鋭い視点と明るいユーモアで人気のエッセイ「夜ふけのなわとび」(「週刊文春」連載)。その2011年分を収録した『“あの日のそのあと”風雲録』は、東日本大震災が大きく影を落とす異例の1冊となった。林さんの揺れる心と覚悟が、赤裸々に綴られている。
震災後しばらく、私は、エッセイに何を書いたらいいのか、わからなくなっていました。いつものように楽しいことが書けないのです。ニュースを見ると涙がボロボロこぼれてくるけれど「東北のみなさんが気の毒だ」とありきたりの言葉を書くわけにはいきません。物書きであるからには、人とは別の見方、別の言葉を発しなければお金をもらう資格はない。それに先ほどの“逃げた”という思いが膨らんでいって、フィクションはともかく、私にはもう、エッセイを書く資格はないのではないかとさえ思いました。
「私、何を書いたらいいんだろう……」
ある雑誌の編集者に、思わず話してみたんです。すると、こんな答えが返ってきました。
「ハヤシさんのエッセイを、いつものように書いてくださればいいんですよ」
この言葉にどんなに救われたことでしょうか。
そうか、今まで通り書けば良いのか。それまでのもやもやとした気持ちが、少し晴れました。この頃は、震災に伴う紙不足で休刊を余儀なくされた女性誌が復活していった時期でした。誌面を眺めると、冒頭には被災者へのお見舞いの言葉はありますが、その他はこれまでと同じファッションや化粧品などの華やかなページ。嬉しくて涙が出そうでした。
当時はすべてにおいて自粛ムードで、ブログやツイッターで呑気なことを書くと「こんなときに不謹慎な!」と叩かれてしまう。でも、読者がお金を払って買ってくれる雑誌の中で書く限り執筆者は守られています。とても恵まれた立場にいることに感謝しよう、そして女性誌を手に取る読者は、雑誌を読んでウキウキした気分になりたいのだ。だったら今までどおり、楽しいことを書いていこう! そう思えます。
私にとって、雑誌はお城のようなものなのです。
その一方で、今まで私がネットに抱いていた違和感の正体が、はっきりと見えてきました。
たとえば、当時節電啓発担当大臣だった蓮舫さんが官邸入りするときに、防災服の襟を立てていたことがネットでバッシングされたことがありました。でも、それが彼女のやる気や能力と関係しているんでしょうか? 人の一挙手一投足に目を光らせて、何か揚げ足を取ってやろうという悪意のこもった匿名の目線、それこそが、ネットへの違和感の正体ではないでしょうか。阿川佐和子さんも「今は一億総『噂の眞相』になっている」とおっしゃっていましたけど、本当にそう。ネットは、人の悪意と本当に相性がいいんですね。
そして、ネット内の書き込みはタダで、匿名で書けてしまう。私も筆禍、舌禍はよく起こす方ですが、最終的には自分でそのリスクを負っています。自分の発言に責任を持てば、たとえ批判を受けることがあっても、それはある程度知的な論争になる。20年ほど前の「アグネス論争」の時もそう。私は頭を使って、きわめてロジカルな思考で発言を続けました。そこがネットとは違うところだし、誇るべきところ。改めて、活字の力、雑誌の力を実感することができました。
震災後1ヶ月ほど経って、一時は冷え冷えとしてしまった林さんの心に、火が灯った。
何でもいいから被災した方々の役に立ちたいという気持ちが強くなっていきました。それまでは、作家が行っても邪魔になるだけ、とどこか遠慮していた部分がありました。タレントやスポーツ選手の方なら、被災地に行って握手をするだけでも、みなさんを元気づけることができますが、私が行っても「あのおばさん誰?」って思われてしまうでしょう。私はいつも「作家で被災地に行って誰だかすぐにわかって喜ばれるのは瀬戸内寂聴先生だけ」と言っていたんです。みなさんもそう思うでしょう?(笑)それでも何かをやりたい。
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