- 2015.11.10
- 書評
驚天動地のどんでん返しもある! 恩田エンターテインメントの集大成
文:大森 望 (書評家)
『夜の底は柔らかな幻』 (恩田陸 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書『夜の底は柔らかな幻』は、もともと、文藝春秋の老舗小説誌〈オール讀物〉二〇〇六年九月号から二〇〇九年十二月号まで、三年余にわたって連載された大長編。完結からさらに三年余を経た二〇一三年一月にようやく単行本化され、四六判ハードカバーで刊行された。上下巻合計七〇〇ページの物量を誇る、恩田陸の数ある小説の中でも指折りの大作だが、話の派手さ、スケールの大きさでも、たぶん一、二を争うだろう。クライマックスでは、それこそ平井和正『幻魔大戦』や大友克洋『童夢』もかくやの一大サイキック・アクションが展開する。読み出したら止まらない、怒濤のノンストップ・エンターテインメント巨編。
物語の舞台は……と小説の紹介に入る前に言っておくと、私事でたいへん恐縮ですが、大森は高知生まれの高知育ち。京都に住んでいた学生時代は、休みのたびに、新快速で岡山まで行き、宇野から連絡船で高松に渡り(当時、まだ瀬戸大橋は存在しなかった)、土讃線で帰省するのがつねだったので、本書を読みはじめてすぐ、懐かしい風景が目に浮かんだ。いわく、
深いV字形をした谷の底に、エメラルド色の水が湛えられていて、午後の陽射しにキラキラと輝いていた。(中略)
それは太古の地殻変動の名残りで、圧縮された岩盤が地上に露出した場所であるとのことだった。押し潰された岩々の縦、横、斜めの直線が、切り立った渓谷いっぱいに複雑な抽象画のような模様を描いている。
異形の景色。
透明であれば水晶そっくりの岩に一面を埋め尽くされた壁がえんえんと続く。それは、巨大な屏風にも見えた。
作中では“水晶谷”と呼ばれ、噂によると、年に一度、特別な満月の夜、すべての岩が透き通って、水晶の中に埋まっている仏様を拝めるという。小説全体の中でもたいへん重要な役割を果たすこの水晶谷のモデルが、四国・剣山国定公園の一画に位置する景勝地、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)。JRの特急・南風で岡山から一時間半、阿波池田駅を過ぎたあたりから、土讃線の線路は吉野川沿いを走りはじめ、大歩危・小歩危を紹介する観光アナウンスが車内に流れる。ちなみに、“ほけ”とは断崖を意味する古語。大股で歩くと危ないから大歩危、小股で歩いても危ないから小歩危――という語呂合わせから、この漢字を当てられたらしい。“透明であれば水晶そっくりの岩”は、結晶片岩。ネットで大歩危・小歩危を画像検索すれば、インパクトのある奇岩怪岩の写真が大量に出てくるので、見たことがない人はぜひチェックしてみてください。僕にとっては、土讃線に乗るたびに窓から眺めた原風景。子供の頃は、学校の遠足でも、よく大歩危・小歩危に行ったもんです。
冒頭の列車の場面を読むだけで、そのころの思い出がどんどん甦ってくるのは描写の力か。けだし、恩田陸は、紀行作家としても一流なのである。実際、著者はこれまでに、さまざまな現実の土地を小説の舞台のモデルにしてきた。『月の裏側』の柳川(箭納倉)、『puzzle』の軍艦島(鼎島)、『黒と茶の幻想』の屋久島(Y島)、『クレオパトラの夢』の函館(H市)、『まひるの月を追いかけて』の奈良……。
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