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「冷酷」で「能力主義」な信長はいかにして生まれたのか?

「冷酷」で「能力主義」な信長はいかにして生まれたのか?

文:末國 善己 (評論家)

『信長影絵』 (津本陽 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 織田信長を主人公にした歴史小説は、枚挙に暇がない。その中でも、坂口安吾の短篇「鉄砲」、司馬遼太郎『国盗り物語』、そして津本陽『下天は夢か』は、独創的な人物造形と後の作家に与えた影響の大きさも含め、別格といえるだろう。

 太平洋戦争中の一九四四年に発表された安吾の「鉄砲」は、アメリカの物量作戦に精神論で立ち向かう日本を批判するため、三段撃ちという手法を考案して弾ごめに時間がかかる鉄砲の弱点を克服した信長を、「その精神に於て内容に於てまさしく近代の鼻祖」とした。これが、信長を近代合理主義者とした歴史小説の嚆矢となっている。

 安吾が作った信長=近代合理主義者を発展させたのが、『国盗り物語』である。司馬は、美濃を盗み取った斎藤道三を、中世的な因習を破壊した改革者として評価。新しい時代を切り開いた道三が後継者と考えたのが、信長と明智光秀だったとする。司馬は、人間の「機能」にしか興味がなく、「何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したり」もする「すさまじい人事」を断行したのが信長だったとするが、ここには工業製品の大量生産で高度経済成長を成し遂げた戦後日本の社会モデルが重ねられていた。

 バブル景気が全盛だった一九八〇年代後半に「日本経済新聞」に連載された頃から注目を集め、単行本が大ベストセラーになった『下天は夢か』は、信長の合理精神の中でも、特に情報の収集と分析に着目している。そのため、今川義元の大軍に信長が寡兵で立ち向かった桶狭間の戦いも、大量の忍びを使って情報を集めた信長の必然的な勝利とされている。「分かるであろうがや」や「儂が申すは無策の策だわ」など尾張言葉を話す信長を描き、ローカル色を前面に押し出したことも話題となった。

 土地や株への投機熱が盛り上がっていた時期に発表された『下天は夢か』が、情報を重視する武将として信長を描いたのは、日本の社会構造が、物作りから情報のいち早い入手が損益を左右する投資へとシフトしたことを的確にとらえた結果といえる。また当時は、全国の市町村に一律一億円を交付する「ふるさと創生事業」が推進されたり、各地で地方博が開催されるなど“地方の時代”がキーワードになっていた。尾張言葉を話す信長は、こうした時代の変化を的確にとらえていたのである。

 二〇〇五年、本能寺で非業の最期を遂げた信長が計画していた壮大な政策に迫る『覇王の夢』を刊行した著者が、バブル崩壊、リーマン・ショックという未曾有の不況を経験した後に三たび信長に挑んだ本書『信長影絵』(「オール讀物」二〇一〇年九月号~二〇一二年十月号)は、『下天は夢か』とはまったく異なる、というよりも、これまでの歴史小説にも見られなかった斬新なアプローチで信長を描いている。

 著者は、「本の話」に掲載されたインタビュー(二〇一三年二月号)で、「信長を書くことはこれが最後でしょうね」と語っているので、“信長三部作”の掉尾を飾る本書は、著者の作品系譜の中でも重要な位置を占めるのはもちろん、信長を主人公にした歴史小説に新たな境地を開いたといっても過言ではあるまい。

 各地に忍びを放つのはもちろん、農民や商人と関係が深い木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)や川並衆の蜂須賀小六らから庶民の生活実態や要望を聞くなど、地道に集めた情報を政策立案に活かしたり、信長が尾張言葉を話したりするのは、『下天は夢か』の歴史観を継承、発展させている。若い頃の信長は、領国の安定経営のため、藤吉郎たちの情報を基に人心掌握に気を配ったとしているところは、敵対する人間は無辜の民であっても虐殺したとされることも多い信長のイメージを覆していて興味深い。

