなことをする人はいないだろう。絵画好きとして、理解したいのはやまやまだ。だが『聖書』を読もうと思い立っても、元より信仰心の無い者にとっては中々重い腰はあげられず……。そんな八方塞がりの状況に暗夜の灯を得る一冊が、『名画の謎 旧約・新約聖書篇』なのである。
これまでもキリスト教絵画の見かたを手助けする書籍は何冊も出ているので、目新しさはないと感じるかもしれない。しかし数ページ読み進めると、他のどの本とも違う、斬新で、類型を破る中野京子ワールドがそこに展開されていることを悟るであろう。と同時に、もう後戻りできない魅惑の世界に足を踏み入れたことに気付かされるのである。
難解な『聖書』をテーマとして扱っているにもかかわらず、前作『名画の謎 ギリシャ神話篇』同様、読み始めると途中で止められず、最後まで一気に読み進めてしまう理由は3つある。
まず1つは、徹底して読者の目線で書かれている点である。初めて中野京子の講演を聞いた時、あまりにもフランクな口調に戸惑った経験がある。本書でも、全く気取らない普段着姿の「中野節」がいかんなく発揮され、噛み砕いた小気味良い表現でキリスト教絵画の解釈が綴られている。それは、各話のタイトルを見ただけでも分かる。 『バベルの塔』を“天までとどけ”『受胎告知』を“おめでとう、と言われても……”と簡潔且つ明瞭に表している。全編を通し、砕けた表現であっても決してはすっぱなもの言いに陥らず、絶妙のバランスが保たれているのが、大変心地好いのである。
まるで腕達者な紙芝居屋のよう
次に、著者の引き出しの多さがあげられる。旧約・新約聖書に記された物語を説明するに当たり、様々なアイテムを登場させている。例えば映画の話、文学作品、音楽、ミュージカル、そして食べ物からワイン、カクテル等々。関連付けられるありとあらゆるものを縦横無尽に繰り出し、京友禅の如く華やかな物語へと昇華させ語る点である。読み手に「飽きる」ということを完全に忘れさせるのである。
ともすれば無味乾燥で単調な解説に終始してしまいがちなテーマなのに、本書は逆に読んでいる最中から次の展開が気になり、仕方なくなってくるのである。その上、美麗な絵画が絶妙なタイミングでテキストの間に挿入されているのだから絵画ファンならずとも堪らないはずである。一枚の絵から数 多のストーリーを次々と展開させる、腕達者な紙芝居屋の再来である。
最後の理由として、イエス・キリストが誕生するより前の神と人との契約が記された『旧約聖書』と、救世主であるキリストとの契約が記された『新約聖書』を見事に書き分けている点があげられる。つまり、2つの大きな違った特性の物語が紹介されているのである。
『旧約聖書』は人間の「欲」をひとつの大きなキーワードとし、古今の画家たちが表現した絵画を軸に、巧みな比喩表現等を用い語っていく。ドロドロ、ゴタゴタした豊潤で時に滑稽な神と人間のドラマが記されている。活字だけなら読み流してしまう箇所も、中野節が奏でる「絵画の謎解き」がしっかりと立ち止まらせ、人間味溢れる物語を説き聞かせてくれるのである。
それとは対照的に、『新約聖書』の章では「聖」を主たる柱として「受胎告知」から「最後の審判」までイエス・キリストの生涯を大河ドラマのように壮大に語っており、稀代のストーリーテラー中野京子の本領を如何なく発揮している。キリスト教徒でない者が読んでも心動かされ、時に涙するはずである。
読み終えて、本書のテーマは、我々の心に在る「人間性」なのではないかと思った。絵画化された聖書について語りつつ、普遍的な人間ドラマを書き上げてしまった著者の巧みさにあらためて脱帽である。
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