
ここに一冊の追悼集がある。
『雪嶺を行く 柴田享彦追悼集』とタイトルのついたA5判、160ページほどの小ぶりな冊子。それでいて口絵8ページのアルバム写真をはじめ山行記録、遺稿、追悼記、思い出などの原稿がぎっしり2段で組まれた追悼集。大町山の会という山では実績のある老舗(しにせ)山岳会の編集になる一冊だ。
柴田享彦は、1982年3月16日、北アルプスの栂池(つがいけ)から入山し針ノ木岳へ至る後立山連峰全山縦走の途中、不帰岳(かえらずだけ)III峰で滑落し、遭難死してしまった。享年26、社会ではもちろんのこと、山でも現役のバリバリで、将来を嘱望(しょくぼう)されたクライマーだった。
その跡取り息子を失った親の悲しみはいかばかりであろう。手塩にかけて育て上げてきた最愛の息子を、時に山は、情け容赦なく奪ってしまうのだ。それも一方的に有無をいわせず、そして一瞬のうちに──。生きて別れの言葉をかける時間も許されず、自分の気持ちを整理するいとまも与えられず、山での遭難は瞬時にして家族全員を奈落の底に突き落としてしまう。
打ちのめされながら、しかし、残された者たちは気持ちを立て直そうと努め、やがて家族の死という現実を受け入れざるを得ないことを悟る。そして形として何かを残しておきたいという思いが芽生え、心の空洞を埋めるための確かな手応えを得ようとして、追悼集が編まれることになる。遺族の心の癒し(ケア)に、重要な役割を担いながら。
こうした実在する追悼集にヒントを得て、1冊の推理小説に仕立てあげたのが折原一さんの『遭難者』である。
主人公は笹村雪彦とその母親・時子、そして妹・千春。1996年4月29日、雪彦は北アルプス・不帰II峰の残雪の稜線から忽然と姿を消してしまう。松本市にある医療事務機器販売会社の山岳会・あすなろ岳友会の5人パーティの一員として参加した彼は、足場の悪い岩場が続くこのコースの核心部で消息を絶ってしまうのだ。
仲間の手によって追悼集が編集されることになり、『不帰(かえらず)に消える 笹村雪彦追悼集』と表題がついて自費出版される。母・時子の「山に消えたわが子」の随想を軸に、遭難事故報告書、事故対策本部の記録、永別の記、慰霊登山、慟哭の記などがこれに続く。ここまでは、前述した『雪嶺を行く 柴田享彦追悼集』をほぼなぞるようにして、滑落したと思われる息子の死に疑問を抱きはじめた時子の推理を軸に、ストーリーはテンポよく展開されてゆく。しかしこの本編には、『不帰ノ嶮、再び』という第二部がつくことになり、2分冊を箱入りにした(文春文庫版では1冊本として再編集されている)、とても凝(こ)った作りの書籍に仕上がっている。こうした手のこんだ体裁にこそ、謎解きの秘密が隠されているといえよう。
さてその結末、意表をつくどんでん返しは、この第二部を読んでいただくとして、ここではミステリーの謎解きよりも全体を通して感じられる著者の細部へのこだわりに注目したいと思う。ミステリーに限らずノンフィクションについても言えることだろうが、この細部への執着こそが、私にはとても重要なポイントに思われるからだ。特に山をテーマとした場合、地図、装備、行動記録、登攀(とうはん)技術などの記述はことさら正確さを要求される。その部分の手抜きは、読む側をいっぺんに白けさせてしまうからだ。
しかし、著者の姿勢は細部にこそこだわり続ける。入念な現地取材、地図・概念図の正確さと見やすさ、登山届・死体検案書・死亡届などの書類すべて、そして奥付の通し番号に至るまで細かな配慮が行き届き、側面からこの小説をがっちり支えているのである。さらに驚かされるのは、時子や千春がパーティのメンバーと面談・会食する場所にも心くばりされている点だ。実在する松本市内の喫茶店やレストランを、しかも雰囲気や相手によって巧みに使い分けている。その所在を知っている人には、この推理小説が一段と親近感と現実味を喚起させてくれるに違いない。
山を舞台にしたミステリーの特異性はどこにあるのだろうか。
