2013.01.30 インタビューほか

母親に認めて欲しかった信長の渇いた心

「本の話」編集部

『信長影絵』 (津本 陽 著)

母親に認めて欲しかった信長の渇いた心

――「下天は夢か」から4半世紀。この度全く新しい視点で信長をお書きになられましたが。

津本 同じ武将を3度も書いたのは信長だけですね。「下天は夢か」はざっと信長の生涯を追い、「覇王の夢」では信長がもし生きておれば、どうしておったか? 海外進出とかを含めて書いてみました。今回は信長の精神の内側を追究してみようという気持ちで臨みました。信長は自分の物指しで判断して、既成観念にまったく捉われない個性の強い人物だったからこそ、3度も書けた、と思います。

――今回は3人の女性が大きな鍵となっています。

津本 信長の母親である土田御前は徹底して信長を嫌い、疎んじて、最終的には弟の信行を信長の代わりに尾張の国主にしようとし、兄弟相戦うように仕向けます。信長は母親に愛されることの無い子供だった。このことが信長という人間が形成されるときに大きく影響します。数々の手柄を立てても母親に認めてもらえない。認めてもらいたいのに、逆に弟を唆(そそのか)して自分を殺そうとさえする。これは本当に辛いことでしょう。一方で2人の側室である吉野とおなべは、信長という存在を受け止めてあげるのですね。信長は2人といると自分を取り戻すような気がしたのでしょう。信長の周囲は誰も信用できない。実の母親ですらそうなのですから、誰が信用できるでしょうか。吉野が亡くなって、しばらく信長は失敗ばかりで、著しく生彩を欠いた時期が続きます。美濃攻めに長い時間がかかるのもそのせいでしょう。心の暗闇を明るくしてくれたのが、おなべです。

――父信秀の葬儀の場面では初めて得心がいきました。

津本 そうなんです、誰も信用できないから、自分の父親の葬儀であろうと、うかうか参列すれば殺されかねない、そんな状況の下であったからこそ荒々しい行動を取り、周囲を威嚇した訳です。せざるを得なかったと思います。そのような環境で育った信長は、人を疑い、1度疑ったらその人物を攻撃して、破滅させる傾向を強く持つ。母親に無視されたために、他人にも自分の存在価値にも疑いを持ったのが、信長です。存在価値を担保するのが社会的地位だが、簡単に言えばそれは会社人間のようなもの、個人としての充実感はないので、公私の間で信長の心は揺らぐ、揺らぐ自意識を強い肉体的な刺激でつなぎとめるのが信長の危険行為の意味です。

――彼の生涯には何度かあったと?

津本 「信長公記」では5回ほどあったと書かれています。本能寺、しかり。「下天は夢か」を書いた時から不思議に思ってました。どうして信長は無防備なまま本能寺に赴いたのか? 力士中心の馬廻隊を連れて行かなかったのか? 2千の彼らがいれば、たとえ1万5千の明智勢に囲まれても、1日2日は防げたはずなんです。なのに当時彼らが何処にいたのか全くわかっていない。信長がわざとそのような危険な状況を設定したとしか思えない。信長には膨張衝動が強くあったと見えるかもしれません。

――現代の感覚ではなかなか考えにくいですよね。

津本 現代に十分通じるでしょう。会社を定年退職すると、生きる意味を見失う人、収入に合わない浪費を止められない人、抑制のない投資家、自分自身のありようを知ろうとしない人は何かしら外部に自分の存在意義を求める。信長はそれが最も極端だった。しかし、その巨大な社会的地位を常に周囲から試され、虚ろな自我も彼の生きる実感を希薄にするので、危険行為という代償で生を実感するのでしょう。危険な方へ危険な方へと引寄せられてしまうのが、快感とも感じられたのでしょうか。過去の千草峠の狙撃でも、変装してしまえば安心なのに、あえて己の存在を誇示してしまう。天王寺砦の戦いでも、先頭を走って負傷してしまう。他の武将なら、こんな危険なこと、ようしません。信長には何処か己の運を試すようなところがあります。桶狭間の時も似ていますね。だから本能寺のときも、光秀を追い込むようにして、己の運を試して楽しんでいるかのようです。

――人間の心の内面を描くというのは「無量の光」で親鸞を書いたから、到達しえた境地でしょうか。

津本 そうかも知れません。

――これからもお書きになりたいことは?

津本 いくつもありますが、信長を書くことはこれが最後でしょうね。さすがに書ききったでしょう。これが最後の信長です。

信長影絵

津本 陽・著

定価:1995円(税込) 発売日:2013年01月10日

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