 だが本書は、決して革新的な戦略で天下統一を目指す信長の栄光を描いているのではない。幼少期から筆を起こすことで、どのような環境が、一切の情を排除し、すべてを冷酷無比なロジックで割り切る信長の性格を形成したのかに迫っているのだ。

 まず著者は、信長が他人の心を見抜く鋭敏な感覚を持っていたとする。そんなセンシティブな信長の心に傷を付けたのは、周囲を敵に囲まれ、親兄弟も家臣も信頼できず、合戦に勝つか、力で及ばない時は謀略を用いてでも敵を葬らなければ生き残れなかった父・信秀の窮地を見て育ったことにあるとしている。若い頃の信長が、礼儀をわきまえず、下々の者とも親しく交わったため「大うつけ殿」と呼ばれていて、特に父の葬儀で仏前に抹香を投げつけたエピソードは有名だろう。著者は、放埒なキャラクターを演じたのは信長の戦略であり、そうしなければならなかった必然があったとしている。この作中の解釈は、戦国史に詳しいほど驚きも大きいのではないだろうか。

 だが、戦争と謀略に明け暮れる父以上に信長のトラウマになったのが、実母の土田御前(どたごぜん)との関係である。信長が、信秀と同じ野卑ですさんだ道を進んでいると確信した土田御前は、礼儀正しい信長の弟・信行ばかりを可愛がり、ついには信行に家督を継がせたいと考えるまでになる。父から受け継いだ領土と金銀を守るため、信長は力だけを信じて突き進むが、母への思慕は募るばかりで、何とか母と弟との仲を修復し、家庭内に安らげる場所を作ろうと努力する。だが土田御前は手を差し伸べる信長を拒絶したどころか、命までを狙う。この経験が、肉親にも、家臣にも心を許さない強い猜疑心と、いつ死んでも構わないという破滅願望の原因になったというのである。

 幼少期に親から肉体的、精神的な虐待を受けた子供は、自分が親になった時に子供に同じような仕打ちをする傾向があるとされる。それだけに、信長が生来の独裁者ではなく、誰も信用しなかった父と、愛を与えてくれなかった母の影響で、家族にも、家臣にも冷淡になったとする著者の説は、非常にリアリティと説得力がある。

 信長の渇いた心を癒してくれたのが、気配りができ、信長の質問にも的確に答え、何より信長が背負っている重荷の存在を理解している吉野(きつの)の存在である。吉野は信長が気を許せる唯一の女性であり、信長の寵愛を受け、子供ももうけている。だが病弱だった吉野が亡くなると、信長の負の感情はますます増大していくことになる。

 前半のクライマックスとなる桶狭間の戦いは、『下天は夢か』と同じく、信長は忍びの情報で今川義元の動きを掴んでいたとされているが、心の奥底には、いつ首を取られても構わない、死ねば一族が皆殺しにされ、吉野と子供が一緒に冥土へ行ってくれるとの虚無感があり、これが信長を乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に駆り立てたとされている。

 弟を謀殺し、同族と血みどろの抗争を繰り広げた尾張の統一戦。木下藤吉郎と蜂須賀小六たちが、調略と戦闘の最前線で戦った美濃攻略戦。妹のお市御寮人を嫁がせた浅井長政の裏切りで窮地に立った信長が、恨みを晴らすかのように執拗に攻撃を続けた浅井・朝倉攻め。各地で繰り広げられた一向宗との戦闘は、大規模な海戦にまで発展。信長が幼少期から目を付けていた鉄砲の威力が遺憾なく発揮された長篠の戦い――など、信長は次々と合戦を仕掛けていく。

 槍、鉄砲など兵種ごとに分類された戦闘部隊が、命令一下、整然と敵陣を切り裂いていく合戦シーンには、圧倒的なスペクタクルがある。だが、信長を突き動かしているのは、出世をしたい、栄光を掴みたいという野心ではなく、自分を危険にさらすことでしか生の充足感が得られないという歪んだ情念であることが分かってくるので、カタルシスではなく、息苦しさを感じるように思える。