登山は大きな広がりをもつ自然そのものが活動の舞台となる。天候にさえ恵まれていれば、実に快適な山歩きを楽しめる一方で、ひとたび荒れると、手のつけようのない悪天に生死の境を彷徨(さまよ)いかねない。そのときの気象条件によって、極端に状況が変わってしまうのが山なのである。
特に季節の変わり目、春と秋は気象条件によって冬山にも夏山にもなり得るのだ。事実、1989年10月8日、北アルプス・立山で起きた中高年登山者の大量遭難事故を思い出してほしい。前日までの麗らかな秋山の天候が急変し、吹雪が吹き荒れる冬山の様相を呈し、8人が亡くなった。また夏山といえども、2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が低体温症で死亡するという遭難事故も起きている。山は、気象の予測が難しく、さらに激しく変化することがあり、偶然に左右されがちだ。
現に今回の雪彦の「遭難」も、深い霧が欠かせない要素となっている。視界を閉ざすほどの濃い霧が同行者の姿さえも消してしまった。まるで密室殺人と変わらない状況が創作できてしまう。このように比較的容易に一人きりの空間が作れ、しかも犯罪の立証やアリバイの成立が難しいという山の特異性。さらに登山に対する距離感と億劫さが、「登山者に悪人はいない」という世間一般の風潮と相まって密室性を高めてしまう。そこに山のミステリーのおもしろさと難しさがあるのではないだろうか。
ところで、この小説で重要なモチーフになっている雪彦遭難の「時代」について考えてみよう。
彼は1996年4月のゴールデンウィーク、北アルプスの不帰II峰南峰を登り切り、III峰へ向かう途中の狭い稜線で滑落したことになっている。一方、小説のモデルになった実在する柴田のそれは、1982年3月、同じ不帰III峰であった。遭難現場こそ類似しているが、この15年ほどの年月の差は、遭難の態様そのものを大きく変えてしまった感がある。
1982年ころといえば、一部の先鋭的登山家たちはヒマラヤの高峰、それも未踏の難ルートからの登頂に意欲を注いでいたころである。国内でも若い人たちが、積雪期のアルプスで岩壁登攀や雪稜の縦走などに意欲を燃やしていた。山に真摯であるがゆえに、思い詰めたような一途さすら感じられた。しかしこの十数年の時の経過は、山の情況や遭難の形態に大きな変容をもたらすことになる。いわゆる「中高年登山ブーム」の到来と定着だ。
中高年登山者、特に中高年になって登山を始めた初心者が増えれば、当然、山の事故も増えてくる。それまで山の遭難といえば、柴田のように岩登りや雪山での滑落や雪崩など、ごく一部の登山者に限られたものだった。しかし登山の大衆化は、遭難対策の関係者にも想定できなかった事態をもたらすことになる。遭難事故の大半が、中高年による「ふつう」の登山道での転・滑落や道迷い、病気など突然死によるものとなり、なお今日にいたるまでその傾向が続いているのである。
一方雪彦の「遭難」は、私たちにまた中高年とは異なった事象の変化を語りかけてくる。著者は、14年という時間をスライドさせて、20代の若い登山者たちをモデルにして、彼らの山行を再現してみせた。それはまだほんの萌芽のようなものであるかもしれないが、総じて若い人たちの山への復権の兆しを感じさせるころと符合する。彼らの登場は、最近の「山ブーム」到来をも予感させる、時代の屈託のなさの表われでもあるようだ。
最後に、冒頭の柴田の追悼集に、再度、ふれておきたい。解説の依頼を受けた私は、本書の参考文献一覧をみて、ひっかかるものを感じていた。もしや、と思って取り寄せた追悼集は、はたして私が信州大学に通っていたころ、ある山小屋でともに一時期アルバイトをしていた柴田のそれであった。思いがけぬ旧友との35年ぶりの邂逅(かいこう)となってしまった。まさにミステリアス、推理小説を地でいくような展開にとても不思議な感懐を抱いている。
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