書評

いまの私が守りたいもの

『“あの日のそのあと”風雲録』(林真理子 著)

 そこで、まずは文化人の団体・エンジン01でご一緒している三枝成彰さんが、サントリーホールで開くチャリティコンサートとバザーのお手伝いをしました。バザーの運営や呼び込み、オークションの司会など、朝から晩まで休みなく動いたので、翌日寝込んでしまったほどです。バザーには、画家・千住博さんが描いた滝の絵や、布袋寅泰さんの革ジャンなど、錚々たる著名人の方々が手弁当でさまざまな私物を提供してくださいました。女性会員には「家で眠っているケリーやバーキンを出してお国の役に立ちましょう」なんて声をかけて戦時中のダイヤ供出のように高額品を集めたりして。秋元康さんも、今をときめくAKB48の直筆サイン入りDVDボックスを出してくださったんです。結果、総額740万円の売り上げ。コンサートと合わせて――観客も演奏者も1人1万円以上を寄付する――3500万円を寄付することができました。

 これを皮切りに、自分でもどこにそんなパワーがあったのかと思うくらい、ボランティア活動に励むようになりました。被災地にはこれまで十数回行きましたし、その他にも取材やら講演で全国を飛び回っています。実は2011年は、新聞を含む連載小説4本にエッセイの連載4本、週刊誌の対談と、人生で一番仕事をした年でもありました。夫には「いいかげんにしろ!」と怒られましたし、ハタケヤマも「もうこれ以上予定を入れないでください」と悲鳴を上げたほど(笑)。でも、そんな忙しい日々の中で、ボランティア活動を「大変だ」と思ったことは一度もありません。

 ボランティア活動は、自分のためにやっているんです。被災地の方のために忙しく立ち働いている間、どんなに私の気持ちが救われたことか。西に逃げた時の、自責の念に駆られてどん底まで落ちこんだ日々を思えば、日帰りで福島まで往復することの方が、ずっと気持ちが楽なんです。

 そして、いざ被災地へ――。津波で校舎を失ったある中学校との出会いが、さまざまな支援活動の輪を広げていく。  

 初めて被災地に行ったのは四月のはじめでした。仕事で被災地に行った夫の話を聞くうちに、人間として、物書きとしてどうしても行かなければ、と思うようになりました。そこで、編集者とお茶を飲んでいるときに、

「誰か被災地に一緒に行ってくれないかなー」

 と言ってみたのですが、無反応。私がムッとしたのは言うまでもありません。編集者が協力してくれないなら自分でやるしかない、とエンジン01でご一緒している藤原和博さんを頼りました。思い立ったら行動は早いんです。

 石巻をはじめて訪れたときのことは、忘れようがありません。物書きなのに情けない話ですが、言葉がまったく出てきませんでした。360度、見渡す限りどこまでも瓦礫が続いていて、街が丸ごと一つなくなっている。テレビ映像とはまったく違います。歩いても、ふわふわと体が漂っているようで、現実感が全くありませんでした。

 その後、藤原さんが「とても熱意のある校長先生がいる」と惚れ込んだ、とある中学校を支援することになりました。

「何かできることはありませんか」訊ねると、「子供たちにたらふく食わせてやってください。特にたんぱく質を」と頼まれました。そこで娘の学校の保護者会で知り合った方を中心に「ママ友隊」を結成し、食材とカセットコンロを持ち込んで、約七十人分の焼肉をふるまいました。

 そこでは出張授業もしました。みんな私のことは知らないんです。しっかり話は聞いてくれるんですけどね……。でも校長先生が、こんな嬉しいことを言ってくれました。

「今はわからないかもしれないけれど、10年経ったらこの先生のすごさがわかるよ」

 ね、素敵な先生でしょう。

 そのあとも、定期的に中学校を訪れ、夏休みには給食を作りに行きました。何回も顔を合わせていると、お互い馴染んできます。焼肉の時に学校に寄付したコンロに、いつのまにか「マリコンロ」なんてシールが貼ってあったんです。嬉しかったですね。給食支援には、女優の黒木瞳さんも参加してくださいました。子供たちの目の色がハッキリ違いました。「おばさんたちの中に1人だけ光ってる人がいる」って大騒ぎで(笑)。また、3年生が修学旅行の時は、1、2年生の子どもたちを、私の家を含め、「ママ友隊」のお家への「ホームステイ」という形でお預りしました。三月、卒業式に出席した時は、生徒たちの本当の親になったような、ちょっと不思議な気分になっていました。

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“あの日のそのあと”風雲録
林真理子・著

定価:1260円(税込) 発売日:2012年03月16日

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