――ここ数年、原武史さんや伊藤之雄さんによる昭和天皇の評伝・研究書が相次いで出ました。それらの本と、福田さんの『昭和天皇』シリーズの違いは何なのでしょうか?
福田 そうした歴史研究者のお仕事は大切ですし、今回書く上でも参考にさせて頂きました。しかし、あくまでも文芸評論家である私の目論見は、昭和天皇―― 彼(か)の人(ひと)――の視座を借りることによって、ありとあらゆる事件、人物を登場させ、昭和という時代を背景とした夥(おびただ)しいドラマを描くことができる、という一点にありました。その試みが成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、足かけ10年にわたるライフワークとなり、自分としては書いていて楽しく、スリリングでした。
――最終第7部の巻末には、全巻を通した主要登場人物と事項の索引を付けました。約600人の名前が並び、壮観です。
福田 皇族、侍従、政治家、軍人といった人々にとどまらず、ルーズベルト、ヒトラー、スターリン、蒋介石、ムッソリーニ、毛沢東といった現代史のメインプレイヤーを登場させることができました。昭和天皇が生まれた直後の日露戦争から、敗戦に至るまでの40年余りは、ともすれば島国として世界の流れから孤立しがちな日本が、よきにつけ悪しきにつけ、世界全体と向き合うことを余儀なくされた時期でした。昭和天皇という人物を軸に、世界史を眺めることができたのは、私自身にとっても大変幸運なことでした。
さらには、2.26事件の関係者や、左翼活動家、戦場で倒れて行った無数の兵士たち、そして作家、芸術家、芸人に至るまで、ありとあらゆる人々と向き合うことができました。歴史とは無名の人まで巻き込む、大きなうねりなのだということをあらためて実感しましたね。
――その中で、どんな「新発見」がありましたか?
福田 あくまで一例ですが、明治の元勲の1人である西園寺公望の、静岡県興津の別荘を取材で訪れた時のことです。その屋敷――坐漁荘――は、旧東海道と海に挟まれた立地で、しかも西園寺の居室からは、四方すべてに逃げられる作りになっていました。伊藤博文や山懸有朋の死後、西園寺は天皇裕仁にとってのただ1人の「後見人」となります。西園寺にしてみれば、「ここで自分が暗殺でもされれば、天皇制と日本国家はもたない。だから絶対に死ぬわけにいかないのだ」という切実な危機感を常に抱いていたことが、実感できました。明治から昭和初期にかけての日本が、いかに脆弱な基盤の上に乗っていたかは、今や忘れられがちです。欧米やロシアからの脅威に常にさらされ、国内の農村や下級兵士には常に貧困から来る不満が渦巻き、テロが横行、あげくのはては裕仁に替えて弟宮を担ごうとする陰謀まであったと囁かれます。そんな中、激動の時代に立ち向かわなければならなかった昭和天皇はどんなにも孤独だったでしょうか。
昭和天皇の資質と悲運
――君主としての昭和天皇を、どう評価されますか?
福田 昭和天皇が戦争末期から昭和36年まで住んだ皇居内の「お文庫」の執務室にはリンカーンとダーウインの胸像が飾られていたと、元側近たちから聞きました。現人神と崇められていた君主が、敵国であるアメリカの英雄と、進化論の提唱者を尊敬していたとは何とも皮肉な話です。ことほどさように、天皇裕仁は常識的で、世界の情勢によく通じていたと思います。しかし裏を返せば、ルールから外れることのできないきまじめさが、悲運を招いたとも言えます。
軍の強硬派に不満を持ち、米英との開戦をできれば避けたいと考えながらも、立憲君主としてはやはり内閣が決めたことを根底から覆すことはできない――その懊悩の中で、最終的には開戦を決断せざるを得なかった。
軍事にも通じており、戦局が悪化してゆくだろうとも、早くから予想がついていたと思います。だからこそ、東京大空襲の後、東京の下町の惨状を視察した時は、身を切られるほどつらかっただろうと想像します。終戦についても、もっと早く講和し、犠牲を少なくすることができたのではないか、と言う人もいます。しかし、客観的に見ればそれは難しく、常識的な昭和天皇であったからこそ本土決戦をかろうじて避けることができたのではないでしょうか。
――昭和天皇の時代から、われわれが学ぶことのできるヒントとはどんなものでしょうか?
福田 東日本大震災の後、今上天皇皇后両陛下が被災者を直接見舞ったことで、国民の統合が保たれたのは事実でしょう。皇室の今後についてはさまざまな議論がありますが、少なくとも昭和天皇の時代にも多くの危機を乗り越え、今の皇室と日本があるという歴史は知っておくべきだろうと思います。
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発売日:2016年11月18日
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