 考えてみると、騎馬で単身駆け出し、家臣団がようやく追いついた桶狭間の出陣、危険なルートを通って帰国することが分かっていながら、陰武者を使わず、変装もせずに狙撃された千草峠、大将自らが先頭に立って戦い負傷した天王寺砦の戦いなど、信長はわざと死地に立ったとしか思えない無謀な行動を何度もしている。その最たるものが、光秀謀叛の直前、相撲取りだけで組織した強力な親衛隊を連れず、わずかな手勢だけで本能寺に宿泊した不可解さだろう。これらが、著者の指摘するようにトラウマの結果だとすれば、腑に落ちることも多いのである。

 そして度重なる合戦、特に絶対に抵抗を止めない一向一揆との泥沼の戦闘は、信長から敵対する者でも降伏し恭順すれば麾下(きか)に加えていた寛容さを奪い、逆らう者は残虐な手段で殺すという欲望を芽生えさせるまでになる。暗い情念を加速させる信長の心は、吉野の死後に心を許した側室おなべにも、癒すことができなくなっていく。

 信長が、茶器の名物を集めたのは有名である。ところが著者は、信長には骨董を愛玩する趣味はなかったとする。それなのに信長が名物にこだわったのは、さほど価値のない骨董が高値で取り引きされていることを利用し、それを金銀に替えたり、家臣に褒賞として与えたりするためにほかならない。いわば骨董バブルに踊っている豪商や大名を冷ややかに見る信長の姿は、バブル崩壊による不況を経験しながら、少し景気が持ち直すと再び投機に走り、リーマン・ショックで再び危機に直面した懲りない日本人への皮肉が込められているように思えてならない。そして、敵を倒すことだけが自己目的化された修羅の道を進む信長には、バブル崩壊後の不況を乗り切るために導入された市場原理主義的な競争社会が重ねられていたのではないだろうか。

 家臣を能力だけで判断する信長は、与えた過酷なノルマを達成した者には十分な報酬で報いる一方、失敗すれば平然と切り捨てる。それを知っている信長家臣団は、馬車馬のごとく全国を駆けずり廻るが、順調に出世ができたのは木下藤吉郎ら一握りで、多くの家臣は信長の逆鱗に触れるのを恐れて生きている。こうした人事体制が、本能寺の変の遠因になるのだが、自分ができることを家臣に求め、トップの威圧で家臣が萎縮するという構図は、過重労働と低賃金で従業員を使い捨てるブラック企業に近い。

 信長というワンマンな経営者のもとで、心身を蝕まれていく家臣たちを描いた著者は、いわゆる“失われた二十年”で変質した日本社会の実態にも迫っているのである。

 信長は、手足のように使える家臣団を率いて、領土を広げ、日本の頂点に立つため果てしない競争に打って出るが、金も名誉も手に入れながら、心を癒してくれる家族も、腹を割って話ができる家臣もいないため、ただ孤独だけを深める。

『下天は夢か』が“ポジ”の信長を描いたとするなら、タイトルそのままに信長の“ネガ”に迫った本書は、バブル崩壊後に到来した戦国時代に匹敵する弱肉強食の社会を生きる現代人に、過度な競争を勝ち抜くことが幸福なのか、それとも人生を豊かにする別の価値観があるのかを問い掛けている。その意味で本書は、過去の痛手から何も学ばない日本人への警鐘とも読めるので、単行本が刊行された二〇一三年より、文庫化された現在の方が意義を増したともいえる。それだけでなく、格差が広がり先行きに不安を感じている人たちに、信長の生涯を認めるか否定するかを考えさせることで、人生を選択する指針も与えてくれるのである。

文春文庫
信長影絵 上
津本陽

定価:726円(税込)発売日:2015年07月10日

文春文庫
信長影絵 下
津本陽

定価:748円(税込)発売日:2015年07月10日

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