
- 2010.09.20
- 書評
横綱とのバトルは取材のあり方を考えさせられる貴重な時間だった
文:横野 レイコ (リポーター)
『朝青龍との3000日戦争』 (横野レイコ 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
「久しぶりです。引退相撲、よろしくお願いします」。かつての盟友達にこう挨拶した元横綱朝青龍。8月31日、あの電撃引退後初めて国技館を訪れ、懐かしそうな表情を見せた。現役時代と変わらぬ着物姿の朝青龍を見ていると引退したことが信じられない。「この夏は全くトレーニングしなかった」と笑って話す彼の体型は、現役時代そのままだった。
史上3位という25回の優勝を飾った直後の引退には、日本中が驚いた。それから6カ月、ようやく相撲界への未練を断ち切り、前向きになれたようだ。
フジテレビの『とくダネ!』のリポーターとして相撲取材をしていた私が、初めて朝青龍にマイクを向けたのは、2002年名古屋場所後の大関昇進時だった。以来何かあると高砂部屋に行き、彼の様々な表情を間近で見てきた。優勝インタビューをした翌日、理事長のところへ謝罪に行く横綱にマイクを向けたこともあった。冬の石垣島巡業で、服のまま海に放り投げられたことや、朝稽古後に頭から水をかけられたこともあったが、いたずらっ子そのものの振る舞いが憎みきれなかった。
どんなときも取材陣の最前列でマイクを向ける私に対して朝青龍が苦々しく思ったこともあるだろう。それでも行けば必ず取材に応じてくれたのはプロ意識の高さの表れでもあった。ストレートな性格丸出しのコメントは面白く、翌日の紙面を大きく飾ったことも数知れない。彼の取材現場にはいつも予測できない事態が待っていた。期待のヒールは私たちに取材の醍醐味(だいごみ)を味わわせてくれた。
そんな朝青龍は力士仲間にはどう映っていたのだろうか? 私が朝青龍の本を書くと知った力士達はわざわざ私に朝青龍の素顔を教えに来てくれた。悪いイメージを払拭して少しでも真実を知ってもらいたいとの熱い思いが伝わってくるようだった。モンゴル人力士だけでなく日本人力士や呼び出し、行司に至るまで相撲界の多くの人達に愛されてきたことを改めて知り、驚いた。
朝青龍は現役時代、モンゴルの後輩力士達の相撲もよく見ていた。白鵬の兄弟子に龍皇というモンゴル人力士がいる。龍皇がまだ幕下の頃、関取目前の地位にありながら力を発揮できないのを見た朝青龍は、ある夜彼を呼び出した。実は、当時龍皇の母は心臓病を患い、すぐに手術しなければならない状態だった。龍皇は母のことが心配で、とても相撲が取れる状況ではなかった。龍皇の悩みを聞いた朝青龍は、「すぐに母を日本に呼んで手術させろ。お金も病院も心配しなくていいから」と言って渡航費まで立て替えてくれたという。精神的な不安がなくなった龍皇はその後関取に昇進し、白鵬の露払いを務める幕内にまで昇進した。日本で治療した母は今も元気だ。「医療事情の悪いモンゴルで手術をしていたら今頃母はどうなっていたかと思います」と龍皇は感謝している。これは朝青龍の性格を表すエピソードのほんの一部である。
今夏、朝青龍取材の鮮烈な思い出を振り返りながら原稿を書いていた矢先に起こった野球賭博問題。前代未聞の不祥事に相撲協会はどうなるのか、名古屋場所は開催されるのか、と先行きの見えない不安を抱えながら取材に走り回っていた。連日の取材合戦の中で朝青龍にスイッチを切り替えることが難しく、正直原稿が進まない日もあった。野球賭博に関わっていた力士や暴力団関係者との関係が噂された部屋など処分対象者が拡がっていった過酷な取材の中で、記者達が漏らした言葉が象徴的だ。
「朝青龍取材には、いつもどこかに笑いがあったけど、相撲界の他の不祥事は笑えない。救いがないよね」。確かに、サッカー騒動やガッツポーズなど一人で多くの話題を提供し、日本中のマスコミを熱くさせた朝青龍だったが、彼にしてみれば「ルールを破ったと言うけど教えてもらってない。品格って何?」と相撲界の因習と闘い孤軍奮闘していた部分もあったのではないか。「強さを誇る横綱は立派なはず」と思い込んでいた私達は、ある種の挑戦状を突きつけられていたようにも今は思う。
面と向かって「天敵!」と言われたこともあったが、後に歩み寄りも見せた朝青龍。8月の終わり、「あんたは第二の内館先生になるんじゃないのか」とにやりと笑って国技館を立ち去った。相撲取材歴23年の私と稀代の横綱とのバトルは取材のあり方を考えさせられる貴重な時間となった。本書が、朝青龍が伝えたかったものは何かを考えるきっかけになってくれたらと願う。
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『大相撲 名伯楽の極意』九代 伊勢ヶ濱正也 佐藤祥子・著
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